【第2回とちぎ地域・自治フォーラム基調講演

三位一体改革とこれからの地方財政・自治制度

開催日:2005年10月2日
開催場所:栃木県壬生町
講演者:金澤史男(横浜国立大学経済学部教授)

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はじめに

一 三位一体の改革への経緯
  1.「三位一体の改革」とは何か、その構図
  2.地方分権一括法から三位一体の改革へ

二 三位一体の改革で浮上した真の争点
  1.「地方の自立論」の問題点
  2.市町村合併の問題点
  3.三位一体の改革の枠組みの確定
  4.国の補助金削減案の問題点
  5.税源移譲をめぐる対抗
  6.財務省の地方交付税・地方財政計画攻撃の問題点
  7.公共事業削減政策の背景

三 地方自治の発展を支える財政制度の展望
  1.地方交付税による財源保障の重要性
  2.日本財政の現状−その危機状況
  3.財政再建の方向性

おわりに


はじめに

今回の総選挙の話が主催者の方からも出ておりましたけれども、小泉さんは政治手法としては非常に優れていると思います。ワンフレーズ・ポリテックスとか言われておりますが、今回は郵政民営化に関する国民投票であると言って、それしか言わなかったわけです。それを受けた国会の施政方針演説でも、ほとんどそれしか言わないわけです。ある意味でこれは一貫しているわけでありまして、もしそれ以外のことをあの場でたくさん言ったら、選挙で言わなかったことを何故出してくるんだ、そこまで国民は郵政民営化以外の政策に関して委任はしていない、という批判がおそらく出てきただろうと思います。
 ところが、朝日新聞をはじめとしてマスコミ各紙は、郵政しか言わない、郵政が通ることが確実になったのでやる気を無くして5月病にかかったのではないか、というような論評をしております。これは、マスコミとしては非常に危険だと思います。マスコミの方からなぜ他のことを言わないんだとけしかければ、憲法の改正とかそういうものを出しましょうという話になってきてしまうわけです。ですから、ここは小泉さんに乗って、郵政民営化だけしかあなた方はやってはいけない、それ以外のことは国民は一切白紙委任はしていない、それ以外のことをやったらおかしいんではないか、というふうに言うべきだと思います。
 ということは、逆にいうと郵政民営化が終わった後に、この間小泉政権で問題になってきた様々なこと、たとえば市町村合併はあれでよかったのか、財政再建、三位一体の改革はこれでよかったのか、ということが改めて問題になる。そういうことを問う選挙が次に来るべきです。したがって、今の状況を考えると、三位一体の改革にしても市町村合併にしても小泉政権での政策が何をもたらしたのか、今後それをどう解決していくべきなのかということについて、今勉強していくことは非常に重要なことだと思います。そこで、今日は、三位一体の改革について勉強していこうということであります。
 私はどちらかというと、行政の方々と多くお付き合いしているものですから、行政サイドの方たちは三位一体の改革とか知らなければ仕事になりませんので、大体の共通認識はあるのですが、今日来られている方の中には財政問題は少し苦手だという人もいるかもしれません。そこで、基本のところからお話をして、三位一体の改革というのはこういうものだったのか、そしてこういう問題点を抱えながら進んでいるのかという知識を今日の話から得ていただければと思います。


一 三位一体の改革への経緯

1.「三位一体の改革」とは何か、その構図

まず、巻頭論文と書かれた「三位一体の改革と財源移譲・地方交付税のあり方」(注1)をお出しください。「三位一体の改革」というのは政府の方が仕掛けた名前です。「三位一体」というのは、御存知のようにキリスト教の用語でありまして、それをむやみに使うなというキリスト教団体からのクレームもあるように聞いています。それはともかく、今、使われている内容は何かといいますと、「はじめに」のところに書きましたように「地方が決定すべきことは地方が自ら決定するという地方自治の本来の姿の実現に向け改革」を行うということが目的として掲げられているわけです。そして、「改革と展望」の期間というのがございまして、これは平成16年、17年、18年の3ヵ年でございます。この3ヵ年を政府は「改革と展望」の期間と呼んでいるわけです。
その期間にどういう改革を行うかというと、「国庫補助負担金については広範な検討をさらに進め概ね4兆円程度を目途に廃止、縮減等の改革を行う」、それから「廃止する国庫補助負担金の対象事業の中で引き続き地方が主体となって実施する必要があるものについては税源移譲する」となっております。これは、要するに廃止した国庫補助負担金の額に対して、ある程度対応する税源移譲を行いますということで、個別事業の見直し・精査を行い補助金の性格等を勘案しつつ8割程度を目処に移譲、義務的な事業については徹底的な効率化を図ったうえでその所要の全額を移譲するとなっています。これを読みますと分かりますように、補助金を削減したらその分まるまる税源移譲する気は最初から国にはないわけです。「徹底的な見直し」とか「徹底的な効率化」を前提とする。いわゆる事業の削減を前提にして税源移譲をするということです。それに加えて、地方交付税の財源保障機能についてはその全般を見直し「改革と展望」の期間中に縮小していくという内容になっているわけです。

<図表1>
クリックで画像を拡大します


この時の枠組みを端的に示したのが図表のNo.1です。2004(平成16)年6月に「改革と展望」の枠組みが出た時に政府が想定をした削減額と税源移譲に関する図表がこれでございます。16年、17年、18年が「改革と展望」の期間ですが、1番左に15年というのがあります。16年度から補助金の本格的な削減が始まるわけですが、それに先立って先行的に補助金の削減を行うということで、既に5600億円の補助金削減が行われております。そして、平成16年には1兆300億円の削減が行われております。さらに、平成17年、18年で3兆円の削減を行うということでありまして、全部足し合わせると4兆5600億円、最終的にはいろいろ出入りがありますが、おおよそこういう数字になっています。つまり、15年、16年、17年、18年合わせて4兆5600億円の補助金削減をするというのが、「概ね4兆円の改革」の意味であります。そして、それに対応する税源移譲というのは、所得譲与税とか税源移譲予定特例交付金とかいろいろ繋いでいきますが、最終的にはだいたい3兆円ということになっています。
ここで注意していただきたいのは、一般にマスコミでは、平成17年と18年の補助金削減の3兆円とその下にある税源移譲の3兆円が一対一で対応しているという報道の仕方です。それで3兆円の補助金が削れるかどうか、今、義務教育費負担金が6000億円の規模で削るか削らないか文科省と総務省がやりあっている状況ですが、補助金削減の流れを全体として見ると、この4年間で4兆5600億円を削っているということです。つまり、4.5兆円の削減でようやく3兆円が来るという大きな構図がマスコミではほとんど報道されません。この時点で、すでに1.5兆円の鯖を自治体は読まれているわけです。もともと1.5兆円削るぞということが前提になっているわけです。
 もう一つは、この図には書いてありませんが、地方交付税の財源保障機能を縮小するということで国から地方への地方交付税交付金の削減が進んでおります。ご存知のように、地方交付税制度というのは、ほとんどの地方圏の自治体財政の一般財源が地方税だけでは足りないので、その足りない部分を補てんしているという制度であります。これが肥大化し過ぎているというのが小泉内閣、特に財務省の考え方です。地方交付税には財政調整機能と財源保障機能があるわけですが、規模が大きくなりすぎている、これは財源保障機能が肥大化しているからだという言い方をして、交付税の削減を「改革と展望」の期間に進めようということです。事実、平成16年度には約1兆円の地方交付税の削減がされました。平成17年度の予算でも約1兆円の削減がされました。おそらく平成18年度、来年度予算の策定過程でも約1兆円の地方交付税削減が必至であると思われます。つまり「改革と展望」の3年間のうちに毎年1兆円ずつの地方交付税の削減がビルトインされているわけです。3年間で約3兆円の削減ということになります。
もう一度まとめてみますと、国から地方への財源保障の面で、三位一体の改革の一つの柱である補助金削減、地方交付税の見直し、この両方合わせると補助金で4.5兆円のマイナス、地方交付税で3兆円のマイナス、合計で7.5兆円のマイナスとなります。それに対して出てくるか出てこないか今だに分からない税源移譲が3兆円ということであります。ですから、この3年間で国から地方への財源保障は、確実にこのままいけば7.5兆円−3兆円=4.5兆円の削減がある。3兆円の税源移譲をもらうために4.5兆円を失っていく。3兆円をもらうために7.5兆円を削るという枠組みが、この「改革と展望」を決めた平成16年6月の骨太方針で決められているということです。
要するに、三位一体の改革というのは、一面で従来の補助金行政をやめ自主財源に基づく地方財政、地方自治の運営をできるようにするという財政面での分権改革というプラスの側面があるわけです。しかし、この枠組みは他面で、国から地方への財源保障の徹底的な削減、言い換えれば国の財政再建に三位一体の改革を利用していく、財政再建の手段にしていこうという位置づけがマイナスの側面として見えて来るわけであります。もともと三位一体の改革というのはピカピカと輝く目標、何か青い鳥のように見えていたわけですが、しかし実はこういう財政再建の手段としての位置づけが数字を見れば一目瞭然であるということです。

2.地方分権一括法から三位一体の改革へ

どうしてそういうふうになってしまったのか、その理由を知るためには、少し時間を遡って、この分権改革がどう推移してきたのかを少なくとも5、6年のタイムスパンで見ていかなければなりません。私は、三位一体の改革の歴史的な形成過程から三位一体の改革の性格や問題点を検証していかなければいけないと表現しております。
 1999(平成11)年の夏、国会で地方分権一括法の審議が行われました。施行は2000年の4月です。その時に出された改革は、機関委任事務の廃止、地方債の許可制度の事前協議制への移行、地方新税がつくりやすいような仕組み等々、国から地方への関与・監督の縮小をはじめとして日本の地方自治制度にとって画期的な改革が行われたと言ってよいかと思います。しかし、この改革には財政的な裏付けがほとんどなかったということが特徴であります。地方の仕事はどんどん増えてきています。特に、1980年代以降、介護保険に繋がっていくように在宅ケアの責任が市町村の責任になっていったり、それから1985年の補助率引き下げというかたちで、様々な事業が地方に移譲され、あるいは負担が地方に転嫁されてくるという中で地方の事業は急激に増えていったわけです。ところが、この間、15年、20年にわたって地方の自主財源の強化ということはほとんどされませんでした。逆に1989年の消費税導入の時に、地方の自主財源であった消費課税、料理飲食等消費税とかたばこ税が国に取り上げられました。その時は、バブル経済で地方税の状況も調子が良かったので表面には現れませんでしたが、しかし、そのとき地方の自主財源はむしろ脆弱化していったという状況であります(注2)。 
村山内閣のもとで地方分権推進委員会ができます。本来、行政的な分権だけでなく、地方の仕事が増えてくることに対応して地方の自主財源を増やしていこうという財政的な分権を目指していたわけですが、村山内閣が橋本内閣に代わった時に、橋本首相は当時の地方分権推進委員会の諸井委員長を呼んで実現不可能な勧告は出すなという旨のクギを刺したと言われています。実現不可能な勧告とは何かといえば、国から地方への税源移譲を含むような改革です。つまり、橋本内閣の財政構造改革路線でいえば、国の方の財政再建が重要であって、それに水を差すような、国税を割いて地方に移譲するような改革は提案をしてくれるなとクギを刺したといわれています。
分権改革と言う場合、様々な面での行政的な改革は重要ですが、財政的な裏付けがなければ何の意味もありません。ただただ仕事が来て負担が増え、自治体職員の労働強化になるというだけであります。これは国、中央政府にとって都合がいいというだけです。だから、財政的な分権はするなと言われたら、普通、財政学者だったらやる気をなくします。やる気をなくしますが、そこで、私の先輩の神野直彦先生とか西尾勝先生とか地方分権推進委員会で理想に燃えて本気で地方分権をやってやろうと頑張っておられた先生方は、ここは偉いところだと思いますが、彼らはやる気をなくしませんでした。それだったら開き直って財政的な分権、税源移譲がダメというなら、それ以外のものは全部やってやろうということで頑張って、先程触れたような内容を地方分権一括法にできるだけ盛り込むことをめざし、自ら膝詰め談判で霞が関勢力とのやり取りがあったわけですが、かなりのところまで彼らは頑張ったわけです。これが地方分権一括法施行までの流れです。
2000年4月に地方分権一括法が施行されました。そういう過程で財源的な裏付けは延ばされたわけです。国会の審議の時に、それが足りないことは与党も野党もだいたい常識的に分かるわけです。実際、財政的な裏付けはどうなっているのかという質問がされました。しかし、その時の宮沢大蔵大臣は、今、国の財政状況が厳しい、経済も厳しい、日本経済が2%程度の成長ができる成長軌道に乗ったときに改めて国と地方の税源再配分について考えましょうという答弁をしています。この時に地方分権一括法で475本の法律が改正されましたが、その中心となる地方自治法の改正附則251条にも然るべき時に国と地方の税の再配分の本格的な見直しをしなければいけないと書き込まれています(注3)。これは国会の意志なわけです。ですから、地方分権一括法が施行されて行政的な分権に関してはある程度進んだけれども、財政的な裏付けについては2000年4月以降の課題確認されたわけです。これこそが「第二の分権改革」ではないかと私には思えたわけです。
この年、時あたかも政府税制調査会が夏に中期答申を出すということで、国会が明確にやり残したと認めた課題について、2000年の4月から9月くらいまでの間に税制調査会の方ではどう受け止めるだろうか、これから地方の税財源移譲の充実ということをどう具体化していくのか私は注目をしました。ところが、中期答申の取りまとめの直前に「政府税制調査会で地方交付税問題急浮上」という新聞記事が私の目に入ってきました。税制調査会が「第二の分権改革」をやるとしたら国税の一部をどう地方に移譲していくのかという話が議論されているのだろうと思いきや、地方交付税問題が浮上してきたということは一体どういうことだろうかということで、政府税制調査会の審議過程を調べてみました。すると、政府税制調査会の議論は、税目ごとに議論するわけですが、地方については一括で議論され、テーマは地方の税財源の充実となっています。最初は、財界関係の人だったと思いますが、地方の税財源の充実、国税の地方移譲ということが言われているけれども、とんでもない、地方はあちこちで無駄な箱物を作っている、ということとか、地方はモラルハザードを起こしていると地方を非難する。道徳的な節度を無くしている、財政的な節度を無くしていることをモラルハザードと言うのですが、日本の財政が危機的な状況にあるのはモラルハザードを起こしている地方の責任だと主張する。そういう地方をそのままにしておいて金をくれ国税を割けというのはとんでもないという話がされます。そうすると学識経験者と呼ばれる人たちが、口々に、そうだそうだ、ということを言うわけです。それで全体の議論は、地方は税源をもっと欲しいというのであれば、まず地方自身が血を流せ、抜本的に歳出を削減しろ、地方交付税を全廃しろ、というようなことを言ってくるわけです。それから市町村合併をやれというふうに言うわけです。そんなに町村が沢山あるのは無駄だ、市町村合併をしろと、こういう議論になっていくわけです。だから、市町村合併というのは地方がより効率的に行政をするために合併をしろという話ではありません。政府はむしろ不便になれと言っているわけです。血を流し役所をどんどん減らして不便にして財源を節約せよと、ここでは言っているわけです。それで、地方の税財源の充実ということをとても言い出せる雰囲気ではなくて、最後に一人全国市長会の方が、「びっくりしました。政府の方々、東京の学者の方々が地方をどう思っているかよく分かりました。」という趣旨を発言するのが精一杯でした。そういう状況で地方交付税、補助金削減の大キャンペーンが始まっていくわけです。


二.三位一体の改革で浮上した真の争点

1.「地方の自立論」の問題点

2001(平成13)年に入りますと、財務省が影響力を持っている財政制度等審議会、それから当時地方分権推進委員会を引き継いだと言われている地方分権改革推進会議等が建議とかさまざまな答申類を出してきます。その中で強調されたのが「地方の自立」というものでした(注4)。この時の議論というのに、私は衝撃を受けました。財政制度等審議会といえば、財務省の主管で日本の財政制度について最も権威のある審議会であり、日本の財政をどうしていくのかという指針を示す最高の審議会です。そこで何が議論されたかというと、日本のナショナル・ミニマムというのは既に達成されている、ところがあれもない、これも必要だということで、ミニマム、すなわち最低水準を超える水準を地方が要求し始めて、それを保障するために地方交付税が肥大化し過ぎている。ナショナル・ミニマムはすでに達成されたのだからもう要らないというわけです。しかし、ナショナル・ミニマムというのは、毎年必要な生活保護などの現金給付もあるし、それから一度造った道路・河川の維持補修も必要だし、そんな乱暴な議論はないと思われますが、そういうことを述べています。そして、戦後、何度も何度も地域・地方の発展ということを目指して地域開発政策を打ち出してきたけれども、いずれもうまくいっていない。その審議会の答申は、その理由はなぜかと問うて、地方交付税や補助金があるからだ、それがあるから地方が甘えるんだ、これをなくせば地方が自立していくんだ、と主張しています。そんな乱暴なことを日本で一番権威のある審議会が言うはずがないと思われる方がいらっしゃるかもしれないけれども、実際そう書いてあります。国からの財源保障があるから地方が甘えて自立出来ない。これが政府、財務省が展開した「地方の自立論」です。
むろん、財務省の官僚も直ぐになくせるとか、全部なくしていいとか思っていないでしょう。それはなかなか難しいだろうと思っているんです。ところが日本の今の審議会の悪いところは、そういうエキセントリックな話を一部の学者にやらせて、全廃論とか極論を言う人を持ち上げ、そして世論を誘導して地方はどうもひどいことをしているらしいという雰囲気を作って、その地ならしのあとに、ある程度地方交付税を減らしていくという手法をとっていく。だから本当に地方交付税というのはどの水準まで必要なのかとか、今の財政力はどの程度の交付税まで支えられるのかとか、そういう真面目な話というのがなかなか出来なくなってきてしまうわけです。とにかく全廃しろという人たちが政府の公式の文書を書いて、そして政治過程のなかで力関係でこのくらいと決まっていく。理論的にはなくてもいいというようなものを地方がもらっているという感覚に追い込んでいくわけです。それは制度設計のあり方として、おかしいだろうということであります。
そうしますと、本来であれば「第二の分権改革」で地方の税財源を充実させるという話だったのが、世の中全体の雰囲気は、むしろ地方交付税を全廃するとか補助金を抜本的に削減するとかそういう方向にぐっと流れていってしまったわけです。本来の分権改革と逆の話になってしまったわけです。

2.市町村合併の問題点

そこで、血を流せと言われて、それを実践する市町村合併が出てくるわけです。財政力が弱い自治体、すなわち地方税が10%から20%しか歳出をまかなっておらず、地方交付税が60%、70%を占めているという自治体が日本ではとても多いわけです。そうすると、今のまま進むと地方交付税や補助金はどんどん減っていく、自分の町の財政はどうなっていくだろうか、ひたすら減っていくと最後はゼロになる、やっていけない、というシミュレーションを自分たちでして、それでは合併しかないということで市町村合併に追い込まれていくということです。
この半ば強制的な合併の推進によって全国で様々な問題が起こっています。たとえば、5つの町が対等合併したある市では、今年の1月に合併をしたわけですが、合併後の計画はまだ決まっていない。福祉のサービス水準は高い水準に負担は低い水準にということで、合意している。しかし、合併特例債を活用しようとしても、すでに公債費負担比率が非常に上がっており、これ以上公債を出せるような状況ではない。では、財政的に見通しは立っているのですかというと、それはこれから考えるけれど、人員だけは120人削減することを決めています、というような状況でした。
別の地域では、合併の中心となるべき市から相談を受けた。時代の流れということで合併に取り組もうとしてきたが、よくよく考えてみると、周辺の財政力の弱いところの面倒を見ろということではないか。結局、周辺町村の多くとは合併しない方向になったが、一番端の奥にある中山間地域で一番過疎化が進んでいるところだけどうしても面倒みてくれということで、合併の話が進んでいるという。ところが、その地域というのは中心市と少しだけ境界はつながっているのですが、そこは尾根になっていて人は通れない。合併しても中心市からその町に行くのに、よその町の道路を通らないと行かないという話です。
もともと市町村合併というのは、自主的に行われることが前提でした。地方分権推進委員会が、村山内閣の時に中間報告を勧告の前に出しているのですが、その時の市町村合併の位置づけというのは分権なり住民自治の充実という点で合併が有効に働くようであれば合併も一つの選択肢として考えなさい、しかも自主的に考えなさいというスタンスでありました。ところがその後、1990年代の後半に、全国選挙で、今回の選挙と全く逆に都市部で自民党が大敗していくわけです。その後、大都市の与党サイドから大都市の選挙民に受けるような政策の一つとして、地方圏の市町村合併を徹底的にやるようにとの要求が強まっていきます。やれというのは彼らのためにやれというのではありません。合併をして支出の削減をしてその分大都市部で取れた法人税、所得税を地方に回さなくてもいいようにするという政策であって、大都市住民の支持を得ようと合併推進を指示をするわけです。市町村合併というのが昭和の合併以来強制的にやるといろいろな問題が起こるということで、さすがに日本の政府も自主的にやらないといけないんだという方向で認識を深めてきたものが、だいたい1998年くらいからですが、またガラッと変わって半ば強制的にやるんだという政策に変わっていってしまったわけです。
一方で、地方交付税はどんどん削減されるという話が流され、そして、地方交付税に依存している町村は先行き見通しが立たないということで、どこか面倒みてくれということで合併に追いたてられていくわけです。その結果は先程言ったように、合併後の展望は見えていませんという話とか、全く生活圏、道路がつながっていないようなところが合併していくとか、そういう事態になっていってしまったということであります(注5)

3.三位一体の改革の枠組みの確定

そこで、話を三位一体の改革に戻しましょう。「第二の分権改革」が税財源の充実という方向ではなくて地方交付税と補助金削減というものだけが先行し、政策的なアジェンダになるという状況のもとで、地方団体の突き上げを受けながら当時の片山総務大臣が2002(平成14)年の11月に、それではあんまりだということで、ある程度地方交付税の削減それから補助金の削減を呑むから税源移譲を地方交付税、補助金の削減と一緒にやってくれ、せめてそれを一緒にやってくれ、それが「三位一体」ということで、以後三位一体の改革というのが地方側のキャッチフレーズになっていったわけです。「三位一体」という言葉は「2002骨太方針」に登場していますが、どちらかといえば、総務省サイドが三つをきちんとやれということで表舞台に出てきた。国から地方への財源削減だけが進む状況に歯止めをかけようとした、そうした状況を三位一体の改革という言葉が表現していったわけです。
その後も、改革というのは税源移譲も含めてやるという枠組みを内閣の合意とすること自体が、地方団体側の課題だったわけです。というのは、11月に片山プランが出て2003年の6月に骨太方針が出るまでの間、財務省は税源移譲も確実にやるということを方針に入れることにすら反対したわけです。なぜかといえば、地方交付税や補助金がどの程度削減されるかがはっきりとしないうちに税源移譲をいうのはもってのほかだというわけです。その成果を見てから税源移譲ができるかどうかを考えるというスタンスだったわけです。その後、小泉首相はやはり税源移譲も必要だということで財務省を抑えて2003年6月の骨太方針で税源移譲も加えた枠組みを作ったわけです。その時の枠組みが先程から言及している図表の1です。もともと政府の部内では地方交付税と補助金をまず削減しろ、徹底的に削減しろというのがあって、そのあとに政府・財務省が満足するほどに削減すれば3兆円は出しましょうというわけです。どこまで削減すればよいかと言えば、国と地方、財務省と総務省がせめぎ合いをしながら、3年間で約3兆円の地方交付税の削減、補助金は4.5兆円、合計7.5兆円を削減すれば3兆円は出しましょうという規模です。財務省の側からすれば差し引き4.5兆円のもうけという話で、国の財政再建を資するということだから、三位一体の改革が内閣の政策になったということであります。

4.国の補助金削減案の問題点

その後も様々な経緯がありました。そこまで行ったものの、霞が関は抵抗したわけです。たとえば、平成17、18年度であと3兆円の補助金削減をどう具体化していくのかが課題となりました。ところが、政府は、自分たちは作りません、本気で地方がやる気だったら自分で作ってごらんなさいというふうに地方にボールを投げたわけです。それ自身大変無責任だと思いますが、その裏には、どうせまとまらないだろうと、財政力の強いところと財政力の弱い地方圏の町村とかあって、国庫補助負担金を3兆円削るのはなかなか難しいだろうとタカをくくっていた節があります。
しかし、全国の自治体、それを代表する地方六団体は内部で徹底的に議論し、結局、やりましょうということになった。そのとき一番難色を示したというか苦渋の選択だったのは地方圏の町村です。様々な税源移譲、三位一体の改革の財政シミュレーションがされていますけれども、その結果はいずれも4.5兆円の補助金削減、交付税の約3兆円の削減、それに対応して3兆円の税源移譲があって、両者を差引きして、結局、財政力が増すところは東京以外にはありません。東京都のみです。それ以外はほとんど財政的には削減、収入が減るということです。若干自主財源の比率が高まる。しかし、町村はほとんどが1%高まるかどうかという話です。そういうなかでも、地方交付税と地方税を合わせた一般財源の総額は、これまでの水準を維持するということを条件にして全国町村会は補助金削減を認めたわけです。
地方案が出てきて政府も少し焦ったかのように見えます。それで政府側の対案を作ったら削減額が2兆円にもならないようなものを出してきました。それから削減の方法が補助率の引き下げという方法を中心に出してきました。ご存知のように補助率の引き下げで補助金を削減していくというのは、分権改革の視点からすると最悪の方式です。というのは、補助金とは、たとえば、10の事業があって、そのうち3分の1の補助率で補助をしていたとすると、補助金を出しても会計検査院の検査の対象ということも含めて3割強の補助金で10の事業をコントロールできるわけです。この3割を1割に減らす。これが政府のいってきた補助金削減の主要な手法です。そうすると補助金は確かに3割から1割に減りますが自分が統制できる事業は10のままなわけです。より少ない国の負担で事業全体をコントロールできるということで、国にとって都合が良くても地方にとってはコントロールは継続される、負担は増えるということで、踏んだり蹴ったりの内容になってしまうわけです。
補助金削減の元々の意味は、補助金を少なくするのではなくて、補助事業を無くしてその分を自治事務にしていくということです。補助金による自治体の統制を無くして地方の自己決定権を増やしていくということが、分権改革としての視点から見た補助金改革の意味だったわけですが、それが単なる国から地方への負担の転嫁ということになってしまうわけです。当然のことながら地方は猛反発をして地方の案をベースにした改革案がある程度作られていっているというのが現在の状況です。

5.税源移譲をめぐる対抗

それからもう一つ、それではどの税源を対象にするかということについても一悶着あったわけです。財務省はこの期に及んでもたばこ税でいこうと抵抗しました。地方のこれからの分権時代を支えていく税源というのは未来につながっていくものでなければなりません。これは当然基幹税である所得税か消費税ということになります。たばこ税については、健康への影響とか環境への影響とかいろいろ言われている中で、しかも消費自身が先細りになっていくそういう税金を地方に与えようとしたということです。財務省は、所得税は離したくない。なぜか。日本の財政再建の課題は二つあります。一つは、一般会計で、毎年30%以上の国債依存度となっている一般会計の財政再建をどうするか。もう一つは、危機的な状況の年金財政です。今、中学生、高校生は、どうせ私たちは年金はもらえないからみたいなことを平気で言う。ある意味では非常に財政問題に関心があるという世代になっているわけですが、そういうことが言われる状況を大人が作っているわけです。ある程度ガタガタさせながら、しかし完全に崩壊しては困る。ある程度ガタガタさせながらというのはガタガタさせれば私的年金保険会社が儲かるからです。一般会計の財政再建には所得税の増税、これで対応しようとしています。それから年金財政の再建には消費税の税率引き上げ、これで対応しようというのが政府・財務省の戦略です。ですから、できるだけこの二つの税は地方にやりたくない。そこで、たばこ税というのが出てきたわけです。しかし、これは2003年12月の政府税制調査会では通ったのですが、その日に行われた与党の税制調査会では、それは本来の筋ではないということでひっくり返されて、消費税は今後の課題とし、差し当り所得税でやるということになりました。具体的には、住民税の税率10%を比例税化して比例税の所得税と重なる部分を地方に移譲するという方法がとられます。

<図No.2>
クリックで拡大表示します

その辺のことについて「『新麻生プラン』と三位一体改革」(注6)に掲載した図No.2を見てください。これは所得税の税率と住民税、市町村民税と道府県民税を足し合わせて税率が出ています。個人住民税の方は、サラリーマンの給与収入で270万円から始まって568万円まで5%、そこから10%にあがって、1173万円で13%というように緩やかな累進制になっています。これに対して所得税は、課税最低限が少し高くて325万円の所から10%、783万円のところで20%に上がるとなっています。そのうち10%の比例税にするというのは、ひとつは1173万円のところの13%になっている部分を10%に下げてやるわけです。それから270万円から568万円までの部分について、270万円から325万円までをどうするかという問題は残っているのですが、確実には325万円から568万円まで従来住民税では5%だったところを10%に上げるということです。低・中所得者層以下のところで従来住民税が5%のところを2倍の10%でとるということです。そうしますと、この5%と10%の部分の格子が書いてあるところでだいたい3.3兆円の増になります。それから1173万円以上で13%の税率を10%に下げたところで、だいたい0.3兆円の減になります。そうすると、ちょうど3.3兆円−0.3兆円で3兆円分が地方の住民税の税額が増えるということになります。増えたところを所得税も同じように取ったら大増税になりますから所得税は住民税が増えた分、すなわち格子の部分は減税します。所得税ではとらないで住民税でとるという形です。全体としてこういう話を見ると、政府のなかで最初に先程言った3兆円を出すためにどのくらい削らせるか、3兆円という数字がまずあるわけです。3兆円というのは住民税を10%にするとちょうどでてくる額なんです。だから、おそらくそれが最初にあったのではないかと推察されます。3兆円を出すためにいくら削らせようかという話だったと思います。補助金は4.5兆円削らせよう、それから交付税はだいたい3兆円削らせよう、合計7.5兆円くらい削らせたら3兆円くらいやりましょうという話として三位一体の改革というのは進んでいったと考えられるわけです。
だいたいその方向で今年度の骨太方針の時点では確認をされております。政府税調も所得税のその部分は減税して、同じように取るわけですけれども、その分は地方にやりましょうという総務省と財務省の間で一応の合意は出来ているということです。

6.財務省の地方交付税・地方財政計画攻撃の問題点

今争点になっているもう一つのことは、昨年の11月に谷垣財務大臣が記者会見をして地方財政計画をいきなり攻撃してきました。地方財政計画には7兆円から8兆円の不適切な支出があるということを言うわけです。もともと地方財政計画というのは、地方団体、総務省と財務省が毎年どの程度の歳出が見込まれるのか、若しくはどの程度の歳出が望ましいのか、それをガイドラインとして示して、それに対してどれくらいの財源保障をそれぞれ地方交付税、補助金、地方債でしていくのかを固めていくものです。財務省自身が当事者の一人です。これだけ必要だということを合意しながらやってきたものです。そういう信頼関係を一方的に破るようなものではないかと思われます。
その時、財務省が根拠としていることが計画と実績の乖離ということです。投資的な経費、これに関しては計画では多く計上されるけれども実績では消化できていない。片や経常的な経費、事務的な経費、特に人件費は計画では少ないのに実績では多くなっている。財務省はこれを見て投資的な経費を十分に消化せず、人件費の方に回して行政改革を阻害していると攻撃をしているわけです。これは、当事者の方々は何でそんなことを言うんだろうと怒りを覚えられるだろうと思うのですが、第三者の方から見ても理不尽と思います。
地方財政計画は、もともと政府の政策に地方を誘導するために徹底的に活用されてきました。なぜ投資的な経費が常に多く出るかといえば、実際以上に投資的な経費を出させようとしてきた政府の誘導政策があるからです。計画と実績の乖離はその名残りです。特に、プラザ合意以降、外国からの圧力もあり異常な円高に誘導されていきました。当時、考えると非常に大変なことだったと思います。もうかなり昔の話になりましたけれども、1985(昭和60)年、だいたい対ドル為替レートが270円くらいのものが一挙に100円を割るところにまで行ったわけです。当時、「異常円高」と言われました。それだけに海外に行ったらブランド品とか3倍くらいのものが買えるので日本人は舞い上がってしまったわけです。それがバブルにつながっていったわけですが、それくらい円高になったわけです。中国も今元切り上げの圧力を受けていますが、1%、2%上げるかどうかだけであれだけの大騒ぎをしているわけですから、逆にそれを乗り切った日本の経済の凄さというのを示しています。いずれにせよ、そのくらいに追いつめれば日本の輸出は何とか減るだろうと諸外国も見ていたわけです。ところが80年代の後半になっても全く減らない。地域経済、地場産業は大打撃を受けたけれども、大企業の輸出というのは止まらなかった。
それに焦ったアメリカは、今度は多国間の交渉ではなくて日米の2国間の交渉を仕掛けてきました。それが、1989年に始まった日米構造協議です。この日米構造協議で、ただでさえプラザ合意以降内需拡大をしろ、内需主導型の経済にしろ、拡大均衡で行けということで公共事業を増やしてきたわけですが、さらにアメリカは日本に公共事業の拡大を迫ってきたわけです。当初、1990年から10年間で430兆円、毎年43兆円、村山内閣の時に上方修正して630兆円、毎年63兆円の規模です。日本の今の国債が一般会計で30兆円出すか出さないかという基準が言われています。その30兆円の国債というのは、30%の水準となっているわけで、毎年60兆円の公共事業をやれということは、その倍つまり日本の一般会計の60%を使って公共事業をやれとアメリカが迫ってきたのと同じことです。それで、当時の海部首相は国会で議論もしないでブッシュに電話をかけられて迫られ、やりますと答えてそれを呑んだと言われています。日本の財政構造の中では投資的な経費、公共投資というのはどこが担当しているかというと地方です。だいたい国と地方の比率は1対5で、80%くらいを地方で公共事業をやっているわけです。海部さんがブッシュとの電話で毎年63兆円の公共事業をやりますと約束をしても国の財政がやるわけではない。ほとんどを地方がやるという構造になっているわけです。ですから1990年から地方に公共事業を消化させるためにありとあらゆる方策が取られました。日米構造協議で策定された公共投資基本計画の内容は当時の宮沢内閣のもとで「生活大国5ヵ年計画」という形で具体化をされています。
この時に、アメリカの思惑は、当然内需拡大をさせて輸入を増やさせて日本の輸出の黒字と輸入を均衡させるという話です。アメリカからの日本への輸出を増やしてアメリカの輸入と均衡させるということです。その時に、さらにアメリカはISバランス論、投資・貯蓄のバランス論というものを根拠に政策要求をしてきました。すなわち、日本に財政赤字を多く作らせればアメリカの貿易赤字は減るという考え方です。日本に赤字を作らせながら公共事業をさせればアメリカの経済は非常に助かるという考え方です。GDP比で10%まで公共事業の比率を上げろと言ったんです。当時、公共事業の対GDP比が6%くらいまでありましたから、それをさらに4%ポイントあげろという話です。アメリカ自身はどれくらい公共事業をやっているかといったら、GDP比の1%くらいです。日本はもう6%くらいというように、そのときでも高かったわけですが、さらに10%やれ、赤字を作れと迫られたわけです。
ただし、この話には一つアメリカ側に危険な問題がありました。なぜかといえば、日本がその630兆円ものお金をIT投資とか技術投資とか、教育投資とかそういうところに投じて日本の生産力、国際競争力が劇的に高まってしまったらアメリカの国際競争力はそれに太刀打ちできない。どうするか。そこで、そういうものに投資するなということを言ってきたわけです。具体的には、生活関連投資の比重を高めろと言ってきた。対GDP比10%という数値目標も迫ってきたわけだけれども、それはさすがに日本の大蔵官僚も拒否した。しかし、生活関連投資の比率を上げることについては呑んだわけです。公共事業の構成比を変えないといけないということが、そのころから事さら言われるようになっていく。国民も生活関連投資ならいいだろうという雰囲気があったことは確かです。しかし、あれだけ莫大なものを生活関連投資だけで、地域経済の経済的な発展のために、日本経済の長期的な発展のため、それをもたらす人的な資源の開発とか、そういうところには自由に使わせてもらえなかったわけです。日本の協定書に公共事業の「御三家」というのが書かれています。何を重点にやるのかということです。一つは下水道、一つは都市公園、一つは産業廃棄物の処分場です。それを計画すれば地方自治体に金がざぶざぶと付く時期がありました。むしろ国から地方、都道府県にお金が配分されて、これを消化しろと、市町村にばらまいて消化しろという状態だった。下水道は、県だったら流域下水道をバーンと通して、市町村はそこと公共下水道を繋げと、そういうことだったら金を出すというわけです。都市公園にしても、日本は都市に公園が少ないので全国どこでもやりました。ちょっと車でいけば田園地帯が広がる地域での都市公園、森林を切り崩して都市公園を作るということが全国で起こったわけです。それから、廃棄物の処分場、これもあちこちで問題が起きました。どこに作るか、県がつくろうとした。作れば金がつく。廃棄物のリサイクル、リユース、それから廃棄物自身の総量をどう抑制するかのリデュースという話はすっ飛んでしまって、とにかく処分場を作る。だからどんどん廃棄物を出してくれという話になっていくわけです(注7)
1970年代から80年代にかけて地域開発のためにどういう仕掛けが必要なのか、どういうことにお金が必要なのか、環境に配慮しながら、地域の創意工夫を生かしながら内発的な発展をしていかなければいけないということが散々言われた。ところが、このプラザ合意以降、さらに日米構造協議の中で地域開発、地域振興というものが生活関連のインフラ整備だったら何でもいいという話の中に流しこまれて、地域自らがどういう振興策を図っていくのか、自分たちの自治に基づいてお金を使っていくという発想が、この15年くらい決定的に弱まってしまったわけです。それで無駄と言われるものが出てきたわけです。
それでは、何のためにそういうことをやったのかといえば、言ってみればビックビジネスのためです。つまり、公共事業を批判する人たちの議論は、一歩間違うと地域経済がそれを求めたから、地域経済が公共事業依存型になっているから悪いんだという話になってしまいます。だけど私は違うと思っています。それはなぜかと言ったら、1985年以降、それから1990年以降、公共事業の高水準を求めたのは大企業です。大企業はアメリカとの交渉の中でアメリカへの輸出が減らされたら困るわけです。アメリカは輸出を規制する代わりに公共事業をやれと要求してきました。だから、公共事業というのは何のためにここまでやったかといえば、大企業の対米・対ヨーロッパの貿易摩擦を緩和するためにやったわけです。

7.公共事業削減政策の背景

今、橋本内閣から小泉内閣で公共事業はもう要らない、無駄だというキャンペーンがされています。なぜか。それはもう日本の経済が貿易を中心にして大企業が収益を形成するという構造になっていない。つまり公共事業をやって貿易摩擦でアメリカの日本叩きをかわしているうちに、大企業は急速に現地生産比率を高めたわけです。高いところではその比率が30%くらいになっています。日本に工場があって日本で自動車をつくってアメリカに輸出すれば日本の雇用は守られるけれども、アメリカのあまり性能のよくない自動車工場の労働者は失業してしまうわけです。だから、日本の自動車メーカーがアメリカやカナダに工場を作れば、日本の労働者は失業するけれども、アメリカの労働者はそこに雇われてアメリカの失業問題は緩和される。また、日本の性能のいい車をアメリカの消費者が買うことができるということで、この10何年間で5%くらいだった現地生産比率が主要な加工組み立て型の輸出企業では25%から30%、企業によっては40%、50%という生産をアメリカやヨーロッパでやるようになりました。だから、もう貿易摩擦の問題はそれほど出てこない。貿易摩擦の問題は、むしろ発展途上国と日本の貿易摩擦、中国と日本の貿易摩擦の問題に移ってきているということがいえます。むろん、全くなくなったわけではありませんが、貿易摩擦を緩和するために財政赤字を大きくするとか、そういう危険を冒してまで公共事業をやらなくてもいい状況に経済構造が変わったわけです。それから日米構造協議でいわれた公共投資基本計画という対米公約がだいたい2000年で終わりとなります。だから2000年以降公共事業は要らないというキャンペーンが強まっていくわけです。
そこで出てきているのが、無駄な公共事業を地方はやっている、モラルハザードを起こしているという地方への一方的な非難です。いったい、何のためにやってきたのか。日本経済が危機に陥ってアメリカに叩かれヨーロッパに叩かれた時に公共事業を増やしますから、許してくださいと言って切り抜けた。これが日本の政府、財務省の経済政策戦略だったわけです。それに地方が徹底的に動員されたわけです。日本の官僚機構というのは優秀ですから、トップがこうだといえば下までそうなってしまいます。途中でサボタージュしている人がいないんです。自分の頭で考えて、これはどうも危険ではないか、止めた方がいいのではないかという人がほとんどいない。海部首相がやれと言えばみんな一生懸命やるわけです。必死になって公共下水を作ってきたわけです。それだったら、財務省は今までのご協力ありがとうございました、おかげで日本の経済というのは貿易摩擦から脱却出来ました、これからはその後始末を一緒にやっていきましょうと、こういうのが筋でしょう。ところが、そういう政策をとった自分の責任を棚に上げて、いきなり地方は無駄なものばかり作っていると攻撃してきているのが今の日本です。だから、私に言わせれば、これまでの協力に対してお礼を地方に言って、なぜ無駄なものを作ったかと言えば我々が作れと言ったんだと、今からはもう一度地方の自治に基づいた真の地域振興のための公共事業をやっていこうではないか、そのためにはそれなりの負担もお願いしますというお願いをしていけばいいのではないかと思います。しかし、どういうわけか日本の政府はそうではなくて地方のモラルハザードという言葉で片づけて、地方の税財源の充実ということに耳を傾けず、むしろその削減、血を流す市町村合併に走っているというのが現状だと思います。


三 地方自治の発展を支える財政制度の展望

1.地方交付税による財源保障の重要性

これから、さらに一つの争点になり続けるのは、地方圏の自治体にとって地方交付税というのはどう位置づけられるのかという問題です。私の主張は、「行き過ぎた自主財源主義から一般財源主義の再構築へ」と表現できます(8)。分権を求める人たち、特に都市部の市民主義的な分権論者の人たちは「歳入の自治論」ということをよく言っています。つまり、地方交付税であろうが何であろうが上位団体からお金をもらっている限りは自治というのはないんだという議論です。しかし、これを丸ごと認めてしまうと、地方交付税はあってはいけない、地方交付税悪者論になるわけです。地方交付税というのは一般財源、つまり使途が特定されていないもので地方税と合わせて自主的に使えるものということですが、私は、その地方交付税の重要性、必要性、また必然性というものをきっちりと地方圏の人たちが主張していくことが重要だろうと思っています。
地方交付税というのは、法人税や所得税や消費税等の一定部分を原資として、地方に再配分するしくみです。ナショナル・ミニマムあるいは、標準的な行政サービスを行うということを基準財政需要額として各自治体ごとに計算をする。これを地方税と比較して地方税だけではまかなえない部分に地方交付税を配分してどの自治体でも標準的なサービスが確保できるようにするというものです。その時に、東京都の人や地方を攻撃する学者がよく言うのは、東京都に帰属している法人税・所得税というのは東京都民のものだ、それを何で地方にただであげるのか、そこに負担と受益の乖離ができてくるから今の財政システムは駄目だという理屈です。これに対しては様々な側面から反論して行く必要があると思います。
一つは、東京都に法人税・所得税が多く帰属するのは何故かということです。それは多くの本社が東京にあるからです。ビックビジネスの本社が東京にあるが、税金につながっていくような収入というのはどこから上がってきているのか。もちろんグローバル化していますから世界ですが、今は日本に限定して話をしていますので、地方の工場で生産活動がされてその成果が子会社形態をとっていれば連結決算で東京都に納税される。東京都民が汗を流しただけでその企業の利益が出ているわけでは全然ありません。たとえば熊本は、九州シリコンアイランドの中心の1つで、半導体工場が数多く立地したところです。今は途上国との競争が激しくなって少し落ち込んでいますが、自動車部品工場がかなり立地していてカーアイランドと言われるようになっています。熊本というのは水が豊富です。全部地下水で上水道もまかなえる。工場が立地すればいくらでも吸いあげられる。阿蘇山に降った雨が何百年も地下に溜まってそれが熊本平野に湧き出してくる。それを使えるから工場が立地して来るわけです。だけど、そこで生産活動が行われ熊本の自然を使い、人を使い、そうしてあげた利潤というのは熊本の所得番付には部分的にしか出てこないわけです。むしろ東京に出てくる。だから東京の税金を地方に回しているというのは、会計制度のことを理解していない、皮相な議論と言えます。
それから、東京に本社がある企業の全国的な生産活動を誰がどこで支えているのかという問題があります。いま言った水の問題に加え電力の問題があります。いいとか悪いとかは別として原子力発電所は現に地方にあるわけです。そのリスクを地方が負って、都市でそれを使って生産活動が行われている。しかもそこで出る廃棄物は青森県の六ケ所村が全て引き取ってやっている。それから日本の政府は世界の環境会議で非常に威張っているわけですが、それはなぜかというと、先進国の中で68%もの森林を持っている国はないんです。その森林が、二酸化炭素を吸収する。だから京都議定書の中にも森林が非常に多いところはその吸収分をカウントして二酸化炭素の排出量の割り当てを増やしてもらっているという状況もあります。食糧の問題もありますし、そういうもろもろの生産活動を支えてきたのが地方だということになるわけです。そういう地方に、日本国民であることを承認した人々が住んでいる限りは、憲法で保障されている健康で文化的な最低限の生活を保障するという義務が日本国家にはあるはずです。もし、それを霞が関や東京がやらないというのであれば、私の最後の提案は、東京以外の国土で独立しましょうというものです。東京都民が自分たちだけで生きていけるかどうかやっていただきたいと思います。

2.日本財政の現状−その危機状況

財政の現状については、資料や関連文献に譲ります(9)。図表のNo.3を見ていただければ、一般会計の中の公債依存度で日本が突出して大変なことになっているということがわかるかと思います。その水準は、30%から40%です。年間の国債発行が30兆円です。30兆円を三位一体の改革、地方への負担の転嫁で乗り切れるわけがありません。30兆円をどうするかを正面から考える必要がある。なぜこれほど赤字になってきてしまったのかというと、1990(平成2)年に国民所得比で国税が18%であったものが2001(平成13)年には13.6%に落ちてしまっているということが、大きな理由です。国税全体で4%から5%ポイント下がってしまっているわけです。これは国税全体でいえば20兆から30兆円の水準です。つまり赤字分というのは1990年から10数年で国税が減った部分です。地方税の方を見ると1980年8%、1990年9.6%、2001年9.7%となっており、地方税の負担率は減っていません。地方の方が負担をしっかりとさせているといいますか、住民自身が負担しているということです。モラルハザードを起こしているのは、国と地方とどちらでしょうか。選挙のたびに高額所得者の累進税率を下げている。法人税率を下げている。さらに金融機関を支えるために様々な不良債権処理の特例措置を設けて、ほとんど銀行に負担させていないという状況です。その状況が単に不況というだけでなくてこの数字に表れているわけです。もう一度いえば、モラルハザードを起こしているのは地方ではなくてむしろ国です。その国がここまで財政を悪化させてきたのは国会の政治家さんたちではないか。人気取り政策のために減税をし続け、大企業のために減税をし続けた。今こそ政治家に財政再建の責任をとるべきだという要求をしていく必要があると思います。

<図表No.3>

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3.財政再建の方向性

私はそういう点では増税論者です。だいたいアメリカの税制改革とかを見ても10の財政赤字があると、削減だけ主張する政策は特異なものと言えます。支出というのは一応国民が議論してこれは必要だということを決めてきたものです。だけれども収入がなかなか追いつかないで赤字になる。それを全部削るというのは民主主義の観点からしてもおかしいと思われます。アメリカはだいたいそこは半々にします。10の赤字があると5は歳出を削るけれども5は増税でいきましょうと。だいたいそれをやって行くと政府支出の対GNP比率は同じくらいの水準を保ち続けることになります。たしかに、共和党、ブッシュ首相とかは減税したがります。しかし、民主党は、一度レーガンが崩した所得税の税率、富裕層の税率を下げるとか累進性を下げるとか簡素化するとか、そういうものをクリントンはかなりの程度、もとに戻しました。これは富裕層に応分の負担はしてもらう、財政再建のためには必要だという考えから、それを公約に掲げて選挙に勝つんです。だからアメリカは小さな政府ばかり言っているわけでは全然ありません。共和党の小さな政府論と公共部門がしっかりと責任を持てという民主党の議論がまあまあのところで折り合っていく。
ところが、日本の場合は、一方向に15年くらい突っ走っているわけです。富裕層を軽減して大衆増税だけする。大企業を減税して地場産業、中小企業が滅びていくという方向に20年くらい突っ走っています。その結果、どういうふうになっているかというと、図表No.4にジニ係数という所得配分の平等度を示す数値があります。数字が大きければ大きいほど平等度が弱まっている、不平等になっているということです。当初所得、すなわち国の公共部門が介在しないレベルのジニ係数Aは1984年0.39だったものが2002年には0.49ということで、かなりの程度不平等になっています。次に、税による再分配所得Cは、税があることによってどのくらい平等度が変わるかということを示していますが、その変わり方が改善度(A−C/A)で示されています。これが1987年には4.2だったのですが、2002年には0.8になっています。つまり税金があることによってほとんど平等度が改善されていない。つまり、所得税で高額所得者には税率が高くて低所得者は免税とかあると所得の配分が改善されるわけですが、それがほとんどされていないということです。しかも、この厚生労働省の統計には消費税の負担が入っていません。もし消費税の負担を入れたとすると、おそらく日本の税制というのは、多分先進国では初めてだと思うのですが、税制度があることによって不平等度が高まるという国になっているかもしれないという状況です。
そもそも福祉国家の税制というのは、累進税率を備えた所得税制度があることによって不平等度が改善されるというのが一般的だったわけです。事実先進諸国の福祉国家ではそうなっています(注10)。日本がついに税制があることによって不平等度が高まるような、そういうところまで今きているということです。このことの改善を図りながら必要な増税をしていく、それを財政再建に生かして行くということこそが今求められているのではないかと思われます。三位一体の改革で財政再建をするのではなくて、しかるべき担税力を持った主体に対ししっかりと税金をもう一度かけ直して財政再建を図って行くべきではないかというふうに思います。

<図表No.4>

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おわりに

最後に1つ付け加えたいことがあります。合併で町村等がなくなってしまったところ、これからなくなるところは多いと思いますが、ぜひ森林とか中山間地域の利害を代表するような勢力の核を残していただきたいということです。町村等のいろいろな研修とかこういう会議でも、旧町村、合併して消滅した旧町村も町村の仲間として呼びかけて行くことが必要だと思います。それから学者の立場からしますと、ぜひ旧町村の統計を残してほしいわけです。大きな市に合併されたからといって旧町村の過疎的な状況が変わるわけではありませんから、そういう状況を知るためにもそういう統計も残していってほしいと思います。
本日の話を聞いた方々が、三位一体の改革というのは、こう生まれて、こう展開して、今こういう問題を抱えているのかということを理解していただき、他の人にも問題点のポイントをお話できるような効果があれば私としても嬉しいところであります。


(1)金澤史男「三位一体の改革と税源移譲・地方交付税のあり方」(『税経通信』2004年3月号)。
(2)詳しくは,瀬川久志・金澤史男「消費税と地方財政への影響」(静岡大学税制研究チーム『消費税の研究』青木書店,1990年)を参照。
(3)条文には,「政府は,地方公共団体が事務及び事業を自主的かつ自立的に執行できるよう,国と地方公共団体との役割分担に応じた地方税財源の充実確保の方途について,経済情勢の推移等を勘案しつつ検討し,その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとする」(附則第251条)とある。
(4)詳しくは,金澤史男「日本型財政システムの形成と地方交付税改革論」(『都市問題』2003年1月号)を参照。
(5)市町村合併については,金澤史男「市町村合併促進と住民サービスのあり方−合併推進論の再検討−」(『都市問題』1999年3月号),同「市町村合併政策の転換と財政的背景」(『農村と都市をむすぶ』626号,2003年11月)を参照。
(6)金澤史男「『新麻生プラン』と三位一体改革」(『地方財務』2005年7月号)所収。
(7)この間の公共事業の問題点については,金澤史男編『現代の公共事業』(日本経済評論社,2002年)を参照。
(8)詳しくは,金澤史男「『自主財源主義』の問題点と地方交付税制度」(『地方財政』2004年2月号)参照。
(9)日本財政の現状については,金澤史男編『財政学』(有斐閣,2005年)などを参照されたい。
(10)この点,林健久・加藤榮一・金澤史男・持田信樹編『グローバル化と福祉国家財政の再編』(東京大学出版会,2004年)も参照されたい。


(本稿は、事務局が作成した講演記録を基に、講演者自身が文章を完成させたものです。)



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