第2回とちぎ地域・自治研究所定期総会記念講演

住民参加の自律した自治体づくり

日時:2003年7月12日(土)
場所:大平町中央公民館

講演者:長野県栄村長 高橋彦芳

はじめに

どうも、みなさんこんにちは。ただいまご紹介をいただきました、長野県栄村の村長、高橋彦芳と申します。

まず、お話をする内容とも関係がございますので、私のふるさと栄村について、若干紹介させていただきたいと思います。

栄村は長野県の北東端にあります。一番北東の端でございます。隣は新潟県、群馬県でございます。北は越後の頸城、東は魚沼、南は群馬県の六合村とつながっています。3万ヘクタールほどの非常に広い、大規模町村でございます。ところが、人口からいいますと2700人足らずの"小規模町村"です。北側の頸城地方につながっている方は比較的低くて標高は1000m、そしてその下に千曲川が西から東に流れ新潟港に注いでいますが、私の村のところで信濃川と名前を変えるわけです。名前を変えるところが役場のある村の中心となるあたりであります。標高は280mぐらいで低いわけですが、南の六合村に接する方は三国山脈に接し、標高は2000m以上あり、高い山がずっと連なっております。

よく苗場国際スキー場といいますが、あれはタケノコ山といいまして、苗場山は実は栄村の山なのです。標高は2000mちょっとありますが、その山に登ると日光の男体山がすぐそこらに見える。そんな位置がわたしのふるさとでございます。方向音痴でわかりませんけれど、たぶん、ここからみると西北の方に位置するのではないかと思います。

標高差は村の中で2000mあります。地形が複雑な山間地域でございまして、ほとんど平らなところはございません。それはいいんですが、非常に雪が深い。州境は非常に高い山がございまして、季節風がいっきに上昇しまして、私たちの千曲川べりに全部雪を落として、関東へは空っ風となっていくわけです。こちらの方の季節風の防波堤を果たしている村といえるのではないかと思います。

したがって、農林業以外はなかなか、工業を中心とする今の産業社会にはまったく適さないわけで、苦労して富士通関連の下請けの下請けぐらいの工場を誘致をしまして、20年ぐらいいました。そして60人ぐらい働いていたんですが、昨年春全部引き上げて、工場は全く空っぽになりました。そういうときに思うことは、あまり故郷の風土にあまり関係のない産業というのは、こういう風になるんだなあ、景気によって一挙になくなるんだ、こういうことを繰り返していてもしょうがないんだ、ということで、一層悩み深しでありますが、そこにもってきて今の合併とかですね。

今日は、そういう村だけどしっかりと自律をしているように思われますけれど、自律というのは、なかなかこれが大変なことで、現代社会はどんな便利な、あるいはかなり効率の良い町や村であっても難しいわけですから、今申しあげたように、私どものふるさともかなり難しいと思うわけです。そういうわけですが。だいたい農林業の粗生産額で17億円ぐらいしかございません。600戸ぐらいの農家ですから、割りますと1戸あたり260〜70万円ぐらい、それでも長野県の平均約230万円より高い、長野県は農家戸数が非常に多いですから総生産額は低くはないのですが、一戸あたりは高くない。その代わり精密工業などが県の南の方へいくとありますが、私たち北の方はごく一部ですが、なかなか工場が誘致できないという条件下にあります。雪も北海道や東北のような軽い雪ならいいんですが、しっとりとした重い雪ですから、山林といっても全部木は曲がります。根本が10年近くも谷の方へ倒れます。また起き、また起きしますけれども、すっかりこう根が曲がりますので、柱材というのがほとんどできない。6尺以上、上から切らなければならないわけで、昔は梁とか根田とかそういうものに使ってくれたわけで、今の大工は使えないということもありますけれども、技術がないということもあると思います。直材主義ですから全部山に捨てられてしまう。

そういうことで、近代社会というものに非常に私は疑問がある。昔のほうが近代化していたんじゃないか、根曲がりでもなんでも全部使ったんだから、そういう技術が全部退化しちゃった、そういってもいいかと思います。

さて、本日は住民参加の自律した自治体づくりということについて私たちの実践を通じて話をするというふうになっていますが、お手元にお届けしたレジュメに沿ってお話ししたいと思います。

1 日本近代化政策の進行と農業基本法農政

まずはじめに、私は、自治体問題をやっていて地域問題を考える場合に戦後ぐらいからの日本の近代化の潮流、いうなれば主要な社会の流れとでもいいますか、そういうものとそれぞれの地域の住民の生活の関係について考えて見ることが非常に重要だと思っておりますし、またそういことをいつも私自身は考えているわけです。そこで、それについて若干述べてから、私のレジュメでいいますと、2番からが私の実践にはいるわけで、1番は主に前段と言うことで、私が村政をやる上において基本的に考えているというようなことを、自説を述べさせていただきます。

1番に、日本の近代化政策の進行と農業基本法農政ということでございますが、近代化というと、すべて私たちは正しい、いいことと思いがちでございますけれども、冒頭ちょっと申し上げましてけれども、必ずしも近代化が即私たちにとっていいことばかりだと思っておりません。人類の進歩に伴う科学的、科学的な背景をもった近代化もあれば、非常に一世を風靡する政策でありますけれども、地域にいろいろな歪みというものをもたらすような近代化もあるという風に思っております。したがってこの戦後日本の近代化の過程というものは、やはり私たちはつぶさに考え、自覚をし、認識していくことでなければならないのではないかと、こう思っています。

特に日本国憲法は、大変壮大な憲法といわれております。壮大というのは、19世紀の自由権的人権から20世紀の社会的人権、すなわち人間として生きる最低限度の文化的生活を保障する、こういうことは諸国の憲法にもまだ明記していないのに、日本国憲法は戦後、19世紀に遡って、西欧の憲法の自由権的人権から現代的な生存権を保障する、これは憲法25条にありますけれども、これは保障したのではない、ただの宣言だ、などの色々な解釈はあるにしても、そういうことが憲法に書いてあるわけですから、そういう広い規定をいっきょにしたわけでございます。そしてさらに世界の先進諸国の憲法を乗り越えて、絶対平和ということを第9条で宣言をしたということは、いまさら申し上げることもなくご承知の通りであります。しかし、19世紀的な自由の体験すらない日本人にとって歴史的、科学的な人間解放の法理というものを真に会得したり、国民が実質的な主権者として行動するということは、生やさしいものではないのでありまして、これは事実上かなり私たちは咀嚼(そしゃく)をしないですぎてきたというのが現実だと思います。憲法12条にも、この憲法が国民に保障する自由と権利を、権利は国民の不断の努力によってやらなきゃならないと、こういうわけなんですけれども、なかなか努力してもなかなかそうならない。あるいは、日本の社会的な歴史というものはなかなかそういうところを簡単に、法理というものを咀嚼し、みんながそういうところに向かって進むような社会をつくり得なかった。そう思っています。

 非常に今、市町村合併などを考えても、首長や議員がなんていいますか、「困った、困った」と悩んでいるだけで、公務員労働者というものは本当に村の将来について、労働組合としてなり、本当に取り組んでいるかというと、私はそれほど取り組んでいないと思います。私の村を見てもそうです。職員があっけらかんと、あっけらかんとといってはマズいけれども、しかしそれほでじゃない。本当にもう自立するか合併するかといったときには、職員の給与やリストラということに関係するわけなんですけれども、それほどではない。

 言ってみれば労働権とか社会保障権とか、そういった人権に関することは、本当にまだ日本人はそれほど芯からそういうものについて自分が自覚をするという域に達していないという社会です。こういう中で、今、合併に首長や議員だけが揺れているというか、そういう状況になっていると私はつくづく思うわけです。

 こんなことをしているうちに60年代に入ると、アメリカの日本をターゲットにしたところの近代化理論が入ってきたのはご案内の通りであります。有名なのは今年の1月に亡くなりましたけれどもケネディやジョンソン大統領の特別補佐官、ロストーという人が近代理論の経済成長の諸段階という、近代理論のお手本といわれるようなものを展開、もちろん日本の政治経済、学会、教育、文化、産業、そういったものに決定的に影響を与えたということは、これはもう学者のみなさんのほうから明らかにされているところであります。

 近代化理論というのは政治・経済、教育・文化などあらゆる分野で近代化のもととなる考え方でありまして、つまり近代化を進める政策の理論、憲法のように一人一人の人間の人権を確立し、人間を古い体制から解放していくというそういう科学というか思想というのものではない。そういう近代化ではない。政策理論、特に経済とかそういうものの政策理論です。その理論の柱は工業化と都市化といわれているわけです。

 今日、合併といいましても工業化はもう進みましたし、都市化ということは、いまだに私は日本に入ってきた近代化理論というものの流れをくんでいるという風に思うわけです。この考え方を産業界に適応させたものがいわゆるスクラップアンドビルドという政策であります。資本から見て効率の悪いものは潰していく、そしてそこの資本とか資源とか労働力は効率の高い方へ移動させる、いわゆるビルド、そういう政策でありまして、これも今の政府が進める市町村合併の中には、そういう考え方というのですか、一つの流れというものは生きているように感じているわけです。

 そして最初に典型的に押し進められたのが、石炭産業の合理化、農業の近代化というものであったわけです。1961年に制定された農業基本法の農業構造政策、選択的拡大であります。風土に根ざした他品目の複合型生産というものを続けてきた地域にとって特に私たちのような農山村にとっては、生産体制というものが解体されるに等しいような憂き身にさらされてきたわけです。

 一方、工業を中心とする産業社会化政策は資本制の商品社会、いわゆる大衆消費社会というものを生み出す。人間と自然というものを、人間が自然に働きかけながら生産をする、そしとその主なる価値は使用価値、人間にとっての使用価値でありますが、それを重視する世界から人間と自然の関係が人間と商品という、商品も自然の加工産物に過ぎませんけれども、人間と商品という関係に置き換えられ、そして商品は市場において交換価値というもので測られている、そういうものに転換される。いってみれば使用価値から交換価値へと大きな転換がはかられ、私たちのような農山村では、農業しかないところでは、使用価値と交換価値の格差というものが猛烈に広がってしまったわけです。いくら米や野菜を商品の世界にいれても非常に安い、まとまらないものはダメということになる。そして私たちが買う商品というものは、どんどん私たちの生産したものを販売したたけでは絶対に買えないという社会をつくりだしてきた。だから若者をはじめ全部出ていく。栄村の高齢化率は41%です。2025年に日本の国は25%になるということになっておりますが、現に、農山村は40%を超えているわけです。私の村の41%というのは高い方に決まっています。でも、長野県で一番高いわけではない。5番目です。長野県にはそこら辺のところがウヨウヨしています。

 非常に小さい村が多い、600人なんて村もあります。長野県は起伏が大きく、隣にすれば直線距離にすれば近いけれども、なかなか一緒になれないということで残ってきたわけです。栃木県は市町村は少ないけれども、長野県は120市町村あるわけです。そのうち、市は17です。残りは全部町村でございます。栄村はかなり小さい村ですが、同類がかなりあるわけです。そういうわけで、貨幣収入の少ない農山村の住民は脚下の価値、云ってみれば足下の、ふるさとの価値喪失ということが起こって、自立心を失う、これは、当然の成り行きです。

 しかし、この大衆消費社会が農山村住民だけでなく全ての人間を、市場をはじめ有形無形の組織の支配下に置いてきたといってもいいわけです。自分の意に沿わない、本当はそうじゃないと思うけれども、しかしそうせざるを得ないという人間の行動が常にあるけです。いかに都市社会でもあるわけです。こんなことはまずいと思っても、何か有形無形の組織から、あるいはわからないものからどんどん押しよせてくる風のようなものに流されて暮らすということは、どなたでも、考えてみればあり得ることなんですね。

 私どものところにはゴルフ場はありませんが、ゴルフ場というのは木が生えてないんです。大体、木が生えている所は傾斜が急なんですね、そういう所の方が木がすくすくと生えているですね。石軽山みたいなずっと広がっているようなところが、ゴルフ場にするとなると、木の生えた山林よりずっと高く、その何倍となく売れちゃうわけですね。これは馬鹿らしい。あんなガラ山が、それより丹精を込めた森林より高いなんてありっこないといっても、そういうことでどんどん取り引きが行われると、私たちも価値転倒してしまうわけです。こういうことは山村でなくてもいくらでもあると思います。

 このような状況から脱却するためには、私は、単なる学習では無力だと思っています。どうしても、実践的にやる。ただ、勉強して理屈が少し強くなって、いろいろな会合などに出て発言をするといっても、これが自立、自治に結びつくかというと、必ずしもそうではない。私は、ずっと見てきました。見てきましたというのは、私も職員上がで、特に、社会教育の職員なわけです。これを一番長くやっていました。まあ、彼も勇敢なものを申すなと思っても、ぜんぜん実践をしない。そこから、それは「やることはあなたやってください」みたいな人たちだけではで、やっぱり自立した村、自治、そういうものはやはりできてこない。

 そこで私は、1988年、役場を辞めてから村長に立候補しましたが、そのときに掲げたのが「実践的住民自治」なわけでございます。実践的に、とにかくやらなきゃだめだ、汗かいて、やらなきゃだめだと。もちろんその中から自分の理屈というもの、理論というものを磨いていくということは、これはもう当然必要なんです。しかし、理論を磨くなんていうことは、先ほど、(大平の)町長さんは「うちの町の人はおとなしい」とこういいましたが、雪国の人はなおさらおとなしい。ものを言わない。ものを言わない民。新潟県もそうです。新潟県の人はものは言わないけれども実践力があるんですよ。田中角栄みたいなのもでている。田中角栄がものを言わないことはないと思うんだれど(笑い)、とにかく、そういうネチネチする。でも、なかなか折れない。こうネチネチと、やはり、この黙々と実践をするというのがある。そういうことがある。したがって、私は、もちろんその実践する過程で、みんながこの理論整理ですか、そういう自分の考え方を磨いていくと、あるいは発言もできるようになっていくというのは理想なわけなんですけれども、とにかく、「実践的住民自治を」ということをこのスローガンに掲げてきたわけです。私は、合併(が問題)になって、急に別に住民自治なんていっているわけではないわけです。ちょうど今から14年前になるわけなんですけれども、その時から、そういう風に考えてきたと、必ずしも実践がこうあったわけではありませんので。

2 官治行政の転回を図り地域自治を創造していく

 以下、これから、実践的に住民自治についてお話をしたいとこう思っております。

さて、2番目に、官治行政の転換をはかり、地域自治を創造してゆくと、こういう風に書きましたが、日本は中央集権的な行政であったことは間違いないわけですね。今だってそうですけれども。権限もそれからお金もみんな中央が握っているわけですから、市町村というのは文なしで、自分の税金すら自分で取れないわけです。ちゃんと、特別な税金を取るといえば、許可を得なければならない。なかなか、石原新太郎さえ、訴訟して負けるくらいな、取ろうなんていったって、外形標準税がだめになっちゃうくらいですから。とてもちいさい町村が、自分で発想してお金を取ろうなんてわけにはとてもいかない。みんなすべてこの権限、財政権もふくめて課税権、そういうものすべて握られているわけですから、まったく中央集権的な、この、国家であれば、民主主義とはいっても、こと行政については中央集権国家と言っても差し支えないわけです。

その中で、地方分権一括法がこの2000年に通りまして、以後、地方分権ということになるんですが、一向に握っているものを離さないわけですから、それほどたいしたものでもないわけです。しかし、私は、よく栄村あたりのことを考えて、栄村はなんか権限を委譲されても、自分が権限を持って自由に何かやることは、あまりないわけですね。

でも、今の中ですね、自分たちがやろうと思えばできるということはいくらでもあるという風にこう考えています。委譲、委譲と言うけれども、委譲の前に実践した方がいいわけで、できることはいくらでもある。まあ、課税権とか、だめなことはだめだけれども、しかし、お金を、補助事業でも、自分たちが、自分たちの考えで執行しようと思えば、ある程度はうまくいくわけです。でも、この要綱とか通達に、すべて、こう、何ていうんですか、したがっていれば何もできない。要綱や通達は条例以下なわけですから、別にこの要綱に従わなくても、条例をちゃんと作ってやれば、さっきいろいろ条例を作られるというお話もありましたが、やれることはいくらでもあるわけです。私はそういう主体性というか、そういうものをもってやれば、この官治行政を転換できる、転回できると考えています。

・住民の知恵と技を生かす実践的住民自治で人間復興をめざす

私も実際この問題をクリアしたわけではありませんけれども、特に、私は、その下に出てきますけれども、圃場整備や道直し、ここれを、自分が、自分なり気にやろうと考えたわけでございます。そういう風にしてなんとか官治行政、官が支配する行政、これを転回していかなければならない。住民自治、この地域の自治から、自治のために、創造していかなきゃならない、こう考えました。

それには、どうしても、この住民が最初に、なんと言うんですか、事が始まる前に、まあ、よく教育などでは個性といいますが、それと同じように、大人の成人であっても、住民の知恵と技、こういうものがしっかり生かされる地盤を作らなければならない。住民に力がないとみてはいけないわけで、これは力を出させなかったのが悪いんだと、こういう風に考えなければならないんではないかと、ずっと思っていました。ということは、住民も、そこに生まれながらにして持っている、生活とか生産の知恵が必ずあるわけで、その人その人にあるわけです。これは、親父さんたちもお母さんたちも、分野は違っても、私はこれができるよ、というのがあるわけです。言うなれば、ものづくりのようなことから住民を支援していくのが、私のずっと取り組んできた取り組み方であるわけです。だから、非常に、小さいものまで言われました。小さいものというか、やい、そんなものまでやっても、地域経済のためにならないよ、何ていわれるものまで、熱中して、私も熱中してやりました。

例えば、私の方では、つぐらというのがある。わらで編んだ保温材ですね。それは赤ちゃんのつぐら、赤ちゃんを入れるわらで編んだもの、この辺でもあるかも知れない。こう籠みたいなのです。それから猫のつぐら、大根のつぐら、ご飯のつぐら、みんなあるわけです。大体、編み方は同じんですけれども。ある日たまたま、都会の人が、この猫のつぐらを見て、「これは何?」というようなことになりました。だいぶすすけたようになっていたんですけれども。「これはね、雪国では猫ちゃんが冬になるとはいるおうちです」とそんなような話で、「ぜひ、うちのミーちゃんに作ってくれ」ということになって、それがきっかけで、今度は「作ってくれ。作ってくれ」というけれども、作る人が7、8人しかいなかったんですね。もうそういう技術が退化しちゃっていた。ところが、あまりにも注文があるので、じゃあ、作ろうじゃないか、講習をして作ろうじゃないかなんてという事になりまして、作って、大繁盛になりました。というのは、家の光というて雑誌にそれを載せたもんですから、北海道から沖縄までずっと広がってしまって、毎日のように注文がくるけれども、これを作るのに3日もかかるので、これはまあ大変だというので、人を増やせ人を増やせというので、老人クラブが一生懸命になって、百何十人というのが作り手になり、今でもそれを作っています。でも、当時は作るまで3年待ちぐらいでもいいというので、待つ人あるわけです。それほど、沖縄の猫は入ったかどうかはわかりませんけれども(笑い)、まあ、その中に猫とマタタビというのがある。マタタビの実を入れるとか、葉っぱを入れて送ると、いやー、お金の他に、焼酎がきたとか、ウィスキーがきたとか、手紙が入っていたとか、まあ、わんさわんさとこうなるわけです。

だから、言ってみればね、5000円くらいの品物を3日もかかって作ってやったところで、何も経済の足しにもぜんぜんなりません。でも、人々がワクワクする。栄村、へぇこれでだめだと。いずれ東京へ…。こうなっていたのが、こうワクワクしてくる。これが私は、自立にはワクワクするような精神状況を作り出していくということが、どうしても必要だろうと。これが、人間復興なんですね。この、前に支配されていると言ったのが人間疎外ですう。意地悪するんじゃなんです。とにかく自分がそうかと思ってもなかなか抜けきれない。それが人間疎外かなと思っています。こんなことはありっこないじゃないかと思っても、どんどんどんどんやってくるものですから、仕舞いには降参してそういう行動に移っていくというのが人間疎外です。これが、案外日本で取り上げていない。学者先生も取り上げない。人間疎外の打破ということが案外誰もやらない。これを私は最大の欠陥だと思っている。人づくり人づくりと、疎外された人間を人づくり何ていうことで金かけてみたって、全然作れるはずはない。人づくりになるはずはない。勢いが出ていくのは、疎外を取らないと、取ってやらないと。それというのはそれでなんかワクワクしちゃって、「いやー、これは俺だって大したものじゃないか」という気持ちですね。

うちの老人クラブで、本当は、わら工芸で品川区で個展を出した老人がいるわけです。それは、自分のわら細工が品川で個展を、都会の人が開いてくれたんですけれども、それでも、1週間も個展を開くということは、これはワクワクしてくるし、「自分もいや、ちったぁなんかできるんだなぁ」というエネルギーというか自信、こういうものは一人ひとりがみんな持っている。かあちゃんたちは料理。いろんなものを持っているわけです。それを行政が、やはりバックアップして、起き上がらせていくというのが、私は、行政のスタートだと、こういう風に思っています。

・行政と住民の協働活動による「田直し」や「道直し」活動

そうでなければ、自立ある住民が、どんどん出てくるということは私はないだろうとこう思うわけです。そこで、まあ、私は、社会教育や最後は企画課長を9年間やりました。その中で散々にそうやって何とか村の人にもう少し勢いを出させようと、それだけやってきたわけです。それで辞めて2年経ってから、村長になったわけです。頃合はできるだけよくなってきたなということで、今度は圃場整備は、ひとつ自分たちなり気にやらせようと、こう考え思いました。

というのは、日本の圃場整備というのは、ほとんど農林省の補助金、農林省の予算の5割以上は公共事業ですから。それで、補助金をくれって言ったら、農林省は非常に農村のためにやっている、それはわかっていますけれども、でも、ちゃんとした構造政策という、さっきの近代化理論にやはりつながる思想を持った公共事業というもので、基準でやってくる訳ですから、当然山村では使えません。水田ならば30a、3反歩ですね。3反歩の圃場を100mの30mですか、それが1枚の田んぼ。この田んぼだというのが構造政策の基準だと。私たちのような棚田で、100mの30mの田んぼを作ろうものだなんて、どえらい金がかかっちゃうわけです。ところが、この平場では、国営だとか、県営だとか、団体営、そういう優遇補助金はあるけれども、私たちの山村には全然ない。国営もなければ、県営もなければ、団体営がいままでたった2箇所ですね。9haで、それしかない。あとは全部それ以下ですから、団地は以下ですから。だから5割なんです。振興山村政策としての圃場整備しかないわけです。それしかない。ところが、補助率が悪い、値段は高い。値段が高いというか、出来上がってみると非常に金がかかている。平場の1.8倍ぐらいではとないかと。

当時、私が田直しをやりだしたのは、平成元年ですから、それはわかりませんけれども。今やると、平場では圃場整備をやると、大体110万円〜120万円、新潟の蒲原の人に聞きましたらそのくらいだと。それでも、しっかりしたU字溝を入れて、大きな水路を作って、道路を舗装してやって、110万円〜120万円。栄村でやると、今やると200万円、やはりそれだけ掛かるわけです。それで補助率は少ない。5割。原則5割です。それに県が(上)乗せるか、村が乗せるかは別ですれけども、5割。まあ、そのような中で、もうとても圃場整備はできないと。当時、私が村長になったころはできないと。

ところが、棚田、これは今、棚田は景観からおおもてで、棚田サミットなんていうので、何やってるかというと、これは今やっているうちはいいわけですが、サミットに飽きれば、棚田は崩壊していくに決まっているわけです。それはわかるわけです。一生、都会の人がサミットっていうので田植えにいったり、草刈りしたり、そんなことをして、私は持つとは思いません。今度、3日に新宿で棚田サミットにお前来いと。棚田をみんな…、私は壊しはしない。ちゃんと新しい形に棚田を整理する。棚田をいじっているからお前出て来いと言うので、まあ、私は行くわけですけれども、しかし、その棚田はそのままにしておけない。だから、如何にしても中型機械ぐらい入るような田にはしなければならない。そこで田直しというのをはじめたんです。

田直しというのは、昔から、農家が、農民が農閑期に営々として自分でやってきたことなんです。それはモッコとか、それからスコップだとかそういうものしかありません。気の利いた人はトロッコぐらいは使いましたけれども、農閑期に自分が自分の田んぼを直してきたのが田直しなんですね。できるだけ田を直して、小作人であっても、田を地主に言って自分で田を直して、作りやすいようにしようというのが、これがこの生き方だったんです。この生き方を、現在に適用するというのが私の田直しです。今は、モップやスコップでなくても、パワーショベルというのがあるわけです。このパワーショベルの職人を使えば、現代田直しができるだろうと考えて、平成元年に村の青年、このパワーショベルの名手といわれる青年をチャーターして、まあ、リースですけれども、リースを機械ごと、技術ごと、一切リースをして、これは村がリースをして、農家の代理人になって棚田を直す、それだから田直しと。広いところをやるわけではありませんので、土地改良法を使って換地処分をするとかそんなことはないわけです。ただ、筆が何箇所かを1つ、1枚になることはありうるけれども、いくらでもできるわけですね。それで、最高40万円でできないかと、10aあたり40万円でできないかとということで、彼と話したら、40万円あればできるというんです。その当時は、圃場整備でも、平成元年ころは200万円したわけじゃあないわけです。せいぜい150万円か、4、50万円だと思うんですね。安いところでは、130万円ぐらいでできた。でもそれを40万円でやれと。

40万円というのは、私は、その圃場整備をして、農家が借金を抱えて、せっかく手入れをした山林を売ったり、それから出稼ぎに行ったり、こういうのがはたして農政といえるかということです。自分の米を作る圃場整備をして、山を売ったり、出稼ぎに行って、ろくな作り方もできないようなことしてしまえば、何のために圃場整備をしたのか、わからないわけです。そういうことは農政上あってはならない。われわれのやる地域農政は、米の販売代金の中から出せる範囲だと、それが20万円だと。でも20万円では絶対できない。だから、村が5割出して、40万円ということにしたわけです。平成元年に40万円で始めて、いまだに40万円でやっているわけです。20万円以上かかるところはやらないでくれと。とりあえず。これは、ペイしないわけです。今の米価から言っても絶対そんな事はだめなのです。20万円ですと。私のところは魚沼コシに近いところで、今だって約2万円はするわけです。売り方によっては1俵2万円はするわけです。そうすると、2俵売ると4万円になるわけです。私のところは圃場整備の農家の負担の20万円は、1年据え置き5ヵ年償還ということになっておりますので、4万円なんです。1年のコシヒカリ2俵をそれに充てる。言ってみれば10俵とれるなら、8俵で5年我慢する。8俵しかとらない人は6俵で5年我慢する。そうすると、みんなが圃場整備のお金は終わるよと。これが、こういうのがよくわかるんです。補助率が何パーセントでとか、いったってよくわからないわけです。話はこういわないと。

それと、自分の田んぼを直すわけですから、全部自分が支配するわけです。ここをこうやれというのは、オペレーターに命令するのは、農家です。その方が自立心が高まります。土地改良連合会の役人が、みんな測量して、さあ終わりました、換地処分だ、それで換地会議があって、おまえのところはこうだ、いくらだなんて買い物すると同じようなことになっちゃうわけです。そういうのでは、それで、金の工面はどうする、農協行って頭さげるみたいなことをばっかりやっていると、これは農家が活き活きするはずがないわけです。そういうことをできるだけ避けなきゃいけないわけです。しなければならない場合もあるけれども、そういうことは、みんな組織に、自分が作った組織に自分が支配されているということですから、私はこれでは自立にならないということで、田直しをやっています。

そして、平成5年になりましたら、「村長、田直しもいいが道も直してくれや」というような話も出て、じゃあ道直しもやるかということで、今、道直しをやっています。今年は3本、去年は6本、その前は9本やりました。それからずっとやっています。田直しでは、1200枚の田んぼをちょうど400枚ぐらいにしました。約3分の1に棚田を整備しました。1枚は平均8a、1反歩ないんです。これはあんまり無理しても、できないが、まあ8aぐらい。それで、それが終わったわけじゃないとけれど、こういうことで、農家はこの方式はいいということになりまして、今度は道直し、道直しもやってくれやということになりました。

どうやってやるか。まあ、栄村はさっき言ったように、除雪ですね。除雪をしなければ生きていけないわけですから、この除雪をしなければならない。除雪は大きな国道とか、県道の大きな道路は県がしてくれるわけです。ところが、栄村は山村ですから、散居なんですね。みんなこう並んでいるわけじゃない、あっちに1軒、こっちに1軒と集落の中をあちこちこうなっている。それでそこに行くに曲がったような道がそれぞれついているというのが集落になって、今までやってきて形成されてきている。それで、除雪しなければ、各家から除雪道路までカンジキで踏んでくるわけです。それでそのカンジキで踏んだところをお年よりも、子どももみんな歩くわけです。あるいは若い人は大きな道路のところへ車庫を作って、そこに車を置いて、また家まで歩いていく。まあ、こういったところです。

ところが、これをやっていたんでは、今、栄村では暮らしてゆけない。そういうことがはっきりわかったわけです。ということは、今、宅急便で、あの佐川急便にはこういうのはあるけれども、まさか各戸へ歩くなんてというのは、誰も引き受けてがなくなっちゃうので。限りなく各戸の方へ、軽トラぐらいの自動車がいくことにしないとどうにもならない。それには、一斉除雪というのをしなければならない。今、除雪車は7tあります。7tの除雪機が自由に入れないと、早朝に除雪するということが困難なわけです。これをしなきゃならない。それには、どんどんどん集落の中の道を作らなきゃならない。ところが、これを補助事業、補助事業もいいんですが、まず割り当てはない。こんなに栄村ばっかりに、そんなに地域村道の割り当てなんてあるはずがない。それと割り当てがあっても、道路構造令とか、CBRだとか、どのくらい掘れとか、まあ必ずそういうことを言うに決まっている。でも、もう地盤が悪いところもあるし、硬いところもある。ちょっとくらいカーブがこうであってもいい場所もある。だから自分たちで、自分たちの意に沿うようなものを作ろうというのが、やはり道直しです。

冬季のオペレーターを5人だけ残しておきました。4月1日に臨時職員として雇って、そこに村の職員がついて、建設班というのものを作って、それが主体で地域の人とやります。用地調査等全部沿線の人が自分でやる。いくらということも自分で決めてくださいと。ただし、上限は村で決めますと。限り無しに上がっては困るので、上限は村の規定だと。それ以下ならば安くてもいいと。どのくらい安くてもいいと。ということは用地費の3割は負担してもらうという約束になっております。それから砂ガラス、U字溝そういう材料費の25%はあなた方の負担ですということになっています。そのかわりお互いに安くやりましょうということでやっているわけですが、今、だいたい平米、下層から舗装までやって平米1万円、平均1万円。7000円くらいでできるところもあるし、場合によっては13000円ぐらいのところもあるわけです。そして今私たちが作っているのは幅員が3.5mから4m、これはどっちでもいいんですが。とにかく、3.5mなくても除雪車は入るのですけれども、毎日雪が降りますので、堆雪帯というのが多少ないとできないので、最低でも3.5mという事になっております。1万円だと、1m35000円という、これは安いともいえない、高いともいえないかもしれないけれども、今、農道やると35000円ぐらいかかるんですね、平米35000円、補助事業で。1万円だから3.5分の1だということになるわけです。これで全部できているわけです。

それで、この頃「嘘だろう。まあそんなので除雪なんてできるはずはないよ」と、財務省から香川という公共事業総括主計官というのが栄村にきたわけです。村長どうやってやっているんだと、塩川大臣がいって聞いて来いと。田中知事がなんか言ったらしいんですが、そんなに金をかけなくてもできるみたいな事を言ったらしいんです。まあ、私は補助金が要らないとは言っていないと、全然。補助金は欲しいんだと。だけれども、あなた方の支配する補助金では使えないんだと。もっと自由にやってもらわなければ困ると。あなた方が、あなた方というかこれは国土交通省ですけれども、あまりにも厳しい管理下に補助金をおくから我々が使えないと言っているわけです。もっと自由にやれば、私たちのように安くやれるんだと。これは国家の利益であり、町村の利益だと。まあそんな事を言ったらば、ちょっと行ってみようとなんて現場へも行きましたが、「へぇへぇ、これはこうできるんですか」なんて、そう言っていましたが、これは各町村に迷惑かかるか、そうでないかちょっとわかりませんけど、安くできるんだからみんな今度公共事業削っちゃえなんていうことになればですね(笑)、これは困るんだが、私は補助事業はいるとこう言っている。絶対いるんだと。ただ、あなた方があまりにも細かい、地域にもあわないような基準というものを押し付けてくるから使えないでいるんだという事を強調しました。

3 住民参加による地域の福祉と循環経済で安心ネット

さて、次に移らせていただきますが。まあそういうことで、出来るだけ住民参加による地域、福祉、特に行政といっても、いうなれば福祉なわけで「道なおし」といっても福祉なわけです。それと栄村のようなところではなかなか効率のよい産業が立地できませんので、どうしても地域に循環的な経済を考える以外にないというのが私の基本的な考えです。財政も含めてこれを地域で金をぐるぐると回すんだと、それを早く早くフル回転すれば都市みたいに楽になるんだけれども、あまり回転数がでてくるかどうかは分かりませんけれども、できるだけ回転させていくという以外にはないんではないか、そうして安心ネットを作っていく、多少生産性が落ちてもしようがない。でも、栄村で暮らしていれば安心だよという安心ネットは作らなくちゃならないと思っています。

・住民による雪害対策、介護ヘルプ活動と住民の労を連関させる

そこで、栄村は住民に対する雪害対策に取り組んでいます。介護も雪と関係しているわけで、雪が沢山降ると屋根の除雪すらできないという家庭が出てきます。80歳くらいになりますと自分の家の屋根に上がって除雪ということはできない。もし、無理して上がれば落ちて亡くなるというのは雪国では沢山あるんです。50歳代でも亡くなる方はいるんです。もう、こういう危険なことはさせられない、もし、そういうことが続出すればマスコミが黙っていない。それは分かっている訳です。だから、なんとかしなきゃいけない。

これは補助金じゃだめで、やはり、村が物理的に力で排除してやらなきゃいけないだろうと考えて、私たちの村では、雪害対策救助員というものを12月15日になると特別公務員として15名雇います。そして、そういう方がお年寄りの家の除雪をします。栄村はだいたい5、6回降ろさなきゃならない。これは、申請に基づいて民生委員が審査して村長が決めるというわけですが、無料、有料と二つに分けています。今、160世帯あって、15人ですから、一人あたり10軒以上ということです。それからブルトーザーの行かないところは、朝、除雪は7時半ころまでに全部やっちゃうんですね。75キロ捨てる訳ですけれども、それでも、まだ自分の家まで道が着かない。冬ですよ。そのため圧雪をしなきゃいけない。そいう圧雪の人も頼むことにして、道踏み支援という、そういうものを全部村が雇ってやるわけです。その場合、当然報酬を払う、屋根の除雪は1日11500円です。道踏みはわずかな時間ですからそれほどでもありません。そしてその人達と救助を受ける世帯を絶対ぶつけないようにして、離してやっています。有料の世帯は料金を役場に納める。時間1140円位ですが、救助員が行って何時間やったという記録が村に来ます。有料の世帯からは、先ず、村がいただく。高齢者でも扶養親族が長野市にいるとか、しかも、校長しているとか、東京で小さいけれども社長しているとかという世帯もあるわけです。ただ、スコップもこないし、降ろすといっても不可能だから村がやっているわけです。その場合に、賃金は作業員に払う、いただくのは村が入って金を回すということにしています。無料はもちろん無料ですが、無料の場合でも、賃金は作業をした人に払います。これを、財政を使わないで、素通りで、除雪をしていただいた人が人夫賃を払うということになると、サービス競争になる。隣の市でもそうなっています。あそこはラーメンがでたとか、あそこはお銚子がでたとか、どんどんそうなっていく危険もあるし、遠くの人を頼んだとかいろいろあるわけです。行政が出して、財政から賃金としてまわせば、賃金は18万から20万円になるわけです。そうすれば、所得税を村がもらうことにもなるわけです。相対で全然わからなくなっていれば所得もグラグラしちゃうわけです。こっちは、村が払うわけですから記録もキチンとなっているわけです。だから、これは所得税なり、村民税の所得割りにも関係するわけです。

それから、介護ヘルパー、介護保険が始まるときに、栄村では、今、合併しなくても役場から45キロ位の集落があるわけです。しかも、新潟県を30キロも廻って自分の集落に行くというところもあるわけですね。新潟県の峡谷を上がって集落にいくというところもあるわけです。こんな村で、しかも雪が降って140日も雪が中に入っているというところで、専門の職業ヘルパーがいても話にならないわけです。夜間に来いとか、泊まってきたということになれば、介護メニューにないお金ばかりがかかってどうにもならないわけです。そして、泊まってきたから次の日は休みといわれたら目も当てられないわけです。

そこで、私は、最初から住民にヘルパーになってもらおう、住民のなかにヘルパーを作ろうと考えたわけです。そこで、介護保険が始まるまえに村で講習会をしました。ヘルパーになる人、手を挙げて受けてくださいといったら、2回講習をやりましたが、なんと160人がヘルパーになりました。動機はいろいろありますから、村の事業者である社協に登録したヘルパーは約120人で、後の40人は家にお年寄りがいて介護の技術を覚えたいとかそいうことでした。今、また、2級の講習会を土日、土日とずっと続けてやっています。テキスト代だけいただいて、後は全部村が持ってやっているわけですが、もっともっとできていくと思います。そうやって、百姓をしようが勤めていようが、また、家で家事だけの人もいるでしょう。私は、夜でもいいとか、夕方でなければだめだとか、朝がいいとか、そういう条件付きで社協に118人登録してあるわけです。

そして社協があそこに行けここに行けと指示しますが、自分の回る範囲は下駄履きで歩ける範囲ということにしてあります。そこで問題になったのが隣のかあちゃんというか、顔見知りから介護を受けるのは嫌だとか、介護をするのは赤の他人の方がいいとかあったわけです。それは予測していたことですが、これをクリアーしていかなければ絶対栄村の介護保険会計なんて持たないよ。あなたがた、3000円、5000円と保険料を取られるよ。そうなるに決まっているよ。だから、隣の爺さまから尊敬されるようなヘルパーになりさえすればいいじゃないか。自動車に乗ることもない、下駄はいてちょこちょこと夜中でも行って介護してくればいいじゃないかと。案の定、今では、だいたい慣れてきて、隣の人もそんなに抵抗がなくなってきました。

一部地域は、昔から銀行もなにもない隣の人に助けてもらわなくちゃいけないような秋山郷という地域ではではそういう習慣がある。こういう平場にくると少々難しいと私は思っていました。隣の人何するぞ、俺はタクシーですぐ行くぞという人もいますので、これはなかなか難しい。栄村だからできるのかもしれませんが、栄村には職業ヘルパーというのはいません。下駄履きヘルパーなわけです。でも、私は保険を使う限りボランティアではない。完全にライセンスを持った一人前の職業人として、介護をする時間は専門家として扱います。従って、給料は払いますということで、平成12年から3年間は一時間当たり900円払いました。それから深夜は5割増し、中深夜というか夕食から夜10時頃までは2割5分増し、これは公務員の超勤の割合と同じですが、払ってきました。

そして、3年が過ぎたわけですが、厚生省、県も入って算定した1号被保険者の保険料は1967円でした。これで3年間やってきたわけですが、1800万円ほど余剰金がでました。これは、払った保険料の余剰なんですね。精算しますから国からもらい過ぎた分は返さなければならない、残ったものは保険料なんですね。1800万円も保険料を残しちゃって、残せばいいというものではないんですが、みんなが遠慮したかのかなとも思いますが。そこで、多少下げて、今度の改定では1950円にしました。0.8パーセントの引き下げです。長野県で、保険料が1000円台というのは我が栄村だけです。あとは、みんな限りなく3000円に近い、長野県の平均は約3200円ですから、1950円というのは長野県平均の6割です。それでもやっていけるわけですから、何も財政単位ばっかりをを広くしたからといってだめなんで、財政単位を広くして介護保険の中味が分からなくなると、無責任というわけではないが、国民健康保険と同じようになっていくわけですね。一番高いのは、北海道の鶴恵村は5800百円です。それから、一番安いのは山梨県の秋山村で1783円ですから、これだけの差がでてくる。それぞれの事情があるからどれが適切、非適切とはいえない。ただ、財政単位を広くすればみんな安くなるんだという安直な考えは嘘だと、財政単位が広くなると無責任体制もできますので、みんな施設にいってしまって、在宅介護ゼロなんてなると、爆発的に多くなる。長野県は医療では先進県ですが、介護保険では先進県ではなくなりつつある。県平均で3200円というのは低い方ではありません。

ヘルパーにお金を払うタイプ、お弁当を届けるとか簡単なことはボランティアでやっているけれども、いやしくもヘルパーの資格を問うものは非常勤であっても専門家ですから、これはプライドに影響するわけです。これをボランティアなんてことで漫然とやっていると自立心が湧いてこない、短時間でも専門家だよといって、必ず一年に一回は専門家を呼んできてヘルパーの講習をやることで、彼女たちの自立心も湧いてくるはずだろうと思います。専門家としての下駄履きヘルパーに、一時間900円のときに今までで一番多い人で月約6万円をお支払いしています。今年、平成15年度は下駄履きヘルパーにお支払いを予定しているのは1200万円です。120人いるわけですから、一人当たりにすれば大したことはないですが、全員が平均にやるわけでもないですし、やはりひとつの所得にはなる。栄村は働き口のない、パートに行きたくても行くところもないというところですから、せめて社会福祉であってもそういう労働を財政と繋げているわけです。

・(財)栄村振興公社、(有)栄村物産センター、農産加工センター、スキー場に地域産業連関の役割を担わせる

その他に、財団法人栄村振興公社ですね、これは5000万円を栄村が出資して、栄村の観光施設を賄っているところですが、消費税込みで約3億円、消費税を抜くと約2億8000万円が売上の総額です。正職員16名、臨時職員が10名位、それからパート等含めて35名位が働いています。財団法人ですから3000万円は財団の元手で、これはいじれません。2000万円は運転資金です。昭和61年(1986年)に設立してから17年間ですが、一般会計からは一銭も支援をしておりません。全部、自前でやっております。村の職員も一人もおりません。私が兼務の理事長ですが、常務理事が別におりますので、私は判を押すくらいな仕事しかしません。もちろん財団法人からは給料は一切もらっておりません。現在、7割くらいは村に支払っています。

3億円売ったといっても3億円使う訳ですから、云ってみれば収支トントン位なものです。平成14年度は税金のこともありますので村に400万円入れていただきました。村はこれを使っているわけではなく、積んであります。一旦緩急ある時には、出すようにしてありますから、もらっているわけではありませんが、この不景気のなかでなんとかやっております。ただし、公社は、税金で作った公の施設を使って商売をしているわけですから、自分たちの給料を取っているだけじゃだめで困るわけです。酒、ビールはもち論、米野菜など一切を必ず村から買わなければなりませんよということになっております。これは、必ず公社がどこそこに払ったという明細を示すことになっています。これが支出の70パーセント位です。栄村は900戸少々ですから、3億円の70パーセント2億1千万円というと、1戸当たり21〜22万円払った勘定になるわけです。これは、1戸1戸配るわけではないですが、そうなるわけです。お酒でもディスカウントショップでは一年間買えば900円位で新潟からきます。でも、公社が買っているのは1700円という村の小売りの酒屋から買っています。1升で800円も違います。公社がもっと採算を上げようとすればそういう手もあるわけです。でも、そうやったんでは地域の循環経済は保たないということですね。だから、あえてそうさせているわけです。

公が商売に手を出すというのは、30数名の職員の給料を賄うためにやっているわけではなくて、地域の経済にどういうインパクトを与えるかということでやっているわけで、これを徹底しなければならない。議会には反対の人もいます。もっと利益を上げられるはずじゃないかと。それはあり得ますが、そうではない。私は、もっと循環ということをやった方が栄村にはよいと思っています。栄村物産センター、農産加工センター、スキー場、スキー場も30人位雇います。まだ、少々赤字なんですが、でも30人を雇って2500万円位の支払いをする。スキー場は確かに赤字なんですが、スキー場があるお陰で公社の宿とか、民間の宿屋で人間が増えているわけですから、そういうことも見ないと、ただ単細胞ではまずいんではないか。やはり循環的な役割というものをさせていかなければならない。このように地域産業の循環もずいぶんやっております。

・(財)環境さかえ

いくら山のなかでも現在は、下水道というものは作らなきゃならないわけです。若者定住だとか観光だとかをやるためには、山の中だから下水道なんて要らないんじゃないかというわけにはいきません。今、我々が利用できる方式には農林水産省の農村集落排水事業と厚生労働省の個別合併浄化漕の二つがあります。県を通じて農水省から盛んに、栄村は過疎だし、過疎債もあるし特別対策だからやれやれといわれて、3箇所やるこことにしました。連たん区域で一つやりました。役場の近所120戸、役場も1戸と数えてやりましたが、13億円遣いました。1戸当たり1000万円超えているわけですね。いくら補助金があるといっても一戸当たり1000万を超えてはあと2箇所はできない。さらに、村中やれば下水道のために村がひっくり返ってしまうということになりますので、一切止めまして、今は合併浄化槽にしています。合併浄化槽も村内11社から集まっていただいて、「有限会社環境さかえ」という会社を立ち上げていただいて、その会社から全部やってもらう。村が事業主体、それで施設は村の所有にする。爺ちゃん婆ちゃんに検査しろとかいってもしょうがないので、管理一切は村がするということにしました。一つ集落排水は作りましたが、みんな平等にするということで村がやっています。全部村の業者に委託です。村が設定した額でストレートにやる。おかしいんじゃないのという人もいますが、公共事業じゃなくて個人でもやれるわけで、それを村が代理してやるにすぎないわけです。そうすると、浄化槽をやるには土木屋もいれば、管屋もる、電気屋もいれば、大工さんもいる、しゃかん屋もいる、いろいろいるんですよ。家の中も直しますので、風呂屋もいる。それがみんな集まってやると丁度仲良くやれるんですね。それで、1年間で4、5千万円にすぎませんが村の業者に出すことができるんです。私は、循環型というのは当然、農村では考えなきゃいけないと思っています。

4 小規模(農山村)自治体に迫る平成の合併問題

最後にあと5分になりましたが、これは、今日私に課せられた課題ではないんですが、市町村合併について一言申し上げたいと思います。

農山村というのは、行政体であると同時に地域共同体であるということをしっかり認識しなければならないというのが私の考えなんです。行政体、いってみれば予算を持っている、そして職員を置く、そして法律に基づく仕事をやる、これが行政体の中心であります。権力を伴わない仕事もありますが、行政体というのはそういうものです。予算、収入と支出をバラバラにするなんてことは行政体では許されないことです。そういう行政体であると同時に地域共同体でもあると思うんです。さっき言った「道直し」からいろんな人々が結んでいくという、この共同体で農山村というのはある。決して栄村役場で全てがやれるという地域ではない。地域共同体が壊れれば、栄村役場がいくら歯を食いしばっても村が保っていくはずはないんです。だから、地域共同体を壊すようなことをしてはいけない。でも、行政体というのはちゃんと収支のバランスを取って、職員を雇い、キチンとした公共サービスをするというのが使命ですから、これができないというのでも困る。これをどこで調和するかというのが自律か合併かの対抗軸だと思います。

私は、これが今ないと思います。この対抗軸で話が進んでいない。特例債がどうだとか、(平成)17年3月がどうだとか、あるいは交付税がどうだとか、そういうことが一義的であって、みんな対抗軸抜きの話になっている。これは、最大の欠陥だと思う。国も行政体を強くするということだけに今汲々としている。共同体なんて壊れていいとはいわないけれども、大勢集まって効率のある自治体にするんだよといっているだけなんです。それが自立できる基礎的自治体、自分の税金で自分が賄っていけるような自立できる自治体、いってみれば行政学の本みたいなことばっかりいっているんです。全然、社会学もなければ社会的な動き方を見るなんていう観点は全然ないわけです。栄村のように何処の都市に行くにも非常に遠い、自分の役場に行くのに30キロも40キロも走らなくちゃこれないところが、さらに30キロも40キロも先と合併してどういうふうになるのと。そこの公共体が崩れるよいうことがある。だから、私は、何処でも一律にやるという方法は邪道だといって息巻いているわけです。私が息巻いたところでどうにもならないですけれども。

しかし、できるだけ組織に巻かれたくない、私は今山村振興の全国の副会長ですけれども、今度は(群馬県上野村の)黒沢村長の代理でやることになったわけですけれども、総務省にいっても「山村はいいですよこれからは山村の時代ですよ」なんて言うですよ。「よかったら山村残せばいいじゃないか」というんですが、「それは、まあ」となるんです。これは組織人なんです。財務省の役人も、本当はそうじゃないだ、これは無理だとわかっていてもやるわけですから。財務省の役人自体が疎外されているわけです。ウソだ本当じゃないということをやろうというわけですから、でも、やらざるを得ない。そういう空気が全部流れてくるからやらざるを得ない。私のところも、矢祭町の根本村長のように自立すると明確に宣言したわけではありませんが、私は、今、そういう方向で村民と栄村将来像モデルづくりをやっています。モデルだから、村長の給料はいくらだなんて考えることはない、20万円にしたかったら20万にすればいい。財政体としてちゃんと成立しなければならないことも事実なんだから、議員も10人にしたかったら10人でいい、モデルなんだから、それで作って「これでどうだ」といって、「いやそれじゃ」ということになれば別な考え方もあるけれども、そでいいということになればそれでいいじゃないかと。でも、いまいちわからないのは財政政策で、国の方が三位一体でなく三位バラバラでよくわかりませんが、合併については答えが出たというふうに考えています。

丁度時間になりましたので、これで終わりにします。どうもありがとうございました。


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