第3期とちぎ自治講座 第1回講義

自治体再編、三位一体改革と自治体自立計画
―自治体自立計画策定に向けての克服すべき条件―

開催日:2005年1月22日(土)
開催場所:宇都宮大学農学部南棟4階 3401教室
講師:宇都宮大学国際学部 北島 滋教授


1.講義の狙い
 今日は、自治体自立計画という課題を与えられましたが、自治体自立計画の策定に向けての克服すべき条件というあたりでお話をさせていただければと思います。
 まず、私のこれまでの研究から自治体の合併についてどういう視点を持っているのかということについて話をさせていただきたいと思います。
私の専門は社会学です。それで、何だそれはということですが、どちらかというと経済学とか法律学、行政学等からすると、ちょっとマイナーなんですね。ただ、日本で研究者の数は3000人以上いますから、学会も3000人以上の学会ですから、そう小さいということでもありません。マイナーというのは、つまり、日本の政府が作る審議会の委員として制度づくりの中枢に入っていく方が比較的いないというあたりが、別に政府の提灯持ちをする必要はないわけですが、そういう意味でマイナーだということです。学問的価値の優劣ではありません。
社会学というと、私どもは人間の行動とか行動が織り成す集団とか、いま話題になっている階層格差の分析は比較的やります。特に、家族問題がいろいろ問題になっておりますが、社会学は家族問題が伝統的に最も得意とする分野です。ですから、それとの絡みで、ジェンダー、上野千鶴子さんなんかは日本のジェンダーの草分け的研究者でもありますが、私はそんな社会学ということをやっております。
私は、1944年に北海道の旭川というまちで生まれて育ちました。人口でいうと今は36万人を若干オーバーするくらいの都市ですが、北海道では2番目の都市です。人口等の成長という概念でいうとやや右肩下がりになってきている地方都市です。大学は北海道ですが、卒業して大学院は、東京です。郷里旭川の某私立大学で職を得てから、いろいろなことやってきました。北海道在住時の私の一番の問題関心は、職を得るということ、専門用語でいうと労働市場の拡大なんです。北海道は一貫して労働市場の拡大に悩んできましたし、現在もそうです。
 ご存知のように、苫東開発も倒産しましたし、連鎖倒産ではありませんが、陸奥小河原開発も倒産しました。苫東開発は日本一大きな工業団地ですが、どういうわけか苫小牧市役所の方にご案内いただいた時に、「先生、ここには鹿の群れが二群住んでいるという世界でも珍しい工業団地なんです」というんです。つまり、ペンペン草が生えているんです。そんなような所ですから、北海道というのは悲願の工業化がなかなかうまくいかない。そのなかで農業もだんだん尻つぼみになってくるという所で生まれ育ち、研究をしてきました。 
たまたま、宇都宮大学で公募がありましたので、応募してこちらに来たということです。1993年ころから、初期セミナーという授業科目で足尾の町に5年ほど学生たちを連れていったときに驚きました。それとの比較なんですが、北海道に企業城下町であった下川という町があるんです。極端な過疎のまちです。北海道上川郡の名寄市の近くにある町ですが、そこは銅山の企業城下町だったんですが、その町を実は調査したこともございまして、足尾に来たときに「あ、やっぱり」と思いました。ただ、一番違ったのは、360度緑が何もない、山肌まで全部出ているというその環境破壊には、さすがの私も松木渓谷を見た時には驚きました。
私は、我が国の企業行動と地域の関係に焦点を絞りつつこの勉強をしてきました。そんなことをやっていると、企業の中はどうなっているんだということで 10年ほど労使関係も勉強してきました。栃木県には、労使関係の弁護士の専門家の方はおりますが、研究者はほとんどいません。そういうこともあって、経営者側から呼ばれなくて、どういうわけか労働組合側から呼ばれるということがあり、いろいろ勉強させてもらいました。そして、今、地域研究という形で先祖返りをしつつあるということであります。それでは研究一本できたかというと、どうも宇都宮大学というところは研究一本にさせてくれないというところがございまして、40代の後半から国際学部づくり、それから国際学研究科づくりの一員として、そして、国立大学の法人化の請負副学長ということで昨年の3月までやってきました。そういうことで、純粋な研究者ということよりは、どちらかというとこの10年以上は行政マンとしても活動してきたということでございます。
 その中で、北海道と、北海道から見ると極めて恵まれている栃木県の両方を見てきた。また、研究のフィールドはどちらかというと東京、神奈川にありましたので、そういう大都市圏の中を見つつ、そこから栃木、北海道のことも考えてきました。その中で得た考え方というのは、単純なことなんですが、楽観主義です。どうにかなるぞということです。つまり、逆境になればなるほど人間というのは知恵も出すし勉強もするし、あるいは知恵を出し合う仲間も形成される。だから人間というのはそんなに捨てたものではないのではないかということです。
ですから、合併問題についても私はきわめて楽観主義です。楽観主義、本当に大丈夫かと町長さんに言われるといや何とかなるじゃないですかという風にお答えせざるを得ないのです。

2.論点整理
 まずは、論点整理をしてみたいと思います。実は、とちぎ地域・自治研究所のこれまでの講座や講演などがございます。これをもう一度読み直したときに、大変大事な論点があるのではないかと思いまして、そこから合併問題を考えていくヒントが読み取れるのではないかと考えました。(※講座、講演はとちぎ地域・自治研究所研究所のホームページ http://tochigi-jichiken.jpに掲載してあります。参照ください。)
まず、神戸大学の二宮先生の「構造改革とこれからの地域自治を考える」というお話は、グローバリゼーションという外的な要因と関わって、自治体の三位一体の改革がでてくるという論点は、なかなか興味深い。ちょっとそこのところを整理したいということです。
 そして、2番目に奈良女子大の中山先生の東京の一人勝ちという話があります。私は80年代から東京の一人勝ちと言っていたんですが、そのなかで栃木県、あるいは栃木県の中の各自治体の地域経済の在り方、方向性について論点を整理してみたい。本当のことを言うと、私は地域経済などという学問が成立するかどうかについてはいささか疑問を持っています。社会学のやつは何を言うかということで怒られるかもしれませんが。
 3番目は、宇都宮大学の教育学部の陣内先生、まちづくりで非常に優れた意見を提起して、目下売れっ子中ですが、陣内先生の住民参加の仕組みづくり、そこから自治体の自立計画を作るにあたって住民参加の仕組みづくりの必要性を整理してみたいと思います。これらの整理から、構造改革と三位一体改革の実像を明らかにして、その中でまちづくり、自治のあり方を陣内先生から引き出してみたいと思います。
 最後に、今、泰阜村の松島村長さんは日本ではニセコの逢坂町長と並ぶ売れっ子の村長さんですが、その方の話を私なりに論点を整理してみたい。整理の観点は、村民と行政あるいは国民、市民でもいいですが、村民と行政の関係の原型を掘り起こしてみたいというのが私の意図です。その時に、伊那谷の地理的状況についても若干お話をしてみたいと思います。皆様の手元にカラーのコピーをお配りしてありますが、実は私、行って来たんです。それが泰阜村の写真なんです。駅は無人駅なんです。お昼を食べないで飯田から飯田線に乗って門島という駅に降りたんです。お腹は空くは、次の電車は二時間半後ですから、インターネットで地図も見ていたんですが、車でないと泰阜村には行けません。見ると駅の下に家が4,5軒あるんです。降りて行ったら簡易郵便局があったんです、そこのお母さんに役場に行くにはどうしたらいいかと聞いてみました。そしたら、その駅の上の山を登って一時間半ほどいけば役場に着くというんです。前にもそういう人がいたというんです。
 何を言いたいかといいますと、地理的な要因を抜いて合併などという問題は考えられないということです。写真の下の川は天竜川です。向かって左側が泰阜村です。右側は二つの町と村に分かれています。ここの駅に降り立った時に、長野県が合併しない市町村に対する支援プログラムと合併する市町村に対する支援プログラムを比較的よく整備しているのは地域的な要因を抜いては語れないのではないかと直感的に思いました。だから、栃木県の知事さんが合併問題に対して口ではいろいろ言うのですが大したことを提案していないというのは、地理的にこんなに平たいところであれば、合併の組み合わせはいかようにでもなる、そこが長野県と決定的な違いではないかなと思いました。伊那地方は、私の尊敬する社会学者で有賀喜左右衛門さんという方の出身地域なのですが、ともかく飯田の周辺は目で見える範囲に町や村がありますが、飯田駅を過ぎて豊橋までの飯田線の間はともかく山、谷の連続です。
 私の主たる論点は、自治体が合併するにしてもしないにしても、その方向性を決めるには自治体を構成する住民諸階層間の利害の調整を克服して、その上で合意をとっていかないと、自治体の自立計画は絵に書いたモチなのではないでしょうかということを言いたいのです。 
私は高根沢町の高橋町長さんにお世話になって高根沢町を去年の6月末に合併問題に関して学生、院生と調査をしました。去年の3月ごろから高根沢町は県内で非常に注目をあびた町だったものですから、私も合併の動向を注目をしていまして、町長さんにお願いして調査をさせていただきました。調査報告書は良く出来たと自我自賛していますが、残念ながらあまり評価をいただいていませんね。

(1) 神戸大二宮先生「構造改革とこれからの地域自治を考える」
 それではまず、二宮先生の「構造改革とこれからの地域自治を考える」という論点を少し整理させていただきたいと思います。なるほどと納得させられるところが多い講演だったと思います。二宮先生は、1995年が変わり目だと言います。私はもう少し前だというふうに思っていますが、つまり80年代の後半、85年の円高不況辺りから大きく変わり始めたのではないかというのが私の持論です。95年でも重なるところがあるので良いと思いますが、その時に二宮先生がいうには、多国籍企業型蓄積、難しい言葉ですが、簡単に言うと85年の円高不況の時に企業はこれではやりきれんということで、東南アジア、東アジアに工場を出していきます。そのあおりが栃木県にもくるわけです。それを国際経済圏の成立あるいはグローバリゼーションと言っても構わないと思いますが、企業の経営行動というのはかなり異なってきたという主張です。
 例えば、ソニーは日本に工場がありますが、それがアジアに出る欧米に出る。工場というよりは現地法人を作って企業を外に出していくという風になったときは、立地した国との系統的な関係を作らざるを得ないわけです。中国で、日本企業が投資をして儲けたやつをこちらに持ってくるということをだんだんできるようにしてきました。そうすると、もう一つは、国内の対応、国内でも収益を上げる企業行動、つまり経営戦略が大きく変わってくるというふうに言えばよいと思います。その時に、二宮先生の論点ですが、経済学の一つの潮流が新自由主義、分かりやすく言うとサッチャー政権の時とレーガン政権の時、それから日本でいうと中曽根政権の時の市場万能主義の経済学と言っていいと思います。これを極端に進めていきますと、小さな政府につながっていくわけです。そうすると、国とか自治体は様々な事務事業をやっておりますが、国内的にいうとそれを民営化させていく、つまり市場の方に任せる。つまり、それら事務事業を企業側が事業化する動きが出てくる。これを規制緩和と言うんだと思います。これが経団連を含めて規制緩和の大合唱で10年以上進めてきたと、二宮先生は主張するわけです。そうすると構造改革というのは言ってしまえば市場化をあらゆる領域で進めることですから、日本はある意味で社会主義国以上に計画的にものごとを進めてきた国でしたので、規制は市場化にとっては邪魔ですから、それを外していく。これが構造改革の主要部分ですが、そうすると必然的に国と自治体、あるいは自治体と自治体の間の関係、そういうものを変えざるを得ないということ、つまり、これが三位一体の改革だと。構造改革と三位一体の改革なんだというふうに言うわけです。それはその通りではないかと思います。
 そうすると、ここがおもしろいところで、1990年代は失われた10年と言われます。わからないわけではない。なぜかというと、日本は80年代の後半から重化学工業的な産業構造から、軽博短小のそれに変わってきた。例えば鉄だとかコンクリートだとか何でもいいんですが、国が景気回復策のために有効需要の拡大をしようとする。そのために財政を発動するのだけれども、日本の産業構造が変化を起こしているときに、産業連関表でいうと、仮に100億円財政発動しても、ちっとも産業連関が拡大していかない。景気刺激を財政政策として90年代に幾らやってもダメだということを、政治家達はそこらへんをあまりよく認識できていなかったわけです。経済学者の責任かどうかは知りませんが。
 1962年に第1回目の全国総合開発計画が立案されて実行されました。今が、第5次の計画です。1962年ですから約43年間にわたってやってきました。これは全て公共事業になりますから、総額1500兆円を投下してまいりました。90年から2000年の間に400兆円投資してるんです。これが、今の財政赤字の根幹になるんだというふうに二宮先生は数字を挙げてはおりませんが、たぶんそういうふうにおっしゃるでしょう。つまり、この90年代の失われた10年で、400兆円投資しても産業構造が変わったために1000兆円くらいの有効需要の拡大が行われるという仕組みにならなかった。いくら亡くなった小渕さんが株を持って株価が上がれといって踊ってもそんな簡単にはいかなかったという状況なんだと思います。結果的にいうと、国と地方自治体が700兆円から  800兆円の赤字を抱えてしまった。
 そうすると、これではやりきれないということで、二宮先生の論点は、新自由主義では所得再分配の問題につき当ってくるのだと、こういうふうにおっしゃるわけです。そうすると、所得再分配と言うのは、社会保障論という分野があるのですが、例えば税金の問題をとってみても所得の高い方からより多く税金をとってという累進課税を進めてまいります。二宮先生はこれを垂直型というふうに言います。所得の多い方から高く取ってこれを所得の低い方に分配していくというのが今までの社会保障の仕組みでした。これを、右から左に変える、水平的に変える。つまり、例えば、今まででいうと村、北海道のニセコ町でもいいですけども、あそこはそれほど貧乏な自治体ではありませんが、自主財源は非常に少ないところです。東京で法人税だとか何とか税だとかを取ってきて、地方交付税の配分でもって全体としてナショナル・ミニマムを維持していくというやり方を今までとってきたわけです。その時の税の取り方というのは、多いところから取って少ない所に回していくというやり方ですね。これで、ナショナルミニマムを実現していくというやり方から、今度はそうではないぞと。もちろん借金もあるということなのですが、東京の石原知事さんがおっしゃるように、オレのところから取ったのだからオレのところで使うというやり方、つまり地域間の所得再分配の制度的見直しを主張するわけです。
 そうすると、地域間の所得再分配の見直しが益々重要になってくる。当然のことですが、弱いところには地方交付税がいかない、削減されていく。一方で補助金の削減も行う。税源移譲というのはもちろん今回ありましたけれども、それでは財政の弱いところではかけようがないというところがほとんどです。したがって、そこのところはどうしましょうかということで、所得再分配を今度は国民諸階層の間でもやるし、それから制度枠で言うと自治体間の所得再分配でも動く、これがつまり三位一体の改革だろうと思います。
そうすると、もともとは新自由主義の発想で財政政策を推し進めていくと、金のある階層のところにはより多く金がいくし、ないところには益々いかなくなる。それを自治体に当てはめると、財源のある自治体はより豊かに、ない自治体は益々貧乏にという、自治体間での所得再分配が極端に行われていくことになるのだろうと思います。だから、弱いところはどうしましょうかという問題が当然出てきます。二宮先生の最終的な論点は、これは国家による統治システムの再編ですよ、そこのところを注意しないとダメですよということだろうと思います。
 考えてみますと、1969年の第2回全国総合開発計画だったと思いますが、あの時既に道州制が出ているのです。あの時はみんな首長さんが解雇されるというようなこともあったし、地方自治を守ろうという全国的な道州制反対もあってつぶれました。その時は、1969年の時ですから田中角栄さんの列島改造論がベースになっていたときですから、過剰流動性(=金あまり)もあって、全国の土地に金が投資され、土地が高騰するという時代でした。その時は、公害問題等々を含めて、全国的に住民運動がものすごく起きて、それで国家の統治システムの箍が緩んだから、あの時は中央集権制の再編成という形で道州制が出されたと思います。それで、確か7州だったと思います。北海道、東北、関東、中部、近畿、中国・四国、九州、それぞれの州都がどこになるかということは分かりきったことですね。札幌、仙台・・・、その時、国家レベルの中枢管理機能が集積している東京の中央、港、千代田区を国の直轄という形で動いたのではなかったのかなと思います。ひょっとしたら四全総のときだったかもしれません。プライバシー問題の発端となった国民総背番号制(国民の個別管理)も出ました。自治省がコンピュータのシステムを、あの時は電気通信システムという古い言葉を使っていましたが、情報ハイウェイを整備して、個々の住民の管理をしますよということで初めて国民のプライバシー問題が出てきました。今はというと、情報ハイウエーも整備され、いつの間にか国民総背番号制が見事に住碁ネットとして実現されてしまった。あとは毎年一つずつデータを入れていけば、100年後には私のパーソナルデータも100個になるということになります。そこまでいったかどうか、4つのパーソナル・データまでは覚えています。二宮先生の国家統治システムの再編という論点はそういうことではなかったかと思います。

(2) 奈良女子大中山先生「公共事業改革と地域経済の再生」
 中山先生の論点は、こんなふうに解釈できると思います。東京圏の一人勝ちだとおっしゃっています。ただ、全国総合開発計画では、第四次を除いて、全て国土の均衡ある発展で動いてきました。中山先生もおっしゃることだろうと思いますが、四全総の狙いは、最終的に一極集中した東京圏の機能を多極分散型にするぞということでした。東京圏内改造で最初動いたのですが、県知事さんなんかがみんな反対して、最終的には多極分散型の形になりましたが、実質的には東京圏改造の方に力点が置かれたと思います。
 全国総合開発計画というのがどのような役割を持って来たかというと、北海道でも鹿児島でも東京と同じように企業経営の環境が平準化するという狙いだったわけで、その狙いが見事に成功した。それが全国総合開発計画の最大の意義ではなかったかと思います。つまり、地域間の比較優位の平準化が全国的に形成された。その一端が高速道路問題だし、田中角栄が二全総で提唱した全国新幹線網という構想、これが見事に今の段階で実現してきたということだろうと思います。
 さてそれで、中山先生の論点で、大都市圏に対して緊急整備地域の指定が行われていて、今が3回目だそうです。大都市圏のインフラ整備で、つまり都市の再開発ですが、これに民活等によって膨大なお金が入り込んでいるぞと。それはどういうことかというと、北海道から鹿児島、沖縄まで基本的な生活インフラと産業インフラが整備されてきた中で、大都市圏で得た税収をそれらの整備に投下してきた。全国にばらまくという、今の高速道路整備、かつての国鉄の仕組みと同じですが。そういう仕組みで動いていると、大都市圏のところが手薄になる。従って、今の段階でいうと、東京を含めた各大都市圏のところに金を入れていく必要が大きくなるのだから、地方に金なんか回りようがないぞ、ということが中山先生の一つの論点ではなかったと思います。
 そうすると、一体、中小の自治体はそれにどう対応したらいいのかという問題になる。その時に、改善型公共事業への転換を提起するわけです。つまり大都市の大規模な再開発という形ではなくて、地域の人々の生活に寄与するような改善型の公共事業こそ着目すべきだと。その時に大事なのは、小学校区をベースにしながら、そこに行政職員を配置してコミュニティーの再生とそのためには市民参加をやって行政機構の再編をしてみたらどうですか、というのが中山先生の主たる論点でした。

(3) 宇都宮大陣内先生「まちづくりにおける住民参加の仕組みづくり」
 そうすると、陣内先生はそれを受けて、私は「陣内・松島モデル」と後で言おうと思っていますが、陣内先生の論点は明快なんです。つまり、新自由主義政策下のもとで地域が困難に直面している、このまま座して何もしなければどうにもならなくなりますから、市民、行政、NPO等の市民活動団体が協力してまちづくりを行う。そのためには、従来、公共領域を独占していた行政は、今の段階ですら、ましてや今後益々独自の新しい政策を出せなくなっていくなかで、今こそ協働の仕掛けを作って、より良いまちづくりを行うべきだというのが陣内先生の論点だったと思います。
 私は、構造改革路線に対する地域からの対抗軸の形成だというふうに読み込む事も一つの読み込み方かなと思います。ただ、陣内先生はどちらかというと都市計画論ですから社会科学のように屁理屈は余りこねないんです。私流に屁理屈を言うと、待てよ、国家統治システムの再編成の中で協働のまちづくりだけで対抗できるのかよと。協働のまちづくりと言ってもソフトばっかりやっていられるわけではなくて、場合によっては箱ものも作らなきゃならない。そうすると金は無いのに、財政ジリ貧下でうまくいくのかな、という批判が出たときに、どう反論ができるかということ。しかし、そこのところ、つまり、地域からの対抗軸の一つとして、協働のまちづくりでいかないとダメだということは私も非常に納得できます。それは、そのプロセスの中で大事なことがあるのではないかということを後で申しあげたいと思います。
 さて、これまではどうしてたんだというと、自治体の首長さんは必ず選挙の時に市民参加のまちづくりということを美濃部都政以来40年間言ってきました。実質的になってきたのは最近だろうと思います。自治体の側もがんばってきたからなのではないかと思います。それまでは、形だけの市民参加でお茶を濁せたのは、補助金と地方交付税等々で行政運営が可能だったからということです。逆に言うと、今は、行政の方から困ったときの市民頼みということで言われているのかなーと思います。困ったと急に言われても困るんですが、まあそういうことはお互い大事ですから、そういうチャンスをお互いに生かしていくということはいいのかなと思います。
 陣内先生の重要な論点である仕掛け作りですが、陣内先生は都市計画法の改定を例にとっています。この法改定を市民の有効活用の方に解釈しながら協働の仕掛け作りに活用していくというのは、彼のすばらしいところでははないかなと思います。もうちょっと言いますと、彼が塩谷広域でやっているごみ問題の中間処理施設の問題ですけれども、ごみ焼却炉というのは、誰もが必ず迷惑施設だと言うんですよね、総論賛成、各論反対になるんです。自分の隣に来るとダメとこう言う。その時に、そればっかりやっていると、見えないところに持っていかざるを得ない。そうすると、見えないところというのは山の中です。私どもは塩谷広域行政組合(1市4町)で5回連続のごみ問題をめぐるシンポジウムをやったのですが、塩谷町でのシンポジウムの始まる前に窓から外を見ていたんです。オー、ここはごみの捨てやすい場所だなーと見えたんですね、私には。やっぱり、案の定、不届き者がいて、電化製品やなんかをトラックに積んで捨てていくというとんでもない人が結構いるということでした。しかし、焼却炉を山の中に隠すのには格好の地だと思いましたが、それをやっているといつまでたってもごみ問題は解決しない。そのことを教えてくれたのが陣内先生です。
 
(4)泰阜村松島村長「自律の村は安心の村」
 次に、松島村長さんの論点なんですが、先ほどの写真を見て彼の講演を読んでみますと、100メートル行くと平らなところはないというんです。その通りだと私も実感しましたが、道路はさすがに100メートル行っても平らなところはあります。人口が2,150人という町です。彼が1番言いたかったことは、私なりに少し意訳しますが、民意、つまり村民の意思と行政の意思の乖離という問題をどうやって縮めて行くのかということだと思います。市民と行政というふうに言っても良いかと思いますが。そうすると、行政の単位は小さな方が1番民意に則することができる、物理的距離が近いと社会的距離も近くなるということはあり得る。社会的距離というのは社会学の言葉ですが、例えば地球の裏側に恋人がいっても、いつも心は身近にあるという意味で社会的距離は近いということはあり得ます。でもあまり長くなると経験的には駄目ですが。要は、政策決定は村民にとって身近なところが1番だというんです。そうですよね、確かにそうすると、福祉とか子育てに関わるところとか教育というような分野の政策というのは1番村民の方々に近い問題ですから、そういうものが目で見える範囲のところで決める。そうすると、小さい方が良いのだというふうにおっしゃるわけです。
 自治の原型というのは、つまり国民主権というのはこんなことなのかなと、実は大変考えさせられました。もし、私が知事であればどんなふうに考えるのかなと自分でも思うんですが、地位の高い人は、資源を、人的資源でも物的資源でも良いんですが、将棋の駒を指すような形で、つまり机上で配分するようになってくるんだと思います。事実なるんですよね。つまり自治体が置かれた条件を無視して、隣接する市町村同士なのだから、ああしろこうしろというふうに。合併モデルが栃木県でも机上で作られたわけですが、しかし山間部では、泰阜村で考えてみますと、合併しても天竜川に挟まれてあるいは山に阻まれて、住民相互の生活の交流とか行政相互の交流とか事務事業の調整がやっぱり不可能な場合が多々あるのではないかと思うんです。泰阜村から見ると、村長さんがおっしゃるように、栃木県は何と幸せな地域なんだと即座に言ったというのは当然だと思います。彼がもう一つ言っていた和歌山と奈良の県境、私も昔バスで一度行ったことがありますが、凄いところです。十津川村というところがありますが、あそこはへばりつかないと落ちてくるようなところです。
 それで、先ほど皆様方にお見せしました写真のコピーを見れば、そんな簡単に交流ができると思ったら大間違いだぞというようなところもあるのではないかと思います。そうやって考えてみますと、地理的な問題、それから勿論伝統とかいろんな地域固有の問題があると思うんです。ところで、村長さんの講演で、自律の村は安心の村というタイトルでお話をしています。直接聞かれた方もいらっしゃると思いますが、つまり村民が安心して生活できるコミュニティー・ミニマムといいますか、これの作成のためには、裏付ける財源が必要ということになりますよね。政策に直接携わっている方は当然だと思いますでしょう。2,150人の村ですから当然、自主財源はそんな人頭税をかけたって大したものになりません。それをかけると村長さんは選挙に落ちると思いますが。松島村長さんは自主財源が不足している中で交付税、補助金の削減を前提とした予算のシミュレーションを作っています。村長さんをなくすというわけにはいきませんから、助役さん収入役さん、それから職員数の削減を人件費削減ということでやる。それから、事務事業の量の削減もやる。当然そうすると、予算額の削減になるわけですが、ただ、その中でも先程言いました医療・福祉・子育てとか教育とかの身近な事業は、そんなに水準を落とせないということになります。そうすると、村長さん曰く、職員数の削減、昔の言葉でいうと合理化、これはリストラとは違うんだぞと村長さんは言います。つまり、安心の村は自律の村という理念からいうと、そうやって生き残るように自治体を構成することが、村民生活のコミュニティー・ミニマムを守ることになるのだという。つまり、これは通常のリストラとは違うんだぞということをおっしゃっていました。村の中の構造改革は、自律した安心の村を作るためには不可避のプロセスだとおっしゃるわけです。
 このことと、陣内先生がおっしゃっていたこととは実は繋がるだろうと思うんです。つまり、松島村長さんの言葉でいうとリストラではありません。村民の生活ミニマムを作り、自律できるんだから皆さんどうですかというふうに提起する。そうすると、金がないのに「村長どうやって運営するんだい」と村民の方がもし仮に聞くとすれば、村長は、ここまでは村がやるけれど、ここがどうしても村ではできないんだと答える。そうすると、あなたがたどうすると、村長さんが逆に村民に声をかけた時に、ここから協働のまちづくりの契機が出来上がってくると、たぶん、陣内先生はそういうふうにおっしゃるのではないかと思うんです。そこには勿論情報開示のことと村民と村長さん、役場の職員との話し合いや説明会など様々なコミュニケーションが必要だろうかと思います。こういうふうなことで考えると、「陣内・松島モデル」というのが作れるのではないかというふうに思います。多分そういうことも含めて、とちぎ地域・自治研究所は講師の方をお呼びしてお話をしていただいたのではないかと思います。
 結論的にいうと、大きな構造改革のなかで対抗軸を作るということはできうる。可能性はあるということです。つまり、「陣内・松島モデル」というときに、勿論財政的見通しをどうするか、見通しをやったら必ず右肩下がりになりますから、そこのところをどこまで村民に我慢してもらい、行政はどこまでやり切れるかということの情報開示と説得と合意を作るプロセスこそが、まさに協働のまちづくりだろうと考えます。これができないんだったら、自律を考えずにより大きな自治体と合併する方をお勧めします。それも一つの選択肢なのですから。

3.開発問題における全国総合開発計画の功罪
(1) 国土構造形成における全総の意味
ここで私の分析視点を入れるんですが、最初にお話をしたのですが、私のこれまでの研究の過程で、私は地域開発、つまり工業化とそのインパクトを、地域社会の画一化、平準化、均質化に力点を置いて分析してきました。全国総合開発計画というのは画一化、均質化、そして平準化を目指して全国同一の水準を作り出そうとしたんです。こんな事をやってるというのは世界でもそうはありません。これは、意味があったと思います。勿論そのなかで公害問題とか大きな問題は起こしてまいりましたが、私はその問題を一貫して追いかけてきました。
 松島村長さんの泰阜村は画一化、均一化、平準化からはずれてしまうんです。その影の部分です。自治体問題にひきつければ、この画一化の究極の完成体は東京を司令塔とする道州制ということですね。1969年の道州制問題では、緩んだ箍を東京を軸にしながらぎゅっと締め直すということを考えたわけです。プライバシー問題でつぶれた国民の個別管理である国民総背番号制が住碁ネットという形でちゃんと出来上がったのではないですか。だから国というのはすごいなあと思いますね。こういうことを考えた国家官僚はすごいし、いつか作るぞということで絶対忘れていません。したがって、またぞろ出てきたということです。分権化ということもありますけれども、せめぎ合いになると思います。そうすると、いま道州制がありますが、そういうものを促進する内外の要因で、二宮先生のおっしゃったグローバリゼーションの伸展に伴う多国籍企業型蓄積というのがあります。それからグローバリゼーションと言うと必ずローカリゼーションという言葉がでてくる。つまり画一化をやると必ずそこから別の道を辿ろうとする動きが出てきます。そういう論理からすると、日本の自治体のあり方だって、あるいは地域のあり方だって、ローカリゼーションということが一つの対抗軸になるのだと思います。統治システムの再編の視点から見ると、事実、それが現実に顕在化してきました。泰阜村だって福島の矢祭町だって、栃木県内の自治体だって渋々という形容詞は付きますが、自立していこうということが出てきています。もうちょっと言いますと、栃木県という一つの圏域を見ても、法定協の破綻は、議員さんの職を失いたくないエゴ的な行動よるものだと新聞紙上で活字が踊るのですが、私は違うと思います。その選出母体に着目すべき問題だと思います。選出母体の階層あるいは集団の利害行動こそ、ローカリゼーションの顕在化として見るべきだと言いたいのです。
(2) 地域類型の構成と開発の終焉
 私の論点は画一化なんです。そういうことつき進めていくと、地域が5つに類型化できる、というのが私の話です。どういうことかといいますと、全国総合開発計画で地域開発を進めてきた結果、第一は、東京を軸にした東京圏です。第二が、東京圏機能(中枢管理機能)を補完する栃木・茨城・群馬・山梨、これらは首都圏という行政区画になります。マスコミ報道なんかでは、栃木県は首都圏の外であるような扱いですが、計画の区画でいうと首都圏なんです。第三は、東京圏、首都圏を補完する300km圏、西端が名古屋、北端が仙台ということです。第四は、地方中枢・中核都市、福岡、大阪、名古屋、広島、札幌、そして仙台これらを軸にしながら県庁所在地が含まれる。第五は、以上の地域から外れたすべての地域です。結論的に言うと、全総で1500兆円かけて作り上げてきた地域がこういうふうに五つの類型に分けられるようになった、というのが私の結論です。
 栃木県は首都圏に入っているわけです。そうすると、それは何かというと、東京圏を補完する位置にあるということなんです。こういう地域の中で何がつくられてきたかというと、東京を出発点とする太平洋工業ベルトなんです。人口はどうなったかというと、みんな太平洋側に移動してしまった。一つの県の中では県庁所在地に人口が移動する。そういう動きのなかで日本の地帯構造がつくられてきた。そしてどうなったかというと、一方で、札幌圏を除く北海道全域、県庁所在地を除く東北、日本海側、四国そして福岡を除く九州地域は高齢化・過疎化が同時進行する。そういう構造なのです。過疎化が面積的に60%から70%近くになります。人口密度の高いところは30%ぐらいです。という国土構造を日本が人為的に作ってきたんです。これを元に戻すなどということは至難の業です。1500兆円かけてきたものを2000兆円かけても元には戻らないんです。
 物語はここからスタートする。そうすると中山先生が言ったのは、東京が一人勝ちというのは、あらゆる機能が集積しますから当然なのであって、逆に言うと、過密型で猛烈に動きますから、ここのところを抜本的に是正していかないとどうしようもないということになる。金の回りは大都市圏に集中しますから、その他の地域は、改善型公共事業によってより生活に密着した地域づくりを進めざるを得ない。場合によっては、その一つとして、多分自治体の合併問題が出てくる。事実、現在その真っ只中です。新産都法とか工特法とかテクノポリス法それからリゾート法、頭脳立地法、今で言うとクラスターというやり方でいろいろ地域開発をやってきたのですが、結論的にいうと企業の立地行動というのは自らの収益にとってどうかという視点から立地戦略をとる。つまり太平洋工業ベルトの形成から、そしていまや、国境を超えてグローバルな立地戦略で動く。私の郷里の旭川に何か特別の条件がない限り、大手企業が行くわけがない。こういうふうにして日本というのは動いてきましたし、現に動いている。

4.自治体自立計画策定に向けての克服すべき条件
(1) 栃木県における自治体合併の現状
こういう中で自治体合併を進めていこうとして動いています。その時に、1+1が2.1になるような、あるいは2.2になるような合併というのは、それはそれなりに意味があるのではないかと思います。1+1が必ずしも2にならない1.8とか、財政的に弱い者同士が結婚してもなかなかうまくいかないわけです。財政特例を受けたって、いずれは借金が自分のところに戻ってくるわけですから、なかなか難しい。そこで、私は画一化とかを考えてきたときに、もう一つローカリゼーションという言葉を栃木県の地域に当てはめて見て、合併というのをもう一度再検討してはどうかと思います。合併するにしても、あるいは合併しないにしても、自治体自立計画というのは財政計画だけではありませんから、総合的な計画です。そうすると、地域というのは様々の人々、諸階層が生活をしている場なわけです。諸階層の全員の利害が一致するということはそうはないわけです。
住民諸階層の利害がどういうふうに立ち現れてくるのかと興味深く、実は高根沢という町で検討してみようと思いました。その時は、必ずしもそこまで問題を深く見つめていなかったですけれども、お手元の資料のような構成で報告書を作ってあります。
 高根沢の位置というのは、お分かりのように宇都宮市の東北側にあります。最初のこの県内自治体の地図ですが、ちょっと古いのですが、斜線を引いたのが人口減少地域です。新たに付け加えると減っているところがもっとあるかもしれません。県の左右に位置する自治体の人口が減って、真ん中で増加しているというふうになっています。これは当然です。真ん中に東北自動車道が通っていまして、 1974年に白河の方に東北自動車道が抜けました。栃木県の工業化は小山方面から北へ上昇して行くという栃木県の構造は、工業団地の造成を年代別に当てはめていくと、高速道路の北上と見事に合致します。そうすると、労働市場が大きくなりますから、人口増加地域は真ん中だけに集まってくる。こういう構造を栃木県の県土構造と言ってもいいと思います。
高根沢は宇都宮の隣にありますけれども、テクノポリス法と頭脳立地法の両方を指定された地域です。その意味でいうと、烏山とかの東側の茨城県境地域と比べると経済的にはずいぶん恵まれた地域といえます。もちろん、総合的に考えていかないといけないと思います。工場があれば町の人が幸せだとは必ずしもならないかもしれませんですから。
 さて、栃木県の合併状況を考えてみますと、お手元の資料が去年の7月6日現在での状況です。この後、随分変わっていますが、実際に合併ができたのは佐野市です。佐野、葛生、田沼でしょうか。それから、さくら市になる氏家と喜連川です。いわゆる塩谷広域行政管理組合を構成する二つの町です。それから、大田原市、黒羽、湯津上、そして那須塩原市の黒磯、塩原、西那須野、ここら辺が新しい合併の市あるいは町でしょうか。いずれ合併するのではないかという自治体もありますけれども、けっこう、法定協議会の破たんが多いというのも事実です。
 ここから導き出される論点と言うのは、一つには、首長さんと議会とそれから市民との間の合意形成の方法が、いかにこれまで確立されないままに来たか、それが破たんをきっかけにして顕在化したのではないかなということです。
 
表だっては、この三者間の対立なんですが、もうちょっと見ますと、より大事なのは、議員さんと市民の間の対立、もうちょっと言うと、市民諸階層の、あるいは村民、町民諸階層間の対立の利害調整がうまくいっていないのではないかということです。こういう市民の間の相互の対立が、首長さんと議会の対立としても立ち現れるというのが私の仮説です。
 合併というのは、広く言えば、どの首長さんもおっしゃるわけですが、まちづくりの究極の手段というふうに位置付けられています。合併は目的ではないというふうにおっしゃっています。その通りだと思います。現実はちょっと違うところがあって、合併ありき、ということが間々あります。これまで、市民諸階層の利害対立が表面化することはあったのかというと、それはあります。たぶん、選挙の時に立ち現れるということはあったと思います。今回、法定協議会の表の現象と裏の現象とは違うと思いますが、相互に関連していると思います。地域の再編が、合併問題を契機として現われたということは注目すべきことだと思います。 
 例えば、農業を主とした地域からは、農民の利益を代弁する市会議員さん町会議員さんが選出されてくるわけです。それが、工業を主とした町と仮に合併するとすると、農業の行政がどうなるのかという不安を抱く農民層の方々がでてくるわけです。そうすると、合併の事態を好意的に見るかというと、必ずしも合併賛成に動くというふうにはなりません。民意、つまり農民層を代弁する議員の方々が合併案を可決するかということにはならない。つまり、否決するということは十分あり得るわけです。そうすると、合意形成という最も基本的な事柄が、今回の合併問題でどうも抜け落ちたままきたというのがあらわになったのではないかと思います。いやいや、そうではない、議会があるではないかというふうにおっしゃる方もいます。議会こそが合意形成の場だと。間接民主主義ということでいえば、その通りだと思います。しかし、それがうまく機能しないというのは、合意形成がやっぱり必ずしも十分ではないのかなと思います。じゃ、住民投票だということになりますが、その前提である住民諸階層の利害対立に関する分析がなされないまま、一挙に住民投票に持っていけば、事態を一層混乱させることになると思います。

(2)高根沢町における自治体合併のとん挫
 それで、私どもは、調査をさせていただいた高根沢町を事例にして、そんなことが本当にあるのかということについて少しお話をして、自立計画を作って行くためにはそれなりの住民間の利害の調整をしたうえで、あるいは自立計画を作るというプロセスそれ自体が、住民諸階層の利害調整の役割も果たすべきではないのかという点についてもお話したいと思います。
 高根沢町における自治体合併のとん挫などという言葉を使って町長さんに怒られるかもしれませんが、今のところはちょっと中断をしているというふうに考えていただければ、その程度の言葉です。昨年の6月に、高根沢町を二泊三日で調査をしました。広い町ですから、自動車を使ってもなかなか回りきれないというところがございました。
 高根沢町では、宇都宮市との合併、それから芳賀町との合併をめぐって、首長と議会、町民との間で激しく対立をして、住民投票が行われました。これは、合併問題をめぐっては県内では初めてないしは2番目だったと思います。この間の事実経過を踏まえた上で、合併が地域形成、つまりまちづくりをどのように位置づけているか、つまり、合併とまちづくりがどういう相関にあるのか、関係各位が合併とまちづくりをどう自覚しているのかということを調査をしてみたいということが一つと、じゃあ住民投票を仕掛けていった住民運動団体の方々が、まちづくりの中味をどう考えていたのか、そして最後に、各団体の運動経過と合意形成がどのようになされたのかを調査するということが私たち調査団の狙いでした。
 調査をしてみると、案外自分の町のことを知らないという方もいるんですね。案外、ここにおられる方々でも分からないということもあるかもしれません。この高根沢の町というのは、おそらく構造的には河内町とも似たようなところがあるんではないかと思います。つまり、大都市に隣接する町というのは、案外似たような構造を持っています。
 高根沢町には鬼怒川が流れています。それに国道四号線が走って、そこから宝積寺バイパスがあり、電車は東北本線があり、宝積寺の駅があります。ここが特殊なのですが、70年代から住宅地開発が行われ、配布しました図にあります光陽台と宝石台がそれで、住宅環境の非常に良いところです。あとは農村部の中に工業団地とIT関連団地が置かれています。テクノポリスと頭脳立地が指定されていまして、今述べましたIT関連団地が情報の森とちぎです。ちょっと規模が小さいですが。工業団地ではありませんが、企業でいうとキリンビール、それから宇須救命丸、それから、世界的に有名なマニーが立地しています。手術針で世界の60%ぐらいのシェアを持っています。世界的な企業です。芳賀町と跨いで本田技術研究所があります。ここには、たぶん研究陣が7000人から8000人くらいいるんじゃないでしょうか。正確ではありませんが。宇都宮大学だと教員は400人しかいませんから、比べものにならないくらい研究陣が整っているということです。残念ながらデザイン部門がこないんですね。デザイン情報空間が希薄なんだそうです。これは私がちゃんと研究して聞いたことです。このようにテクノポリスの指定地域になり得る企業群が立地しているんです。
 それで、通勤状態を調べてみますと、どうなっているかというと、車で通勤するんです。通勤者のうち26.6%は宇都宮に通うんです。町内に勤めている方は42%です。通学される方は宇都宮に37.1%です。お隣の芳賀町に通勤する方は12%です。人の流れで言うとこういうふうになります。日常用品、いわゆる最寄品は60から70%は町内で買います。買い回り品、時計だとか紳士服だとか女性の服だとかは60%が宇都宮です。社会学で言うと、生活圏という言葉がありますが、宇都宮市と高根沢町の生活圏が重なるという事実です。河内町だとか宇都宮市に隣接する町は多分こういう構造になっているのではないかと思います。
 さてそれで、お手元の資料を見るとあっと思うのですが、高根沢町の人口の増減地域を見ると、光陽台、宝石台という住宅地域は平成13、14、15年の3年間を見ただけでも人口が増えています。ある程度頭打ちになってきてはいますが、ほかと比べると非常な勢いで伸びているんです。建物の建築確認申請を見ても波はありますがやっぱり多いです。こういうふうに動いてきております。こういう状況を一つ頭に入れておいてください。
2003年6月なんですが、宇都宮市と任意の合併協議会を立ち上げます。この時は、宇都宮市と河内町、上三川町とか高根沢町も含みます。ここのところが大事なんですが、町内でタスクホーというのを作ります。直訳すると仕事の機動部隊とでもいうのでしょうか、要するにプロジェクトチームです。2002年の11月に作ったんです。立ち上げて、2003年の3月に報告書を出すんです。それはどういうことかというと、宇都宮市と芳賀町とそれからもう一つは自立で行く場合を比べたときにどれが優位、つまり住民サービスにとってどこが1番有利な合併先かということを庁内で検討したという事です。
 そうすると、宇都宮地区、芳賀地区、それから塩谷地区ですね。それから合併しないというやつです。私は、ちょっと検討させていただきましたけれども、最初から答えは分かっていたような気がします。何故かといいますと、宇都宮市は約1500億の年間予算です。事務事業が圧倒的に大きい。数量化すると必ず宇都宮と合併した方が新しい事務事業が増えるし、事務事業の質的あるいは量的な水準が向上するという結論が出るに決まってるのではないか、というのが私の単純な話です。答えは宇都宮ということになります。ただ、問題は、首長には一つの理念があると思うんです。つまり、大金持ちと寄らば大樹で行くか、それとも泰阜村みたいにどんどん貧乏になって行くけれども、最低限食べられればとにかく頑張るんだ、どちらで行くかが理念なんだと思います。そしてその時に、みんなでどこまでやれるかというそこのところが、どこの市でも町でも首長さんの一つの哲学なんだろうと思います。だから、単純にそこをどうするかということではなくて、勿論町内の職員の方は、計量的に見た時には順番はこうですよということだったと思います。その時に、タスクホースの検討は宇都宮がトップというふうに出ました。
 その時に、ここから、ぎくしゃくが出てきます。つまり、2004年3月1日ですが、議会で、芳賀と高根沢の法定の合併協議会を設置するということを議決するんです。つまり、片方で宇都宮との任意の協議会が動いていたんですが、議員の方々の表だっての理由は、よくある話です。行政区域が広すぎるときめの細かい行政サービスができない。それから、人口の多い地域とそうでない地域とでは行政サービスに格差が出る。つまり宇都宮は45万ちょっといる、だから人口の多い方にどうしても手厚くなり、そうでない方には手厚くならないのではないかという疑念です。もう一つは、議員数が削減される。議員特例のことでいうと、認めませんというのが宇都宮側の言い分ですから、人口比でいうと高根沢は3人になってしまう。もう一つは、事業所税とか住民税のアップだとかがあるとかの理由をつけたわけです。
 それから、もう一つ大きい理由は、わが高根沢は農業を基幹産業としているのだから宇都宮と合併すると高根沢の農業は軽んじられることになるかもしれないということです。構造改善とか土地改良とかが、何となくうまくいかなくなるのではないかという疑念なんだろうと思います。本当のこと言うと、産業の出荷額とかいろいろな形で計算すると、農業は高根沢の主力産業の一つでしかありません。最大の産業は製造業です。一見、田圃が広がっていますが、実際の就業構成とか生産額でいうと製造業が中心になっています。統計的にいうと、議員の皆様方は正しいことを言っているわけではありません。
 それでアンケート調査が種々行われます。実は2001年11月に住民アンケートをやったんです。配布数6913です。人口3万ですから全員にやったわけではありません。その時は、合併賛成ということで民意は動いた。その時、合併したらどこを選ぶかと聞いたら、バラついたんです。宇都宮、氏家、それから芳賀、河内町と、一位と二位は宇都宮、氏家でその後は若干差があります。そのような形で2001年に動きます。このころは、みんな合併のことなんかそんなに大して考えていませんでした。私が合併の話で高根沢に呼ばれて行ったら、聞きに来た人は町長を入れて10人くらいでした。それが2002年の春の段階でした。それ以降に盛り上がってくるのです。
 2003年の12月に、町の有権者1万2960人にアンケート調査をしたところ、これが拮抗するんですが、回収率も非常に高く約8割です。芳賀町と宇都宮が拮抗するんです。宇都宮市が1位、芳賀は3%ぐらいの差で2位でした。これが非常に問題になってくるわけです。町議会は、それを受けながら実は芳賀町と2004年3月に法定協議会を作るんです。町長は、この投票結果を受けて、宇都宮と合併をしてはどうかという宇都宮地域合併協議会を議会に出してくるのですが、2003年12月に町議会はこれを否決します。とにかく議会は芳賀です。そして、2004年3月1日に芳賀と結婚したいということで法定協議会を設置をする。その時の屁理屈もあるようでないようで、奮っているわけです。先ほどの理由と重なるんですが、合併はやらざるを得ないというふうに言うわけです。どういうことかというと、民意は合併で宇都宮地域がトップだが、その差は少ない。宇都宮がトップだけれどもそれに固執すると執行部と議会が対立して宇都宮を否決することになる。だから町民の意見である合併を実現するためには差のない芳賀町を選べば、わずかな差ではあるが芳賀町と合併ができる。ということです。これが議会の動きです。そうすると、町民の方々が黙ってはいないということになるわけです。
 住民の動きは議会への反発となって出てきます。2004年3月1日に、期せずして町民のAさんという方が、自営業者の方ですが、合併特例の住民発議を活用して宇都宮市との合併協議会設置請求書を提出します。このときの住民の署名数は6025人と多かったわけです。有権者の数は2万6010人ですから、これは有権者の50分の一をはるかに超えています。町長はどうしたかというと、これを受理します。当然のことですね。Aさんの理由は、オレたちは、芳賀と何故合併するのかということなんです。だって考えてもごらんなさい、芳賀にどうやって行くのと。老人が芳賀町に行くためには、一度宇都宮駅に出て芳賀町行きのバスに乗るんです。俺達は、生活圏が芳賀町と重なるということはゼロなんだということを言いたいんです。生活圏は宇都宮にあるんだと。町長は、6000なんぼの署名を持って来ましたから、これを受理して宇都宮市長に対して市議会に付議するかどうかの確認の申請をします。
 宇都宮市議会では、2004年3月15日に法定協議会の設置を可決します。高根沢町長は、同時に町議会に宇都宮市と法定協議会を設置したいのだがいかがといって出しますが、議会は3月18日に否決します。ますます議会と町長、それから町民と議会、これが3者三つどもえの対立となります。町民の皆さんにとっては大変だったと思います。そうすると、これはなかなかの決断だったと思うんですが、町長はどうしたかというと、特例法で町長発議というのを認められますから、高根沢町長は町の選挙管理委員会に対して、宇都宮市を合併対象とする合併協議会設置に関する住民投票の請求を行います。これを3月18日に行います。理由は、もし俺が黙っていたら、また署名が出てきますから、そしたらまた6000を超え、6分の1を越えて来るわけだから、いずれやらなければならない。署名の結果が出るまで3カ月かかる。そうすると、芳賀町との法定協議会が既にできあがっていますから、その結論が出るまで放っておくことになる。芳賀町の森町長に大変申し訳ない。こういう理屈をつけるわけです。これは確かに最もだと思います。2004年4月18日に住民投票が行われました。宇都宮市との法定協議会の設置に関して、賛成が7410、反対が7195、その差は225となりました。
 Aさんの運動体、正式にいうと「宇都宮市と合併を進める住民の会」を立ち上げて非常に精力的に運動を進める。こちらは光陽台、宝石台それから宝積寺を含めた市街地の部分です。一方では、Sさん。高根沢では誰でも知っている議会の議長さんです。この方を中心にして「高根沢町と芳賀町との合併を推進する会」というのを立ち上げて、住民投票に向かって動いたということになります。議会の賛否でいうと、議員数が22で、宇都宮との合併に反対が18で、賛成が4なんです。あとで一人中立になるのですが。宇都宮との合併を進める会の方々が、どういうことを言うかというと、買い物、学校、職場、医療、娯楽、道路、鉄道、全部宇都宮と生活圏が重なっている、だから宇都宮なんだ、芳賀町は生活圏が重ならない。こういう理由です。これに対して芳賀町との合併を推進する会の方々は、どういうふうに言ったかというと、宇都宮と比べて芳賀町と合併すると行政区域が狭い、住民の総意が生かせる。芳賀町は交付税の不交付団体ですから豊かだと。高根沢町は財政力指数が75くらい、議員が22人から3人になるなんてことはない。農業委員会の委員も社会教育委員会の委員も宇都宮と合併するとほとんどなくなるけれども、芳賀町とやるとどうだ、残るぞ、両方とも農業を重視だ、という理由をつけて俺達は芳賀町だ。というふうにして話をすすめるわけです。
芳賀町との合併を推進する会の方は、1万ちょっとの署名を集めて、今こういう中で合併を強行すると住民の中で対立が起きるから住民投票を止めさせるための署名をやったわけです。1万ちょっと署名を集めたのですが、いざ投票やったらそこから3000が抜け落ちたわけです。その署名と農村部の方々の実際の考えが少し違っていたということなのではないかと思います。
 こういう状況を、議員のエゴだというふうに解釈できないわけではありません。地位保全に汲々としているというふうに言うかもしれませんが、必ずしもそうとは言えないのではないかというのが私の考え方です。もうちょっと言うと、合併などということを考えたときに、戦後60年、確かに各自治体の住民の皆様方の生活の営みというのはしっかり根付いていたのだということを無視してはいけないということだろうと思います。そういうものを無視して合併すると、大きな混乱を招くということをある意味では証明したということだと思います。
 日光の話をちょっとしますと、日光と足尾と今市と藤原と栗山で日光市ですよね。日光が抜けて日光市が成立するかどうかは誰でもわかることです。私たちは、1999年に世界遺産の指定を受けたときに日光の調査をしています。これは良くできた調査だと自負していますが、あそこは二社一寺ですよね、あそこではよく街づくりを計画します。建物をセット・バックして、電線を地中に埋めて・・・。でも今まであまりうまくいった例がありません。商工会議所に、私のゼミ生が入ってるんですが、どうなってるんだって言ったら、あそこの大地主たちの意向が問題なんですと。あそこの大地主と言うのは二社一寺なんです。特に、二荒山神社です。あの方たちの意向を無視して合併などということはとんでもない、というのが私の仮説です。自治会を見ますと御幸町、安川町、匠町というのがあるんです。これは東照宮を支えてきた人たちです。こういう方々のところから選抜されてくる議員さんの動きを無視して、市長がどう動いても、これはあくまでも仮説ですが、そう簡単には合併などという話には行かないはずだと思います。

5.自治体自立計画の策定と諸階層の合意形成に向けて・・・まとめに換えて
 ここで最終的なまとめに入ります。画一化そして平準化、均質化というのは私が研究して来た一つの視点と論理なんです。実際の動きでもあった。だけど、これでやるとどうしても手の指の間から抜け落ちるんです。これはなぜかということをローカリゼーショと言う言葉を使ってもいいと思うんですが、つまり地域間でいうと自治体間の対立、拮抗もあるし、高根沢でいうと自治体内部の生活圏をめぐって対立をするということもあるわけです。
 そういうときに私たちの研究者の仲間で、宮城学院女子大学の高橋先生という方がおられるんですが、私は正直言うと実はこの方の研究を当初、それほど重視して来ませんでした。最近、見直しています。高橋先生がどういうことを言うかといいますと、場所という概念を重視すべきだというんです。場所というのはどういうことかというと、きわめて無限定的な言い方なんですが、例えば地理的、歴史的、経済・社会・文化、一言で言うと、これまで培って来た伝統といってもいいかもしれません、こういうものが編成されたものが場所だというんです。そういう場所というのは、場所の個性があるというんです。場所というのは三つから構成される。場所の個性、場所の意図、場所の思想の三つから構成されると。
どういうことかというと、場所の個性というのは、文化だとか政治だとか社会だとか経済だとかそういうものが高根沢なら高根沢というところで、一定の原理に従って歴史的な中で構成されているから、したがって高根沢という場所の個性が形成されているんだという考え方です。そう言うと、そうなんです。60年の歴史というのは、例えば塩谷町には塩谷町の場所の個性があるというんです。そうすると、さまざまな要素を一つに構成して編成している原理ですね。
 それでは、場所への意図とは何かと言うと、個性には意図が働く、つまり場所の個性を作り上げていく意図があるんだとい言うんです。どういうことかというと、例えば町長さんとか商工会の方とか農民の方とか町民の方とかが、この場所をどういうふうに作り上げていこうかという長年の累積的な意図があると。それがつまりある一定の編成原理に従って個性として立ち現れるという考え方なのです。
 場所の思想は何かと言うと、塩谷町あるいは高根沢町に住んでおられる諸階層、あるいはリーダーの方々がそこをどういうふうな場所として自己認識しているかということを言います。そうすると、この自己認識から、この場所はこういう意図でもって作ろうという経緯がこの60年、実はもっと前からですよね。そう考えると、日光というのは300年単位の話でやるから、「今市、頭が高い」ということになるわけです。
 こういうことを宮城学園女子大学の高橋先生という方がおっしゃっている。高根沢において、こういうような場所ということを考えると、今、地域間の対立として現れる場合というのも一つの考え方です。場所の個性が、宇都宮と高根沢では違うということを説明する一つの編成原理です。私がそのとき高根沢で考えたのは、高根沢というのは産業構造の側面からいうと、農業部門は確かに優良農地を抱えてはいるのですが、実は就業者の減少が著しいわけです。これは県内全部でそうですが、つまり農業者数がどんどん減っている。生産額でいうと頭打ちです。私からいうと、主力産業の地位から滑り落ちる危機にあると言えます。勿論、環境資源の一つということでは非常に重要な産業と言えますが。これに対して、製造業というのは町内に優良企業が立地して来ていて、雇用者数、出荷額の側面からも主力産業の一つを形成しています。三次産業は、情報の森とちぎのIT関連企業もありますから、それを三次産業の中に加えますけれども、そして住宅振興地域、光陽台、宝石台ここの宝積寺バイパスに沿って大型店が入ってくるという構成です。そこの新興住宅地に立地する商業を軸に就業構成の50%以上、産業構成でというと製造業と三次産業が占める。ただ、商業は大きな問題を抱えていて、宝積寺の駅がありますが、そこの旧市街地が宝積寺バイパスの大型店に客を引っ張られて、衰退化、中心市街地の空洞化が甚だしいということで、宝積寺の駅東の旧市街地に繋がる商店街の顧客をどうするかという問題が一つあります。二つ目には、居住地域から形成される特性なんですが、光陽台、宝石台の新興住宅地の形成、それから宝積寺駅東の商店と住宅が混在する旧市街地、それから新井田駅周辺の商店街を含む集落、そして農村地域があります。光陽台、宝石台の居住者は場合によっては宇都宮市民なんです。実質的には。言い換えますと、生活圏は宇都宮と重なる。三つ目ですが、高根沢町の特質であるT町長さんは若さに加えて強いリーダーシップで人気が高く、私も尊敬する町長さんの一人ですが、6年間の在任期間で、循環型社会形成に向けた環境政策、子供たちの教育等力点を置いた政策があるわけです。
 ただそこで考えたときに、リーダーシップが強いがゆえに計画策定、実施計画策定、計画推進、行政評価の一連の過程に高根沢の町民の方々が部分的にはともかくとして、基本的に参画する仕組みに少し難があったのではないのかという状況があります。それで、次のような結論がでてくるわけですが、高根沢の場合には合併対象をめぐって、住民投票に至る過程を分析してみると、住民諸階層間の、そしてそれが地域間の構造的な利害対立の問題として摘出できるのではないかなというふうに考えるわけです。それらの一つは、町長と議会の対立、これは農村部出身の議員が18、旧市街地・新興市街地が4人という選出母体の問題として出てくる。それから議員間の対立ですね。居住地、生活圏の差異に基づく構造的な利害の対立、それからまちづくり構想と合併構想の相関を見ると、宇都宮市との合併を進める会は生活圏の重層性を基礎に宇都宮市の事務事業の多様さとそれを支える財政規模を重視する。ある意味では当然です。したがって、T町政が進めている生活基盤整備、とりわけ宝積寺駅東整備、それから東口開設周辺整備、下水道、これらは合併特例債等々によって有利な予算配分ができるのだから、住民サービスの向上に繋がるという意思表示を強く出す。これに対して、芳賀町との合併を推進する会は、5万人規模の都市規模を生かして住民の意思が行政に反映しやすいまちづくりを行うぞと言う。この両者のパラレルなまちづくりの構想、合併対象の選択というのは、拡大する都市構造と縮小しつつある農村構造、それから拡大するサラリーマン層と縮小しつつある農業層という地域構造の変動が、ある意味では合併問題をめぐって地域構造の変動が利害対立として顕在化してきたのではないかなと思います。
 最後ですが、私は「松島・陣内モデル」というのを言いました。こういう利害調整をどうしたらいいのか、いわば住民合意のとり方なんですが、正直のところまだよくわかりません。反対派と賛成派が拮抗する時には調停の場を作るより仕様がないですね。そうすると、単独でいくか、合併するかいろいろあると思いますが、いろんなところに例がありますように、まずは自立できるのかどうかという財政予測があります。これは、たぶん本講座の2回以降で具体的なお話があるかと思います。そうすると、財政予測は、当然ですが、仮に私が単独でいってみたらということを考えたときに、現時点での水準と、将来、例えば10年後のコミュニティーミニマムがどういうふうな水準になるのかということの予測、ここのところを行政の首長さん達は、単独で行こうという時にはたぶんやることだと思います。たぶん、これはかなり乖離してくると思います。そうすると「松島・陣内モデル」というのは、もともと単独で行こうという志向が強いモデルになりますので、行政それから町民の皆様方、それから市民関係団体、商工会や農協などの経済団体などの方々との調整が必要になってくるわけです。その時に、「松島・陣内モデル」でいうと、もし仮に乖離が当然出てくるわけですから、それをどうするんだということの意見調整のプロセスとその合意形成の中にこそ、「松島・陣内モデル」でいう協働のまちづくりが活かされてくるんだろうと思うんです。
 住民投票というのは最後の手段、つまり合併するかしないか、あるいはするとしたらどこと合併するかという住民投票を最終的にするとしたら、その時には、住民投票条例を議会は通すのだぞという合意を持ったものでなければなりません。「松島・陣内モデル」は合意形成において、議会との関係でそこまでの射程を持つ必要があります。そうでなければ、議会はこれからのまちづくりで、阻害要因になってしまう危険性があります。住民は議員の皆様方それから首長の皆様方に全てを付託して選んだ訳ではありませんから、重要な事案についてはその都度住民投票にかけるというのは常識、という意識に住民、首長、議員は転換すべき時代なのではないのかなと思います。

(※本稿は、当日の講義を事務局の責任で編集したものです。文責:事務局)


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