第3期とちぎ自治講座 第2回講義

「自律(立)計画」の実際―各地の実例から

開催日:2005年2月19日(土)
開催場所:宇都宮大学農学部南棟4階 3401教室
講師:自治体問題研究 竹下登志成所事務局長


 ご紹介いただきました自治体問題研究所事務局長の竹下です。
 『住民と自治』2月号にも書きましたが、「小さくても輝く自治体フォーラム」という集いをここ2年間、半年に一度ずつ4回開いてきました。ちょうど一昨年の今頃、長野県の栄村で第1回を開いたのですが、地方の小さな町村、例えば人口1万人以下の自治体がどうやって生き残っていくのかをテーマにしたこの「フォーラム」がどうして生まれたのかについて書きました。ご承知のように、現行の合併特例法が今年3月で期限切れを迎えるわけですが、この合併特例法にどのような意味があったのか、それから今日の本題ですが「自立計画」、律する「律」と「立つ」と書く両方がありますが、このあたりの話も申しあげながら自律計画の意味、あるいは自律計画についての新しい動きがどう全国に広がってきているかということが、今日の私の話の中心的なテーマです。

はじめに―「三位一体の改革」に翻ろうされる自治体。それでも残る2400自治体

 つい数日前、全国知事会の新しい会長が福岡県知事の麻生渡さんに決まりました。ご承知のように初めて選挙になり、岩手県の増田知事と対決をして麻生新会長が決まりました。前期の梶原拓岐阜県知事になるまでの知事会といのは、あんなにマスコミに出ることがない地味な存在でした。明治期以来知事会が表に出て、独自の行動や発言を発することはこれまでほとんどありませんでした。政府に対してお願いをする一方だった知事会が、どうやら今回の「三位一体の改革」の中で、とてもお願いだけでは自治体の存在が危ないということで、「たたかう知事会」といったネーミングまで生まれたほど政府や総務省に力で対抗しました。そうした姿勢をとらざるを得なかったほど、「三位一体の改革」は地方自治体の存在を危うくするものだったわけです。 
麻生さんは最初の声明で、これまでの路線の継承をいいました。これは知事会の存在力、あるいは知事会を先頭に地方六団体の存在力をこれからも主張し続けるという意思表明だと受け取れます。これから道州制など新しい問題を迎える中で、地方六団体がどういう方向性を描いていくかがこれから問われていくでしょう。そういう意味で、もう「お願い型知事会」には戻れないのではないかと思います。
「たたかう知事会」との対決の中で、昨年暮れ、政府の方もこれからの「三位一体の改革」について言質を取られました。「地方の言い分を聞かずに地方に関する国の方針をまとめることはもうしない」ということです。こうして「三位一体の改革」は間もなく2年目を迎えようとしています。
政府が、鳴り物入りで、3200数十の自治体を1000程度に整理したいということで今回の市町村合併は仕組まれました。合併特例法は、期限内に合併を決めれば、合併によって生まれる新しい事業の95%は借金でいいです、しかもそのうち7割は後々国が地方交付税で面倒見るといった特典までつけて誘導したものです。つまりパンや飴までぶら下げて地方を釣って、さらに県からの強い誘導を含めて今回の合併劇を仕組んだわけです。結局のところ、どうやら3月末では2400数十の自治体が残るだろうと言われております。これを、国の成果だと見てとるマスコミもあれば、いやいや1000自治体だと言っておきながら2400は随分自民党政府もだらしないという反応もあります。私も後者の方でして、なぜ2400もの自治体が残ったのかに注目したいと思います。

1,4回を数えた「小さくても輝く自治体フォーラム」
・「地方分権」から「国家財政の縮小」に衣替えした「三位一体の改革」
 一昨年の今頃、粉雪が降っておりました中で、長野県の栄村というところで第1回の「自治体フォーラム」を開催しました。雑誌の記事をお読みいただいた方はお分かりだろうと思いますが、酒飲み話の上から生まれた企画です。その年の9月の末、小さい自治体の言い分をもっと世間に訴えていこうということで、「三位一体の改革」が発表される前に東京で集まりを持ちました。その夜のごくろうさん会にお二人の村長さんがおいでになっておられましたので、私は、その集会を準備するにあたって気になっていたことを率直にお二人にお話ししました。
 政府の側、総務省と言ってもいいかもしれませんが、「合併をした方がいいですよ」という言い分は、国からも県からも矢継ぎ早にものすごい資料が送り届けられ、市町村は、何か合併した方が得になる方向にだけ誘導されていました。ところが小さな町村のほうは、この集会に集まった方々でさえ初めて会うため、お互いに名刺交換なんかやっているわけです。これでは、横綱と幕下みたいなものでして、ほとんど勝負にならないというのが私の感想でありました。小さな町村の中には、俺のところは俺だけでも頑張るんだ、あるいは住民の人たちの意向を尊重すると残らざるを得ないんだとお考えの方たちが、声にならないけれども全国でかなりの数おいでになっているわけです。それだったら、そういう人たちが何故残りたいのかをまず世間に訴えながら、それでは残るための理屈立てをみんなで考えようという場を設けたらいいじゃないか。たぶん、私が酒の勢いでそうけしかけたように思うんです。
そうした事情から、「小さくても輝く自治体フォーラム」が誕生しました。それにしても、陽気のいい頃しかも都会のビルを見ながらがこうした集会を開いても、小さな町村の苦しみや痛みや悩みが伝わりにくいから、この際思い切って真冬に、しかも雪の深い場所でやろうじゃないかと言ったのも、たぶん酒の勢いだったのでしょう。そんなことで、たまたま向かいで呑んでおられた長野県栄村の高橋村長を口説きまして、「じゃあ俺のところで引き受ける」という一言を引き出して、翌年の2月の「小さくても輝く自治体フォーラム」の開催にこぎつけたのです。
第1回とはしませんでした。これ1回で終わるかもしれないとも思いましたし、果して何人集まるのか保証もありませんし、しかも栄村役場の現地からは「一週間続けて雪が降る日が必ず一冬に何度かある、それくらい雪が降ったらバスやタクシーはとても走らない、それでもやるのか」と脅かされながら準備を進めました。結果は全国から600人を超す方が押し寄せました。これが「小さくても輝く自治体フォーラム」の立ち上げの経緯です。

・一貫して置き去りにされてきた小規模自治体
私は、小さな自治体は国から一貫して置き去りにされて来たと感じております。「置き去りにされて来た」というのは結果ではなくて、これから益々置き去りにされつつあるというのが「三位一体の改革」の中味ではないかと思います。小規模町村というのは、例えば小学校にしても、子どもが数人しかいないけれども先生は1人いなければなりませんから、割増金と言いますか、地方交付税に割増のお金=「段階補正」がつくようになっていますが、この「段階補正」がだんだん縮められてきつつありました。
都会の方々の中には、山の上でひとりポツンと暮らしているのは非常に非効率だ、山から下りて平地にみんなで集まって暮らせばいい、というようなことを大真面目におっしゃる方もおいでになります。
先ごろの大きな地震で、全村避難を強いられた山古志村という新潟県の小さな村があります。ちょうど10年になる阪神淡路大震災の場合は、大都会でおきました。今回の場合は中山間地、過疎地で起こったということ、「三位一体の改革」や市町村合併が進む中で起きたというところに今回の特徴があります。山古志村もご存知のように合併することになっておりましたので、そういう新しい条件のもとで今回の震災が起こったということをご理解ください。
国土交通省でしたか真っ先に現地入りまして、調査報告書をまとめていますが、私が申し上げたように山の上に一人ずつ住んでいるというのは大変非効率でお金がかかってしょうがないと考えたのでしょう、街中に団地をつくってそこに集まって住んだらどうかという内容だと聞いています。国の省庁から見ると、小さな町村というのはお金がかかるという印象をもっているのでしょうね。「効率化」ということを国も地方も言うようになりましたが、効率化というのはつまり不効率なものをなくすということです。山古志村のように、一軒ずつ山奥に分かれて鯉を飼っているなどというのは大変贅沢だと言うのです。
 山古志村の錦鯉のあの色ですが、あれは水の中に含まれている成分で付くのだそうですね。本当は鯉は真っ黒なのが普通ですが、ある源流でしばらく飼うと色がつく、それもそれぞれの谷間の流れによって色のつき方が違うのだそうです。ということで、この谷間の水でなければならないのが錦鯉なんだそうです。
同じように、島ごと避難している伊豆七島の三宅島に参りますと、名物にくさやの干物がありますが、あれも似たようなもので、江戸時代からその家独特のくさやの汁を守って継ぎ足し継ぎ足し使っているというものです。つまり、そこでなければできない産業というものを山古志村も三宅村も抱えているわけです。中山間地や離島の人々の生業といったものは、その土地でなければ仕事が成り立たないということです。それを中央省庁から眺めて、あれば不効率だから平地におろしてまとまって住めというのは霞が関の勝手な言い分でして、何とかそういう人たちの生業を守って暮らし続けていける保障はどうあったらいいのか考える。それが小さな自治体が自律を考える大きな要素になっているのではないでしょうか。
 前回、去年秋に第4回「フォーラム」を引き受けていただいたのが、御巣鷹山の日航機事故で有名になった群馬県上野村という人口1500人の村です。 10期目、90歳になられる黒澤丈夫村長さんが、去年の御巣鷹山の慰霊の時に、今期限りの退任を宣言されました。この黒澤村長さんがとても素敵だと思ったのは、自分の村が藤岡市に吸収合併されたら市議会議員を村から何人出せるだろうか計算されました。確か0.6人だったと思います。つまり、上野村からは市議会議員は一人も出せないということです。だとすれば谷間の最奥、山を越えるともう長野県という村が生き残るには自律しかないというお考えから、黒澤村長さんは私どもに大変熱心に協力をしていただいています。初回の栄村からずっと呼び掛け人を引き受けていただき、今回4回目「フォーラム」の会場をお引受けいただいたわけです。

・国に頼れないなら―小規模自治体の誇りをかけた「自律宣言」
 次の、「国に頼れないなら」というのは、今申しあげましたように国からだんだん優遇措置が削られて参りますし、それから「三位一体の改革」初年度には地方交付税がなんの断りもなく12%大幅にカットされました。地震でいうとほとんど激震と言っていいほどで、これに一番地方六団体が腹を立てました。去年の1月の事件でした。
 とにかく地方の暮らしが懸かっているのだ、我々の暮らしが懸かっているのだから、勝手に減らすことだけはやめてほしいというのが「三位一体の改革」に対する地方六団体の要求でした。2年目は、さすがに同じように不意打ちをくらわすわけにもいかず、地方交付税そのものはわずかですが今年度よりはアップをするということになりそうです。
 東京都のような大都市と、上野村だとか栄村だとかいう小規模町村を比べていただくとお分かりだろうと思いますが、東京都は地方交付税の不交付団体で全く国に頼っておりません。それと比べますと、地方交付税に4割、5割頼っている小さな町村はいくらでもあるんです。自分の町村のうちでどれくらい自前の収入を稼げるかというと、固定資産税や住民税それから軽自動車税というようなものを合わせて計算をしても全体の経費の一割にも満たないという町村があります。そうなると、都会に比べて、小さな町村ほど国の動向、国がセキをすれば風邪をひくというくらい影響力が大きいわけです。
 だから、「三位一体の改革」初年度の国の仕打ちについて、「だまし打ち」という言葉がある県知事から語られましたけれども、これは県知事というよりはむしろ小さな町村こそ語るべき反応だったろうと私は思いました。
「民営化」というのがまた曲者ですね。「民営化」とか「民間化」とか言われて、もう自治体の仕事を公務員でやる時代は過ぎたのであって、どんどん効率的な民間に任せてしまえばいいという考え方ですね。もっとも、「民間化」と言うからには、相手の民間がいなければならないわけです。田中康夫長野県知事が下宿をされたというので有名になって読める人も多くなりましたが、泰阜村の松島貞治村長のお話では、民間のバス会社が「これでは採算に合わない」と言って村から出て行ったそうです。ということは、「民間化」と小泉さんが言うような時代になったら、過疎の山村はかえって民間から見放されてきているというのが実際かと思います。国に頼れない、しかも民間に頼れないということで、やはり自律を考えていくしかないというのが実情ではないでしょうか。

・「フォーラム」が巻き起こした変化
 栄村から始まった「フォーラム」が、どういう効果を及ぼしたかについて4点申し上げておきたいと思います。
 第一は、「朝日」その他の報道でも、政府がとにかく潰したくてしょうがなかった1万人以下自治体が、どうやら400〜600ほど4月以降この日本に残るのではないかと言われていることです。そんなに小規模自治体が残ったとすれば、それは「フォーラム」の力がかなりあったと、つまりそういう人たちの結集軸が生まれたということが非常に大きかったと思います。「フォーラム」は全国レベルではこれまで4回開きましたが、その他にも群馬県や北海道でも地方版が開かれてきました。
 また、鳥取県の岩美町という海沿いの町が、ここの榎本武利町長は確か最初の「フォーラム」に来ておられましたが、この間、鳥取県内の自立町村のネットワークを作るから寄っておいでというメッセージを出しておられました。それから、宮崎県の綾町という農業では非常に有名な町の前田穣町長は、「フォーラム」においでなってましたが、全国的な自律町村の結集軸を作るからと呼びかけおられます。そういう意味では、小さな町村連合があちこちに誕生していく、そんな時代になっております。
 それから、第二に、「高齢者の多い農山村それ自体が不効率である」と先ほど申し上げましたが、「だから整理の対象である」、これはあとで西尾試案という話で話をしたいと思いますが、そういう農村が整理される流れに一定の歯止めをかけたということです。
 三点目は、住んでいる方々が、自分達が住んでいる町村の意味を再確認をしたということです。これまでは、住民投票と言いますと、ごみ問題など環境問題を中心とした運動が各地に散発をしていました。ところが、今回の市町村合併を契機にした住民投票があちこちで盛り上がったということは、住んでいる人たちが改めて自分たちの住んでいる町村を再認識して、やっぱり我々は自分たちの生まれ育った町村を大事にしなければならないと再確認した、そういう意味では住民のみなさんの認識をもう一度掘り起こしたということが言えるかと思います。
 第四は、実は合併をした市町村にも影響を与えたのではないかということが言えるのではないかと思います。例えば、静岡市が清水市との合併によってまもなく政令市になる予定ですが、静岡市より人口の多かった浜松市が12市町村を集めて大浜松市を今年の7月1日に誕生させる予定です。1511平方キロという巨大市が新たにできるわけです。ここでも、吸収合併される町村としては役場がなくなる、職員はいなくなる、議員がいなくなるということで、大都市に吸われるだけではないかという反対意見がありました。新しく合併する浜松市はそれを逆手に捉えまして、いやいやそんなことはありません、皆さんのところにも相談の窓口みたいなものちゃんと設けますということで、これまでの市町村独自の制度を維持する「一市多制度」、そして現在の市役所・町村役場を活用した「都市内分権」などの試みを発表しました。都市内分権と言うのは、浜松市一本でものを考えるのではなくて、これは新しい合併特例法の中でもでてきますが、「地域自治制度」というものを設けまして、それぞれの旧市町村単位で懇談会みたいなもの作るわけです。これは、新しい浜松市長がどの程度そこで出た意見を採用するかは全く保障の限りではありませんから、この制度がどういう成り行きになるのかは、やはり住民の力が相当強くならなければ効果は見えてこないだろうと思います。
こうした制度は、早くから合併した兵庫県篠山市や茨城県潮来市の時には出てきませんでした。それから、「一市多制度」もまた、どの程度のものが旧町村単位で温存されるのかということも保障の限りではありませんが、そういう一つの大都市の中での分権制度といったものを構想するような時代になってきているというのも、「フォーラム」に刺激された住民運動がやはり大きな力を及ぼしていると思うところです。
 もう一つ加えますと、上越市という1971年合併して誕生した市がありますが、上越市では旧町村単位に旧議会に変わる無報酬の地域協議会委員という制度を設けまして、その選挙を13日に行いました。旧町村で、市議会議員に出る力のない旧議員さんが手をあげたり、助役さんが手をあげたりあるいは味噌屋のおかみさんが手をあげたりといった面白い話も聞かれていますが、そういう旧町村単位に意思決定の機関を新しい上越市は設けています。こういうのも、旧町村単位のそれぞれの皆さんのいい分を大事にするという意識が現れてきているということです。

2,現行市町村合併特例法のもとで

・「1万人以下」は地方自治体とは呼べない―「西尾私案」のもとで
それから、2番目の「1万人以下は地方自治体とは呼べない」というのは、一昨年の11月でしたか、西尾勝さんという行政学者が発表した私案です。1万人以下自治体は、これからは、大きな自治体と同じ全ての行政を行なう(総合的行政体)のではなくて、ある程度自治権を制限して、県や近隣の自治体がそれを肩代わりするという内容です。「そうか、おれたちのような小さな村は自治体ではなくなるのか」といった恐怖感が、その後小さな町村を奮い立たせたという結果にもなるんですが、そういう状況も起きました。

・「三位一体の改革」初年度のだまし討ち→「たたかう地方」
 それから「三位一体の改革」初年度の、国によるだまし討ちが「たたかう地方」につながったという話を先ほどしました。

 ・「三位一体の改革」の全体像は定かでない―義務教育費国庫負担金、国民健康保険は決着を先送りしたまま、地方交付税は「地方財政計画と決算の乖離是正」(財務省)を残したまま(交付税カットは先送りしたが地方財政計画を圧縮)
 しかし、「三位一体の改革」の2年目、つまり来年度(05年度)予算は確かに地方交付税については今年度並みに交付されるということが決まっておりますが、その後は秋以降の国民健康保険や小中学校教職員の義務教育費国庫負担金についての議論のゆくえにかかっていて、まだ混沌としています。地方からは、中央教育審議会に3人の委員を出させろと言ったら、文部科学省は、この問題は町村は関係が薄いから2人に絞れといった攻防が続いています。
 小泉さんは、先延ばしが好きな人ですね。中をオブラートに包んでおいて、「皆さんの言い分を十分聞いてこういう結論にいたしました」とか言っているんですけども、実は中味の大部分は先送りしているという大変典型的な事例かと思います。
決着を先送りしているのは、もっとあります。地方交付税は地方財政計画と決算が7〜8兆円も違っていて、つまり地方はそれだけ無駄遣いをしているではないかという財務省の指摘があります。この分を何とか削減したいというのが、財務省の本音です。そのために財務省が取り出した典型事例が2つありまして、1つは、国家公務員に比べて高い地方公務員の給与にそれが注ぎこまれているということ、2つ目は9月の敬老祝い金など年寄りへのプレゼントに化けているというのです。
この2つの読み方ですが、1つは地方公務員の給与、つまり人件費はまだまだ下げられると財務省はにらんでいるということ、もう1つは、つまり高齢者福祉にはまだまだ無駄があってもっと下げられるという理屈建てだということです。「地方は地方交付税をまだまだ無駄遣いしている」、もっと下げられると財務省は睨んでいるのです。この話も先送りになっていまして、地方交付税16兆9000億が今後保障される見通しはどこにもありません。これからの攻防戦に懸かっているというところです。

3,「自律計画」の意味

・合併自治体より15年早めに将来計画を立てる
 3番目の自律計画の意味です。「小さくても輝くフォーラム」はもう4回目ですから、もっと具体的に自律計画の内容など、地に足のついた議論をしたいのです。しかし、何と言っても町村長さんを主体とした集まりなものですから、役場の優秀な実務担当者が来られても、町村長さんを立てなければならないということで、「まずは町長にしゃべらせますから」となってしまう。町村長さんは確かに話はうまいのですが、本論に入るまでに時間が来てしまうことがよくあります。
 それで、前回の4回目に呼びかけまして、スペシャルメニューを用意しました。先週の土日に長野県の原村で実務者レベルの懇談会を開きました。ここで、もう少し自立計画について考え方の違いだとか方向性だとかを確認しあいながら、ステップアップを図ろうじゃないかと考えて企画をしました。全国から40人ほどの参加でしたが、そのなかで、まとめに立たれた島根大学の保母先生から、「皆さんの自立計画は、合併した自治体より15年早めに将来計画を立てるという意味で先進自治体だと思って頑張っていただきたい」と報告がありました。どういうことかと言いますと、合併した自治体も自律自治体と同じように財政難が来るのですが、ご承知のように10年間は合併しないものとして計算した交付税額を差し上げます、その後は段階的に切り下げて15年後で合併をした計算の地方交付税額になります、というのが現行合併特例法の決まりです。つまり、合併した市町村も15年先には財政上の優遇措置が無くなって、金がなかったことに気付くに違いない。
そこで、合併市町村が15年先に気づくことを自律町村の皆さんは今気づかれているんですから、自律計画を立てて対応しようというのは15年先輩なんだということです。したがって、自律計画は産みの苦しみであろうけれども、頑張っていただきたいというのが保母先生のお話の趣旨だったかと思います。
 これは確かにそのとおりでありまして、恐らく合併をした自治体は、今は優遇措置で何とか息をついているから、公共事業や庁舎・道路の建設にもお金を回せるかも知れない。しかしそれも借金ですし、十数年たってガクッと財政力が落ちたその時になって借金返しがかぶさってくれば、財政難が一気にやってくるのではないでしょうか。
 ご承知かと思いますが、新潟県の佐渡島がこの間全島一市になりました。佐渡市という新しい市が誕生したのですが、佐渡市は合併をしたらやろうと積み上げた建設計画が、どうやら計算してみるとそんなにできないことがわかって、新市建設計画をのっけから見直さざるを得ない状況に陥っているそうです。そうやって、合併の最初の段階から財政難に気付いてしまうという自治体も現れていますが、自律自治体は合併自治体より10年、15年早めに自律計画を立てるところに先進性があるということです。

・国・県の下請けを脱することができるか?
 
私は思うのですが、国・県の判断待ちだとか、今年は国からいくらお金がくるかなあ、補助金はどうかなあと判断待ちをする状況から脱する。これは、では国に頼らないで全部自前でやるんだということを言っているのではありません。当然、地方交付税制度など国が財政力の乏しい町村に対して、国の定めた行政水準を保障する財政のしくみは今後とも維持しなければならないことを前提にして申しあげています。そういう前提をつけて、国・県の模様眺めでなく、住民の要望を聞きながら自分で積極的に財政のコントロールをしていくよう足を踏み出していくことの意味は非常に大きいだろうと思います。

・住民・職員の意思を確かめる中で―住民参加・職員参加がカギ、集落を基礎とする自治体内分権を実現できるか―それでも住民・職員との温度差がめだつ各地の経験
 
「フォーラム」のなかで一番共通して言われたのは、住民参加・職員参加でどうやってプランを練りあげるかということでした。「参加のシステム」をどう作っていくのかということです。実務者の交流会では、「そう言ったって、私の町では企画調整課だけが一生懸命自立計画を作ろうとしているけれども、その他の職員はそんなことあるのかと他人事のようで困っているんですよ」という話も出ました。
 で、まずは役場内の職員の皆さんにその気になってもらわなければならないというので、地域担当制を設け、職員の人たちに集落ごとの担当者になってもらって、その集落ごとにいろいろな言い分を直接聞いてもらうとか、あるいはそこで懇談会をやるときには必ず出席をしてもらうとかしたそうです。やはり、住民の人たちの言い分を直接聞き取ってもらうということが、職員の人たちがその気になる第一歩ではないかとおっしゃっていました。「なるほどなあ」と思って今日お話しするんです。
 職員のみなさんについては、目のつけどころと言いましょうか、視点と言いましょうか、そういったものを変えてもらわなければ困るということです。もっと地域の人々の意向を汲んでいく。役場だけが仕事をするのではなく、「住民協働」と言いますが、そういうことを通して地域の人々の協力も得ていく。
それから、住民参加という点では、やはり集落を基礎とする分権のしくみをどうやって作っていくのかということが課題だろうと思います。農村集落計画づくりの経験が各地にありまして、長野県の塩尻市だとか山形県の飯豊町でやられたことがありました。そういう手法も参考にしながら、それぞれの集落ごとにどういう要望があるか把握し、それに合わせた手立てを町役場・村役場を中心にきめ細かに作っていく。地道なスタイルですけれども、そういうことではないだろうかと思います。

4,「自律計画」の実際

・住民・職員がどこまで参加できるか―新潟県津南町の全職員参加、しかし住民参加は?
 4番目の自律計画の実際というところです。去年の11月、北海道の蘭越町で開かれた「小さくても輝くフォーラム北海道版」に参加をさせていただきました。その時同席された、襟裳岬に近い平取町の町長さんのお話がなるほど北海道だなあと思ったのは、本州の自治体とは取り巻く条件が違うということです。テレビの「北の国から」などをご覧いただくと、とてもきれいな秋の景色や冬の景色がでてきますが、あれは住んでいる方々にすると冬なんかは命がけなんです。車が雪だまりに突っ込んで朝までは発見されなければ、凍死をせざるを得ないという中で暮らしているんですね。そのために、町村の大きさというものにものすごく敏感で、これ以上過疎化が進んだら生きていけないという感覚が根っこにあります。それなのに、合併構想でもって200平方キロ、300平方キロというすでに広くなっているところをさらに合併によって拡大させようとしているわけです。
この点では、岐阜県は今回、合併が進んだ県の一つですが、当初、北のはずれの白川村を高山市と合併させる計画でした。しかし谷口尚村長が言うには、「白川村が高山市になったら市役所まで85キロある。とても通えないから市役所の職員になって高山市内に移住されると、合掌造りを維持できない」のだそうです。消防団も多くを役場の職員で担っているんですね。だから、役場の職員が住んでいてくれないと、観光の目玉である合掌造りがもたなくなってしまうわけです。それで、知事にお願いして、例外扱いにしてもらったというのが白川村が残った一番の要因のようです。
北海道では合併までこぎつけた町村はほとんどありませんでしたが、北海道に行くと本当に合併できない事情がよく分かります。
それで、平取町ですが、合併しないもう一つの要因として、おじいさんの代かせいぜいその前の代、つまり自分たちが顔を知っている人たちがこの村を開拓して開いたという意識が非常に強いことがあると感じました。この町は自分たちの先祖が築いたというこだわりが非常に強いのです。もう一つは、北海道らしい大らかさです。平取町の町長さんは、「我が町には、貯金がまだ30億ほどある。これを3億ずつ取り崩しても10年もつ。そのうちには世の中が変わるんじゃないか」という、非常におおらかな発言で私は感心させられました。

・自律計画作成の特徴点
 
そうはいっても、自律するには、どうしても長期的な見通しを立てる必要があります。そこで、自律計画を作るに当たっての特徴点についてお話をしたいと思います。
一つは、住民参加、職員参加をどこまで徹底できるかということです。新潟県の一番南に、津南町という人口1万2000人の自律を決めた町があります。ここでの取り組みを昨年、小林町長と一緒に本に書きました。なぜ津南町がすてきかと言えば、全職員と全町民参加で計画づくりを実現させたからです。
まず、全職員参加ということですが、課長がいると話ができないということで課長を外して職員の皆さんを11の課題別の班に分けました。課題というのは、生活環境、定住基盤、農林水産、商工雇用、観光リゾート、保育教育、文化学習、健康保健、地域医療、社会福祉、新行政システムです。それぞれの担当分野別に分けたのかというと、そうではありません。例えば、今まで計画づくりには一切加わっていなかった保母さんもいろいろなチームに配分しています。それで、保母さんはそれまで子供を育てることで頭がいっぱいだったかも知れませんが、ほかの分野にも参加してもらいました。そうやって仕事の専門、非専門を問わずチームを編成して、役場がいましている全部の仕事、1147あったそうですが、その一つひとつを点検し直したんです。
この事業はいくらかかっているか、人件費はいくらかを確かめ、将来その事業が必要なのか、伸ばすのか削るのか無くすのかといったことについて、1チームが17〜8回、全体では192回も夜な夜な討議をしました。「8割くらいの参加」と言っていましたが、出張や病休の人を除いてほぼ全員が出るとこの数字になるそうです。そうして結果的には、1147事業を継続534事業、廃止145事業、要改善339事業、縮小129事業にまとめました。
このまとめをもう1回担当課に返しまして、再度検討してもらうというやりとりをしながら役場サイドの自律プランをまとめました。それを住民懇談会で集落ごとに報告し、相談したわけです。これもスムーズにいくかと思ったのですが、これがなかなか大変だったようです。つまりこの自律プランは、住民の目から見ると「役場の合理化、リストラ策」と映ったようで、それでは町の将来に夢も希望もないという反応であったようです。
その意味で、自律計画の内容は将来の町の姿ですから、どこかに明るさが描かれていなければ住民に受け入れてもらうのは難しいということです。
明るさの点では長野県の原村が、それほどお金はかからないけれども将来展望を作っていこうという取り組みをしておりまして、なかなかユニークな展開をしております(詳しくは同村のホームページをご覧ください)。

・「明るさはないのか?」―リストラ・縮小案との違いはどこに− 財政プラン先行型では必要なサービスまで切られていく
 財政プラン先行型で、必要なサービスが切られていくのではないかという疑問にどう応えるのかという問題です。労働組合の役員さんから必ず言われる疑問です。「これはリストラ計画だ、職員に財政危機をしわ寄せするものだ」と。その通りです。それを否定するものではありません。パイそのものが小さくなってきているときに、どうお金の使い方を再検討するにしても、リストラ計画の側面があることはまちがいはないわけです。リストラ計画は職員に対するリストラもありますし、住民に対するリストラもあります。どこも共通ですが、財政状況については交付税など国からのお金が2〜3割カットされるのではないかという予測のもとに財政プランを立てているわけです。
 さらに財政面では、三つのことが共通しています。一つは、住民税の徴収率の向上といったことが必ずどこのプランにも書いてあることです。全体収入の10%あるかどうかの住民税について、徴収率を上げてもそれほど大きく全体の財政に寄与するようには思えないのですが、それにしても町民の皆さんに協力を仰ぐという点では精神的な効果は大きいかもしれません。それから、同じように料金・使用料の値上げ、値上げとはなかなか書けないので「実態に合わせた見直し」などと書いてあります。受益者負担の徹底です。そのなかで目立つのはやはり保育料です。保育料は多くのプランで上げようと書いてあります。それからもっと勇ましい自治体では、「新税の創設」などということも書いてあります。なかなか新しく税金を取るというのはたいへんです。高知県知事が大変人気があって、ようやく森林環境税を500円上乗せさましたが、ようやくやったという感じです。
 2つ目、支出の点では職員給与のダウン、それから職員数の削減です。これは退職職員の不補充ということも含めて削減です。長野県原村では、例えば15年間で職員の20%カットということを計画の中に盛り込んでいます。この前の上野村「フォーラム」では、長野県の下條村の伊藤喜平村長、この方は経営者なんですが、「あと50%地方交付税を削られてもうちは大丈夫だと豪語した」と翌日の朝日新聞が書いたら、本人は怒って「『豪語した』というのは言い過ぎだ」と言っていました。原村では、ちなみに役場の中の清掃だとか道路の清掃については役場職員のボランティアでこなすことにし、各職員が年2回出動してくださいということで実際にやっていました。
 3つ目は、補助金のカットです。小さな町村は細かな補助金をいろいろ出しています。祭への補助、消防団への補助、町内・村内の野球チームやゲートボールの賞金まで細かく面倒を見ています。私は町村ほどやさしいなあと思うんですが、そういうものも見直さざるを得ない時代に掛かってきているのかなと思います。
 こういうことが、どこの財政プランにも共通して盛り込まれてきています。ただ、津南町の特徴がありまして、さっきの明るさという点にもつながるのですが、小林町長は「何のためにリストラをやろうとしているのか、自律計画を立てようとしているのか」その目的がどこにあるのかをしっかり言っていました。それは、「将来、町民が是非ともしてほしいと思う行政経費を賄うための余裕財源を編み出すためだ」というのです。だから結局、自律計画の目的の2番目のところに書きましたけれども、将来計画でこんな町づくり村づくりを目指したいというものをまずもって明らかにしないと、「お祭りの補助金もゲートボールの賞金もこの際金がないから我慢してください」という身近なサービスの削減計画だけ目立つことになります。
この村なり町を10年先にどんな地域にするのかというイメージですね、そこをまずは役場の中心的な人たちが語ってくれないと、暗さばかりが住民には目立つのです。津南町は農業の基盤整備をここではやってきた、その開かれた農地にこれから野菜を植えて都会に売り込んでいくことをこれからのテーマに据えたのです。それをやり遂げるために自律計画を作るという理屈がまず必要かなと思います。そういう、町・村の中心的なテーマをはっきりさせるということが自律計画の中では大きく求められることを2番目に申し上げておきたいと思います。

・何が自律計画の目的だ?
@その自治体はなぜあるのかという存在証明を
→「これからの行政サービスの中心は、狭い単位の
方がいいものばかり」(長野県泰阜村・松島村長)
Aこんな町づくり、村づくりを目指したい―将来目標を掲げて

 1番目の泰阜村の松島貞治村長のところに戻りますが、松島村長は、これからの行政サービスの中心は狭い単位の方がいいものばかりだという発言をされています。例えば「介護度5」という、介護制度の中で最も重いお年寄りが数人この村で一人暮らしをしておられます。夜中も含めて十数回、ホームヘルパーさんたちがこの方たちを訪問して支えています。それもわずかな年金で間に合うよう、負担も非常に安く抑えられる制度を採っていまして、福祉公社が安くサービスを提供する、その分について村が補助するという制度にして、何とか「介護度5」の方が一人暮らしができるよう支えているわけです。
要するに、「都会に出ていった若い者の代わりに村が年寄りの面倒をみる」、それが松島哲学の言う「村の存在理由」なんですが、そうした独自のサービスは隣の町や村と合併するとたぶん守れない。そして、これから必要な行政のテーマは4つあると松島村長はおっしゃっています。福祉、教育、子育て、防災の4つだというのです。年寄りと赤ちゃんとそれから自然を守るということですね。このどれもが大きくない方がやりやすいテーマばかりだというのが松島さんの言い分です。だから、合併しないという理屈です。 
長野県は国保税の低い県ですが、なかでも泰阜村は、下から1つ目か2つ目で負担の低い自治体です。つまり、皆さん福祉には金がかかると思っているかも知れませんが、実は手厚いサービスを提供すれば国保も介護保険も安く済むことを実績で示したのは泰阜村のすばらしいところだと思います。
つまりこれからのサービスの提供方法を考えることと、自律計画をどう立てるかということとが、ここでつながって考えられるのではないかと思うのです。津南町も集落単位で物事を考えていくことを実地に移しておられますが、そうした小さな単位でこれからの計画を考えていくことが、サービスのあり方にもつながっていきますし、自律計画を立てることの副次的な成果かなと思えるのです。
もう一つ申しあげたいのは、どこにもあるここにもあるという自律計画ではなくで、自分たちの町の10年、15年先を像として明らかにしようというわけですから、自分たちはこういうものを一つの根っことして抱えて生きていくんだということが、このなかで明確になっていくということも大きなポイントではないだろうかと思います。 
今、「一般財源化」という方向が地方分権を理屈にして進んでいます。一番わかりやすいのが、既に行われました保育についての補助金の一般財源化です。それまでは、国から「これは保育を充実させるためにために使いなさいよ」と言って、いくらいくらと配分される使い道がはっきりしたお金でした。それが、これからは個別の補助金でなく「地方交付税全体の中にその額が含まれていますよ」と言って配分されるわけです。これまでは、個別に、例えば消しゴムを買うためいくらと小遣いを上げていたのが、これからは月単位の小遣いの中に消しゴム代も入っているからと言うようなものです。子どもはそれをさっさと食べ物が何かに使ってしまうということは私もよくありましたけれども、保育に熱心でない首長さんであれば、道路に流用してしまうことも可能なのが一般財源化ということです。
しかし、保育を大事にする方であれば、これにさらに上乗せをして保育を充実させようと考える首長さんもおいでかもしれません。そういうふうに一般財源化というのは両刃の刃というんでしょうか、首長さんの方向性によってそれが縮小する場合もふくらむ場合も想定できます。そういう意味で、一般財源化が叫ばれる時代にあっては、何が町民・村民にとってより切実なのかといったことをもっと声高に言わなければ、いつのまにか保育所予算がよそに流用されることがいくらでもあり得るわけです。当然、住民の監視の目も必要ですけれども、「我が町はこれから保育についてはこれくらいのお金をかけたいと思います」という首長さんのしっかりとした信念のようなものが住民に向かって明らかにされることが必要ですし、それから自立する町村ではましてやお金の使い道が非常に厳しくなってきていますので、その厳しいなかで保育についてはこう充実させたいということをはっきりさせていく必要があります。
そういう意味で、自律計画の時代はお金の使い方についても住民の監視の目が強くなってきていますし、それから町役場の方もそういう時代の必要性に合わせて住民たちにきちんと明らかにしていく必要があると思います。

・住民「協働」、職員「協働」の実―長野県栄村、自治体はどこまで仕事とするのか?
 レジュメの最後の方ですが、第4回の上野村の「フォーラム」で新しい視点が盛り込まれました。役場ばかりでなく、住民の間でも自律計画を作っている例を2本ほど、長野県高木村と京都府美山町から発表していただきました。美山町は萱葺き屋根のとても美しい町ですが、その元の助役さんらが中心になって「まちづくり研究会」を立ち上げ、自立した方がよほど我が町の観光資源を守れるという計画書を作りました。ユニークなのは、地域振興会活動といいまして、地域自治組織と同じようなものを構想していることです。集落単位に地域振興会という住民組織を作って、スーパーマーケットもない村なものですから地域振興会がそれぞれの集落ごとに売店を経営しているんですが、そういう振興会を拠点にして役場の職員を派遣してもらい、その単位で計画を作っています。
 計画の中には、観光開発をてこにして都市の人たちと共同して町を豊かなものにしていく内容も含まれています。観光で人が何人雇えるか、そしてどのくらい収入として見込めるかを計算しているところにユニークさがあります。住民の目線で見ている自律計画という点では非常にユニークなプランです。
自律計画は、その意味で私はリストラ計画という側面を否定できませんが、しかし、アイデンティティというんですか、我が町・村がどうやって生き残っていけるかとについての理屈建てをはっきりさせ、何を目的にしてこれからこの町や村が経済活動をしていくのかといったことがその中に描かれる必要があると思います。また、そのためにお金をどれくらい掛けて、そのために職員がどれくらい必要なのかということでもあります。


5、これからの課題

・県の自律支援―長野県・南信州モデル=下伊那ふるさと振興局(仮称)
・事務の共同化推進―長野県下伊那郡南部地域(7町村)の事務共同化

 
もう一つ、最後にユニークな事例として、長野県の下伊那郡のお話をさせていただきます。これは、田中知事の考え方が大きいかと思いますが、つまり小さな町村が単独で自律を考えるのはそれで大きな意味がありますが、ではそうした町村に対して県が何をするのだと、県と自律町村の二人三脚みたいなものができないだろうかと誰でも考えるかと思うのです。それを模索しているのが長野県下伊那郡です。
長野県下伊那郡は、17の町村が谷筋ごとに展開している山の地域です。この中には1000人以下の自治体が清内路村・浪合村・平谷村・売木村・上村と5つもあります。その下伊那郡を3つに北、南、西と分けて、それぞれがこれまで県との共同研究会を作って来ました。
 その結果をかいつまんで話をします。一つは、「地区ふるさと振興局」というものを設けて、県からも町村役場からも人を派遣して、そこを共同事務センターにしようということです。小さな役場の職員は数十人で、それではとても専門家が雇えない。例えば、下伊那郡は森林の中にあるわけですから、森林の専門家を県から派遣をしてもらって、その方に下伊那郡全体の森林について見回ってもらい伐採計画なども立ててもらおうという組織です。こうしたしくみを共同して運営していこうということです。
 もう一つ、町村連合チームもなかなかユニークです。一部事務組合という組織がありますが、消防・火葬場・ごみ処理・救急などの事務を共同してやるということが全国的に行われています。それをもっと普通の事務にまで広げて考えようじゃないかということです。7つ以上の町村がやっている事務で5つ以上の町村が共同できる事務については、共同してやろうじゃないかということです。ごみ問題を手始めにして、職員給与の支払いだとか共済だとかという事務も共通してやっているから、これを共同化できれば人が削れるのではないかということも言われています。4月から足を踏みだす計画ですが、コンピューターも一緒にして国保、健康保険の事務なんかも多分共同化できるといった相談をしているようです。
 ただ、この間話をお聞きしますと、大きな市ですと国保課があって、課を1つなくすことができるのでしょうが、小さな役場ですので国保事務は1役場平均0・3人で1人まで削れないということで痛し痒しのようでした。それで、事務を共同化しても期待したほど職員の削減にはつながらないのではないかと漏らしておられましたけれども、思いつきとしては大変有意義なことかなと思います。そういうものも含めて自律プランを練っていこうと、今、下伊那郡では考えておられるようです。
 こうした取組みが、全国各地で、またこの栃木県でも模索されればお話しした甲斐があります。あちこち飛びましたけれども、今日のお話を終わりにさせていただきます。どうもご静聴有難うございました。

(※本稿は、当日の講義を事務局の責任で編集したものです。文責:事務局)


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