第2期とちぎ自治講座 第2回講義

水道事業の民間化をめぐる動向と課題

開催日:2003年12月6日(土)
開催場所:宇都宮大学農学部南棟4階 3401教室
講師:作新学院大学  太 田  正 教授

はじめに

 今日は、全国的、世界的なレベルでの水道事業の民間化や民営化をめぐる問題に光をあててお話をさせていただきたいと思います。

1 ほぼ出揃った民間化の法的条件整備

1)地方自治法の改正(2003.6):管理委託制度から指定管理者制度への転換、利用料金制度の維持

水道事業というのは、水を溜める施設としてダムがあり、そこから取水し、導水して浄水場で浄水し、貯整池で給水地域における水の需要と供給のバランスをとりながら、各戸に給水されるというネットワークに基づく施設全体によって事業が運営されています。実はこうした水道を成りたたせている様々な施設というのは、地方自治法の枠組みからいうと「公の施設」と位置付けられます。この「公の施設」というのは、水道事業に関わるものだけではなく、広くいえば大学の施設も、役場の施設も、あるいは図書館や公民館、体育館、こういったものは全部「公の施設」に該当します。自治体が行う様々な住民の皆さんに対する日常的なサービス提供の重要な拠点となったり、あるいは重要な手段となっているものが「公の施設」なのです。この「公の施設」というのは、公という言葉がありますように行政財産といいまして、普通に貸し借りをしたり、売ってしまったりということをしてはならない、できないという取り決めになっています。本来の行政目的のために限定的に使用される施設です。その目的を外して一般的な経済取引としてその施設を取り扱うことはできないということです。ところが、この公の施設をめぐって現在大きな変化が起こっています。参考に日経新聞の記事をご覧ください。右側の公共施設の管理運営というところで「民間委託が広がる」という見出しがでています。このなかで「行政サービスでの民間委託活用例」というのがあります。これを見ると、給食調理や障害者センターの運営委託、あるいは窓口業務の委託とか、公民館の運営を委託するとか、児童文化センターを委託するとか、こういうものが目白押しで進んできているということです。この中には、保育園の民営化とか民間委託化とかいった問題も入ってきます。いずれにしても、「公の施設」いわゆる公共施設の運営に関わって、これを丸ごと民間に委託できるという地方自治法の一部改正が先ごろ行われました。従来は「公の施設」を管理委託する際には、受託者は厳しく限定されていました。他の自治体であるとか、公共的団体であるとか、例えば自治会とか町内会とか、何々協同組合とか、あるいは第三セクターのような形で自治体が出資して創った外郭団体というように、相手を限定していました。同時に、こういう公共施設というのは専ら本来の行政目的のために使われる施設ですから、例えば公民館のなかに売店があるとか、市民病院のなかに売店があるとかいうのは目的外使用といいまして、特別の許可、使用許可によって使わせているわけです。この際の許可というのは、一般に民間で家主さんから契約によって部屋を借りるのとは違いまして、一方的に役所が貴方に貸してやるよ、その代りもし役所が使う時になったら出て行ってくれよという非常に権力的な行政処分という形で行われます。契約でなく許可です。使用許可という、専らお上が権力的に行うものですが、こうしたものも今度管理を委ねることができるようになりました。単に施設を貸してあげるよということではなくて、借りた側が従来役所が行っていた行政処分である使用許可というものも自分の判断、責任でできるというものです。そして委託の相手がどう広がったかといいますと、株式会社、つまり営利企業に委ねることができるようになりました。従来は、管理委託の相手はあくまで公共的団体に限定されていましたが、今度の法改正では株式会社という民間営利団体、企業に対しても公共施設の管理を丸々委ねることができるようになったわけです。しかも、利用料金制度というものがありまして、これは単に公共施設の管理を請け負うというだけではなくて、例えば、体育館などの管理を請け負ったものが利用者から自ら使用料を徴収することができる、そして議会が定めた一定の上限の範囲内で時々に応じて料金を自分で決定できるというものです。例えば、行政が公民館の管理を株式会社に委ねると、委ねられた株式会社は自分の責任と権限で管理運営する。そして、料金を利用者から徴収することができるようになるわけです。これは、所有権は公有財産ということで公的なものですが、それを民間が経営管理できる、運用管理できるということです。いわゆる公設民営という新しいパターンです。そういう制度が地方自治法の改正で先ごろできあがりました。

2)水道法の改正(2001.7):包括委託制度の創設

この地方自治法の改正は水道事業に限らず公共施設全体に及ぶものですが、それに先立って2001年に水道事業を取り仕切っている水道法の一部改正が行われ、包括委託制度というものが導入されました。水道事業のなかで例えば浄水場の運転管理を考えると、浄水場は取水施設であるダムなどに貯めた水を河川から取水しているわけですが、その時に、何か事故があって、例えば上流で化学物質が流失したというような場合に急遽取水を停止するというような判断をするわけです。これは、ある意味では権力的な判断です。あるいは、例えばですが、テロが予測されて貯水池に薬物が混入されたらしいとか、それで給水を停止するというのも権力的な対応です。そうしたことができるのは水道技術管理者といいまして、こうした責任権限を認められた資格者で、今まで公務員がやっていました。こうした権力的な判断、あるいは対処も含めて浄水場管理を丸ごと民間に委ねることができるという法律改正が2001年に行われました。従来、厚生労働省はそういう根幹的な業務は民間委託になじまないといってきたんですが、方針を転換して法律改正を行ったわけです。

3)PFI法の改正(2001.12):行政財産の貸付、占用許可の特例(ハコモノPFIからの変化)

 それから、PFI法、民間の資金で公共施設を作り、管理運営をしていこうという法律ですが、これは1999年に成立しています。これが、どうも使い勝手が悪いと民間から不満がでて、2001年に改正されました。公共施設を作っていくときに民間の資金を活用していく、今までのように税金によって財源を確保する、あるいは借金、起債で財源を確保するということではなくて、直接、銀行がお金出せるような形にする。そして民間の資金をあて込んで公共施設を作っていこう、同時に、民間はお金を出すだけでは商売にならないですから、当然、お金を自分たちで徴収して集めるけれども、物を作ったり、作った後の運営管理を俺たちに任してくれということになるわけです。 こういう一連のことができる仕組みがPFI法という法律でできたわけです。 ところが、これには縛りがありまして、公共施設というのは行政財産だから民間の私人間のやり取りのように売ったり買ったり、貸したり借りたりということができないわけです。民間は資金を自分で調達して自分で管理運営するといっても、できた物は行政財産という縛りがありますから、なかなか自由に貸したりできないわけです。使い勝手が悪いとずっと言われていました。そういう中で法律の改正があり、民間事業者がPFI法に基づいて事業を行う場合には行政財産であっても貸付ができるようになりました。民間が動きやすい改正がなされたわけです。例えば、道路の地下に何か埋める場合は道路管理者の占用許可が必要ですが、そういうものもPFI事業者が自分の責任でできる。一々役所にお伺いをたてないで自分の判断で占用許可が出せるというような改正がなされました。PFI法は、従来は、箱物PFIと言われまして、箱物行政を税金を使わないで民間の資金で作るという範囲に絞った形で運用されてきたというきらいがありましたが、今度の改正によって物を造るだけでなく造った後の経営管理まで拡大していくという変化が生まれてきています。

4)地方独立行政法人制度の創設(2003.7):直ちに民営化が困難なもの(解散の可能性)

 次に地方独立行政法人制度というものができあがりました。これは、行政が自ら直接やるまでもない事業であって、なおかつ民間になかなか委ねることができないようなもの、例えば、国公立大学とか美術館とか、あるいは研究機関、水道、交通などの地方公営企業などです。税金をとったり手数料をとって住民票を出したりというのではない直接的なサービスを提供するような部門です、そういう部門については何も行政が自らやらなくてもいいではないか、だけれども民間に全部任して、損得勘定でやられると今までのサービスが提供できなくなる可能性もあるので、民間に任せるのは相応しくない、かといって行政本体が自らやるまでもないだろうという判断です。 そうして、独立行政法人という行政本体から切り離して、いってみれば外郭団体化したということです。そこに至るまでは様々なプレッシャーがあったわけですが、そのプレッシャーというのは規制緩和とか民営化というものです。国が国会で説明した限りでは直ちに民間にもっていけないもの、民営化できないものを取り敢えず独立行政法人にするんだ、というものです。だから、機が熟して民間に受け皿ができ引き受け手が出てくれば、今後民間に移行する可能性があるということを示唆しているわけです。事実、独立行政法人は中期目標とか中期計画とかいうものを策定するわけですが、こういうものを見直しながら、もう事業をやっていく意味がないという判断に至った場合には、独立行政法人を解散できるという規定もあります。自ら解散して民間にお願いしますという可能性も含まれているわけです。

2 民間化を推し進める背景と要因

1)追加投資と財政危機:更新投資、高度化投資、環境規制投資、「三位一体改革」

 こういう「公の施設」や、水道事業をめぐる法的条件というものが短い期間に様変わりしてきているわけですが、これがどういうことを背景にし、あるいは要因にして起こっているのかをか考えてみたいと思います。 水道事業の場合は、高度経済成長期、昭和30年代から40年代に全国各地で事業を開始しています。一時期、水の使用量は文化のバロメーターだといわれたくらいに、水道の整備というのは日本の近代化と国民生活の向上のために不可欠のものだということで国を挙げて高度経済成長期に水道事業の整備に奔走してきました。この時代に敷設された水道設備というのは未来永劫、存続あるいは維持できるわけではなく、当然、耐用年数があるわけです。ポンプのような設備関係は10年、15年という短い期間ですけれども、水道管とか、ダム施設、浄水場のコンクリート構造物とかは50年とかの単位で決められています。そういう一定程度の期間を過ぎると更新しなければならないわけです。そういう時期が今後日本全国で一斉に沸き起こってきます。資料の水道関係の業界紙ですが、ここに「厚生労働省が水道事業破綻のシナリオ」といういささかショッキングな見出しで水道事業の今後の予測を説明しています。左上のグラフで、左側の棒グラフは年々の水道事業に対する投資額、右側の棒グラフは施設の除却額(更新費)です、平成37年にこの投資額と除却額が同等となり、その後は除却額が投資額を上回るようになります。放っておきますと耐用年数を過ぎてだんだん使えなくなってしまいます。新しい施設を作るというより、今ある施設を維持できなくなってしまうということを厚生労働者が予測したんです。こういうことが全国的に生じてきます。更新投資だけでなくて、阪神淡路大震災を経験して施設の耐震構造が問題になりました。これはお金がかかることですが、神戸の惨状を見ると貯水槽がひび割れして水が流失してしまったという苦い経験があるわけです。このように、今後起こるであろう地震に備えて施設の耐震化を図っていくということも大切です。それから、年々いわゆる汚染物質が増えてきて環境ホルモンの問題があったり、最近のSARSやO157の問題がありますが、そういう様々な有害物質が段々と増えてくる、それに応じて水道の水質基準が年々強まってくる。これはWHO(世界保健機構)の指示を受けて国内規制を強めざるをえないということなんですが、こうしたことに応じて今までの水質を監視し水質の維持を図っていく際に、例えば監視施設だとか試験設備だとかいうものが従来のものを活用できればいいですが、今まで以上に精度の高いものが求められているということが起きてきます。新しい検査設備を導入しなければならいということも含めて高水準化投資と呼んでいますが、施設の更新が今までのものを置き換えるだけでなくて、耐震化をしたり新しい要請に応えていくようなプラスアルファした投資が必要になってくるということです。問題は、日本の水道事業を維持していくことを考えた場合に、新しく作っていくということ以上に今の設備、サービスを維持していくために必要なお金が非常にかかるということです。放っておきますと結局今あるサービスを提供できなくなってしまうということに繋がってきます。これは避けなければならないわけです。もう、ペットボトルで我慢するから水道は要らないよというのであれば別ですが、ペットボトルの水だけで日常生活をするのは難しいわけですし、井戸水の活用もなかなか難しいわけですから、水道に替わる代替財がないわけです。だから、水道をいかに有効かつ効率的にずっと使えるようにしていくかのかということが問われています。そういうことが間もなく我々の目の前に現われてくるということです。ところが、その時に困ったことに自治体にお金がないわけです。国、地方合わせて700兆円という膨大な借金を背負い込んでいて、地方自治体も200兆円近くの借金を抱えているわけです。最近、小泉首相が三位一体の改革ということを言いはじめました。これは、一つは国から地方に出す補助金を削りましょうということで、これは専ら国の財政が厳しいからということです。補助金を削られれば地方だって困りますから、一方的に補助金を削るなということになってきます。地方の側からいえば、補助金といってもやらなければならない事業がある以上、金だけ削られても困るじゃないかということで、それなら、もっと自主財源、つまり税源を移譲しろということになります。今は、だいたい国が6割近くお金を集めて、実際の仕事は7割を地方がやっています。国と地方合わせて公共の仕事が10あるとしたら、そのうち国がやっているのはわずか3割程度です。外交とか防衛とか裁判所の運営とかは国ですが、住民の生活に密着した大半のものは地方自治体がやっています。ところが地方税の取り分というの少ないんです。大部分を国に持っていっちゃう。結局、国がお金を吸い込んで自分たちの交付税だ補助金だといって後で地方に配分しているんです。紐付きになるわけです。それで、地方は自主的な判断でお金が使えないという問題にもなってくるわけです。だから、地方の方からは補助金切るのはいいよ、切るんだったらちゃんと税源移譲してくれよという要求になります。国もこれは認めざるを得ません。削る一方では理屈が成りたちませんから、それである程度地方に税源をお渡ししましょうという話に一応はなっています。同時に、もう一つは地方交付税です。簡単にいいますと、地方自治体が地方税とか使用料とかでお金を集めて、それをもとにサービスを行います。教育とか、環境とかいろいろなサービスを提供します。ところが集めたお金と実際にサービス提供にかかった費用には当然差額が生じます。先ほどいいましたように国がお金を6割抱え込んで、仕事は地方が7割やっていますから、当然足らなくなるんです。不足分を補助金と地方交付税という国から地方にまわすお金でもってバランスをとっているんです。そういうわけで、この地方交付税が年々膨らんでいます。国は補助金と同じようにどうしてもこれを削りたいわけです。三位一体の改革というのはそういうことです。補助金を削りますよ、地方交付税を削りますよ、その代わり地方に税財源を渡しますよと。これを1遍にやらないと一つだけ削ったのでは地方だって納得しません。だから小泉さんは三つ一緒にやってしまおうということで三位一体といって始めたわけです。ところが、じゃあどの補助金削るのかとか、税財源といっても何を移譲するのか、これを巡って霞が関では泥仕合の様を呈しているわけです。そのなかで、交付税に関していえばこれを圧縮していきたいと国は考えています。特に、何を中心的に圧縮したいと考えているかというと公共事業です。財務省は明確に公共事業に関わる交付税措置を削るといっています。公共事業は、実は我々もある面では削れといっています。そこのところは一見相通ずる所があるわけです。特に財務省などが問題にしているのは地方単独事業です。この間バブル経済が崩壊して地域経済が非常に痛めつけられたわけです。それで、景気浮揚ということを国は考えた。今までは財政出動ということで専ら高速道路を造るとか駅をつくるとか大型公共事業をばんばんやって、国の直轄事業としてお金をつけてきたわけです。ところが、国も財政的に逼迫していますから、しかも仕事は地方が7割やっているわけですから、景気浮揚政策に地方自治体を動員したんですね。その動員の仕方が国は金を出さないで動員したいと思っていたわけです。どういうやり方でやったかというと地方単独事業でやってくれというわけです。形のうえでは自治体の自主的判断でやってくれという。それだけでは地方自治体は動きませんから、地方単独事業をやる際に借金でやってくれ、その借金の返済は国が面倒をみるといったんです。起債充当率といいまして、事業に対して借金できる割合を高めて、しかも借金の返済も国が地方交付税で面倒をみるという仕組みを持ち込んだんです。それに、地方自治体も悪乗りしたんですね。重複する農林道を造ったり、超豪華な武道館を造ってみたり要るもの要らないものも含めてどんどん建ったんです。それがずっと積み上がって地方の借金が雪だるま式に膨らんで、今の200兆円といわれる借金の大元になったんです。今度、国はこれを潰しにかかってきているわけです。随分身勝手な言い分ですが、そういうふうにして地方交付税交付金を絞っていきたいといっているわけです。地方は、身の程も知らずに大盤振る舞いをやってきた、だからこうなってしまった。それを地方交付税交付金で面倒みろとは何事かと。今になって言い始めたんです。そして、単独事業を交付税で面倒みるのを削っていきますよといっています。あと、もう一つ、事業費補正といいまして、地方交付税を算定するときの基準の一つですが、これは事業をやったときにかさ上げしてくれるんです。例えば、ダム事業をやりますよというときに、ダム事業にかかってくる費用のうち地方自治体の負担分を事業費補正でみてやる、県の負担分を交付税で面倒みてやるということです。これを削るといっています。総務省は既に先行的に事業費補正の段階的な削減を始めてきていますし、今後、全廃するといっています。特に、奨励的な補助事業の地方自治体の裏負担に関わる部分については全廃していきますよといっています。こうした公共事業に対する見直しですが、これは国の方がお尻に火がついて地方に回す金を何とか絞り込んでいきたいというところに追い詰められて、結果として公共事業の無駄な部分を彼らなりに見直して削り込んでいこうという方向性が強くなってきています。いずれにしても、財政的な逼迫という問題は国も地方も共通しています。一方、無駄なものは削ってもらいたいわけで、ある意味では全面的にけしからんというつもりはありません。無駄な公共事業をいままでやってきた、それをこの機会にバッサリと見直すべきだと思いますが、それが国の事情で国の思惑でやられたのではたまらないというのも一方ではあります。このように、全体として地方自治体の財政が非常に窮屈になってきているなかで、近い将来水道事業が今のサービスを維持していくために必要な更新投資とか高水準化投資というものが賄えるのかどうかというところにきているわけです。

2)技術的人的空洞化:人的資源の流失、技術能力の脆弱化、専門性の喪失

 水道事業というのは小規模な事業体が占める割合が非常に大きいんです。例えば、給水人口が村や町では数百とかせいぜい数千とかの水道です。これが日本の水道事業体の大部分を占めています。簡易水道なんていうのは集落内で何百ですね、そういうところの日常的な維持管理はどうなっているかというと、非常にお寒い限りです。例えば簡易水道などを考えると、統計的にみると、一事業について配置されている人数は〇.5人から、0.6人位です。一人に満たないわけです。そうした状況が現実に存在しています。しかも最近は、水道事業だけでなく、公務の職場全体で、人員削減が非常に進んできています。あともう一つは、人事ローテーションと言いまして、一つの部署に居られないんです。3年から4年くらいでローテーションしているんです。ところが水道事業は、そう簡単に、図書館にいた人が住民票の担当になるというようなわけにはいきません。水道事業と言うのは非常に専門性のある事業です。しかも安全性が強く求められている。水道水は我々が日常的に飲むものですから、その安全管理を適切にやっていくといううえで、今、水道を支えている人的資源や技術というものが非常にお寒い状況になってきています。もし事故があったときに、取水を停止したり、給水を停止したり、という決定権限を持っている水道技術管理者がいないという事業体があります。人事異動で、ほかに移動していなくなってしまったんです。今病院の医師の名義貸しが問題になっていますが、似たような問題です。その人が水道の職場にいないんです。例えば税務課とか市民課にいるんです。ところが、その人の名義が残っていて、有資格者としていることになっているんです。水道事業というのは、料金の問題が必ずからんできます。当然議会などで、自助努力をしろ合理化をしろといわれます。ですから当然、人員削減ということを計画の中に盛り込むわけですし、身を切るような効率化努力は必要ですけれども、水道事業に課せられた使命をわきまえた上で、合理化や効率化がなされたかというと、必ずしもそうではないわけです。民間に委ねた方が適切な管理ができる、と公言する管理者がいるくらいです。ほんとうに情けないことです。専門性を失ってきているわけです。公務の職場全体でそういう傾向が強まってきていると思います。特に技術的な条件が強く求められている水道のような職場では、なおさら危ういわけです。自分たちの飲んでいる水がどういう体制で日常的に供給されているのか、チェックしてみる必要があると思います。

3)景気対策と民間参入圧力:規制緩和・市場化の圧力、グローバリズム(ISO、WTO)

 3番目は、竹中さんが活躍されている経済財政諮問会議というものがあります。民間の委員が、行政サービスを丸ごと民間化していく、全体を投網ですくうようにして、民間に開放するという一括法を提案してきています。この中では水道や下水道、医療機関、病院なども民営化していくという主張がなされています。我が国におけるこうした規制緩和や民営化の動きというものは、我が国の国内的な事情だけで起こっているわけではありません。世界的にも、こういう民営化や規制緩和の動きは進んで来ています。グローバリズムといわれるものです。日本にも外国の水企業が入ってきています。例えば、ビベンディ、これは大阪のユニバーサルスタジオジャパン(USJ)の経営母体でもあります。フランス出身の世界的な水企業ですが、こういう外国の企業が日本に入ってくるときに、日本の市場が閉鎖的で内輪にこもっているという批判を展開してきています。そういう中で、一つの基準を設けようという話になってきています。水道事業の委託を受ける場合には、逆にいうと水道事業体が民間に事業委託する場合には、統一の基準に基づいて民間に委託する。そういうところに外国の資本も日本の企業と一緒に参入してくるということなります。そういう一つの基準づくりが、進んでいます。そういう規準に基づかない取引というものは、事実上できなくなるような形で強制化しようという動きが出てきています。 新しい施設をつくるということではなくて、今ある施設を維持していくためにお金が必要だけれども、ところが自治体にはお金がない。ところが、今後ますます飲用水の水質基準が高まってくる。それを支える技術が水道の現場にない。そして水道事業をめぐっては民営化しろとか、外国資本の参入圧力がかかってきている。こういう事が民間化を一気に進めているという状況です。

3 民間化の現局面と今後の見通し

1)完全な公設民営の可能性(1−(1)+(2)+(3)(設計建設から経営管理まで))

 それでは民間化がどういう状況にあって、今後どうなっていくのかということについて、話していきたいと思います。 一つは、完全な公設民営ということが、法的には、可能になってきたということです。最初にあげた、1の(1)、(2)、(3)を全部繋げたら、どうなるかということです。PFIというのは、民間がお金を集めて、自分たちで建物や施設を設計し、建設し、そして運営管理までやるということです。それに水道法で、今まで、水道施設の基幹的管理業務は民間に移管はできないとされていましたが、それが今度は丸ごと移管できることになったわけです。さらに地方自治法の改正で、利用料金制度で利用者から直接お金を集めることができ、一定の上限のなかで自由に料金の改定もできることになりました。これを全部つなぎ合せるとどうなるかということです。資金を調達し、施設を設計し、建設し、そして運営管理し、お金を利用者から徴収して経営し、ということが全部民間でできるわけです。それでは行政に何が残るのかというと、施設の所有権と料金の上限など経営の大枠的方針の決定だけです。その下で中身は全部民間にお願いする。ある意味では、行政は事実上のリース業に変わっていく可能性があるわけです。これは従来の清掃作業だけ委託するとかの部分的な委託だけではなく、丸ごとの委託です。 自治体は施設の所有権を持っていて、大枠を決めることができるけれども、中身のほとんどは民間がやってしまうということです。ほぼ完全な公設民営化が実際上できるための障害が取り除かれたということであって、もちろん強制的にやらせるという枠組みにはなっていませんが、手を挙げたところができるという仕組みです。手を挙げて取り組み始める自治体がでてこないとは限りません。

2)なし崩し的な民間化への道(中小水道事業体) 

 当面する民間化の主流、特に中小の水道事業体についていうと、お金もない技術もない、人もない、内々尽くしです。今までは、国が物事を決めてそれに従ってやってきたので、何か失敗しても国の責任にできたわけです。これからは地方分権で、責任が小自治体に、あるいは、水道事業体に移ってきます。しかも、水質基準はどんどんと高まってきて、それに応じた安全管理というものが求められてきます。失敗した場合の結果責任も直接水道事業体が負わなければならないことになります。そうなると、内々尽くしでいい加減にやってはいられなくなってきて、なし崩し的な民間化になってきます。ある地方都市の水道事業体にインタビューしたところ、「もはや私たち直営でやるよりも、民間でやってもらった方が安全でいいんです。」というんです。自分たちではもうお手上げなんだということなんですね。水道事業と言うのは市町村が行うことになっています。その責任のある市町村がお手上げ状態なっているわけです。自分たちでやるより、民間がやった方が良いと言っているんです。これは情けないですけれども現実の話であり、責任放棄に近いといってよいと思います。 

3)広域化と民間化の同時的進行:民間化によるソフトな広域化(広域化政策の転換)

 それから、最近厚生労働省が政策的に新たな舵を切ったんですけれども、それは広域化政策です。全国的に市町村合併が進められていますが、これの水道版といってもよいでしょう。小規模な水道事業は単独では経営を維持することがなかなか難しい、だから大きくしましょうという話です。今の市町村合併と似ています。そういう形で水道事業の広域合併を厚生労働省が進めています。水道の広域化というものは今までもあったんですが、今までは水資源開発、ダム開発のための広域化でした。開発のためにはお金がかかります。単独でダムを造るなんてことはできません。東京のような大都市であれば別ですけれども、数千とか、数万とかの自治体で、単独で、ダムを造るなんていうことはできません。そうした時に、みんなで一緒になってダムを作ろうということになるわけです。そういう形で進んできたのが、日本のこれまでの水道事業の広域化です。 ところが、思川開発もそうですが、日本各地で破たんしてきています。しかも、高度経済成長期に計画が作られて、その後、経済状況が一変し水需給が一変したにもかかわらず、依然として前の計画がそのまま残ってそれに乗ったら最後、抜けに抜けられず、責任水量制という形で、使っても使わなくとも申請した水量分の負担だけがかかってくる、という状況に置かれています。こうした広域化計画は事実上破たんし、厚生労働省も従来の広域化計画はとれなくなってしまいました。今、こういう状況に全国的にはあります。厚生労働省が今何を目指しているかというと、ダム開発のために広域化しろということはひとつも言っていません。逆に何を言っているかというと、このままでは、特に中小事業体を中心に、日本の水道事業は崩壊していく。そのことに危機感を抱いています。そのためには、単独ではなかなか存続できない所に、一緒になって、あるいは、大きい所にくっ付けと盛んにお尻を叩いているわけです。そういうときにでてきたのが、ソフトの広域化です。従来は、水資源開発のようにハードの広域化でしたが、いま問われている広域化は、ソフトの広域化になっています。水資源を開発してダムを作ったり、浄水施設を作ったりということではなくて、経営が破たんするから何とか経営を維持していく、ソフトつまりマネージメントに関する広域化を進めていこうということです。これについては、じゃあどうやって行くのか、抱き合わせと言っても、今の合併と同じで、なかなかうまく行かないわけです。大きいところが小さいところの面倒見ると言っても、赤字を覚悟で面倒見るのなら良いけれども、大きいところでも、自分のところの水の使用者がいて、その使用者から料金をとって経営をしているわけです。抱え込んだから赤字になりました、だから料金の値上げをお願いしますとは言えないでしょう。大きいところが面倒見ると言うのは簡単には行かないわけです。どうなるかというと、結局は、民間だよりになっていくのではないかと、危惧しています。お手上げ状態ですから、民間にお願いします。しかし、お願いされた民間会社が一つや二つ小さなところを取ったって採算が合わないわけです。そうなると、六つ七つまとめて面倒見るようになります。いくつかまとまると、一つのところに人員をプールしておいて、そこから、巡回パトロールして、何カ所かの浄水場を見て回るということもできますから、民間なら、一つや二つでは無理でも、六つや七つくらい一緒に契約が交わせれば、何とか儲けになるということです。これは、民間委託を通じた広域化です。今までの行政主体の広域化ではなくて、民間主体の広域化です。そういう方向で、今、中小事業体の経営の広域化が、民間主導で進みつつあると判断しています。

4)大都市水道の民営化と海外進出:世界有数のパワー、アジアにおける多国籍水企業の展開

 日本には、東京都のように、給水人口が、1000万人を超えるような馬鹿でかい事業体もあります。そのほかに政令指定都市の横浜、大阪、名古屋とかそういうところは、ガラッと様子が違うと思います。図体がでかいですから人もいますし、技術力の蓄積もありますし、こういうところは、お手上げで、民間にお任せしますなどということは、一言もいません。そういうところは、逆に何を狙っているかといいますと、全部ではありませんが、自らが民間会社になって世界に出ていきたいという願望を持っているところがあります。これは、はっきりとした形で表には出ていませんが、そういう潜在的可能性があることは否定できません。東京水道なんかは、民営化されれば、今ある世界的な水企業の中で、おそらく10本の指の中に入るでしょう。それだけのパワーがあります。そうしたところが気にしているのは、日本は、ジャイカとかODAなどを通じて、イラクなんかもそうですが、水道の建設とか、維持管理で、いわゆる発展途上国に対する支援をしてきました。その時に、特に東南アジア方面などで、日本の技術を用いて水道施設を普及してきました。ところが、そういう日本が手塩にかけて技術指導までして作り上げてきた水道事業が、次々と、世界の多国籍水企業に奪われているわけです。これに対して不満と焦燥感を持っています。自分たちが一生懸命やってきたものが、ビベンディやスエズの傘下に入ったりしているわけです。海外からも、できれば日本から来てもらいたい。でも今の東京都水道局という体制では、日本を出て行くわけにはいかないわけです。そういうことで、なんとかアジアに橋頭堡を築いていきたいという思惑もあるように思います。 

4 水道の民間化の国際事情

1)民間化の原点としてのダブリン原則(1992)経済財としての水、フルコスト原則の適用

 それでは、世界的にはどうなっているのかということで、外に目を向けて話しをしていきたと思います。先ほどこうした水道事業の民間化は、国内的な事情だけではないというお話をしました。国際的な事情というのは、逆に言うと、日本以上に進んでいると言った方が良いかもしれません。それがどういうところに源を発しているかということを、まず最初にお話をしておきたいと思います。1992年に、水と環境に関する国際会議が、ダブリンという所で開催されまして、世界各地から関係国が集まって、国際的な会議が開かれました。これはその後、リオデジャネイロで開かれた地球サミットにつながっています。その時に、重要な原則というか、宣言が出されました。それは資料にもありますが、水というものは、空気や太陽の光のような対価なしに利用できる自由財ではない、経済財であるという位置づけをしました。水は、無尽蔵のようにあり、尽きることなく利用できる資源だという時代はもう終わったということです。水をめぐって、対立や競合関係が生まれてくるときは、もはや水は自由財ではない。これは、もはや経済財なんだという位置づけをしたわけです。それに基づいて、水の浪費などに対して歯止めをかけていくためにも、水に価格付けを行う。水に、値段をつけるわけですね。フルコスト原則、つまり、水を生産するために、あるいは水を供給するために、かかったすべての費用を織り込んでいく、水の値段としていくという原則を打ち出しました。そうすることによって、水は、誰が使っても自由勝手で、使っても尽きることがないというものではなくて、それぞれに値段がついて、大切に使わなければ負担も増えていくんだと、そういうものになるということを決めたんです。だけどこれは裏を返して言えば、高く値段をつけたところに水が配分されるということを意味します。お金を払えるか払えないかで、水の利用とか配分が、決まってしまうということです。非常に恐い側面を同時に持っているわけです。いずれにしてもダブリン原則というものが、国際会議で確認され、これ以降、水の民間化というものが、国際的に跋扈していく契機となったわけです。

2)民間化要因の国際的パターン

そういうなかで、水の民間化の国際的なパターンとしては、大きく二つ考えられます。一つは、途上国型というものです。経済発展途上の国々において起きている動き。それから、我々、先進国型という欧米諸国で起こっている動きに分けて考えることができます。  

@途上国型(インフラ整備、資金と技術の不足、世界銀行)
途上国型で見られるのは、水に起因する死亡者が、毎日6,000人を超えるという悲惨な状況があるうえに、衛生的な水の確保が国民レベルではなかなか確立できていない状況があるわけです。水道施設を含めた民間のインフラ整備が、途上国においては非常に重要になってきているわけです。経済発展にとっても、国民の生活とっても大きな意味を持ってきているわけです。ところが途上国には、お金がありません。お金がないうえに、技術もありません。そうすると先進国からの援助求めていかざるを得ないという立場に置かれています。その時に、大きな力を持っているのが、世界銀行やIMFといった国際金融機関です。途上国は、世界銀行などからお金を借りてインフラの整備を進めて行かざるを得ないという立場に置かれています。問題は、世界銀行がダブリン原則の忠実な実行者という立場にあるかということです。同時に、フランスモデルというものを積極的に採用している。民間主導で水道施設、インフラ整備を図っていくということを条件にして、融資をしています。いわば半強制的に、金が欲しければ、民間主導で、水道施設の整備をしろという縛りをつけられて、お金の融資を受けるという構図になっています。こういうことで、途上国においては、急速に、民間化が進んできています。

A先進国型(環境規制の強化、行財政構造改革、グローバリゼーション)
 先進国型で特徴的なのは、ヨーロッパです。ヨーロッパでも、EUですね。EUというのは、他の国際機関、たとえばOECDとか国連とかと比べると、加盟国に対する拘束性が非常に強いわけです。財政規律などの問題がよく例に出されますが、加盟国であるために、国家の負債額を抑えなければならないわけです。そういう加盟国に対する強制力を持っています。欧州評議会というところで物事を決めて、それを勧告あるいは指令という形で加盟国に出しています。加盟国である以上、それを国内に持ち込んで国内対策を行うという義務を負います。EUが出してくる指令の中に環境規制があります。この環境規制が年々強まってきています。とくに下水道に対する排出規制とか、水道水の水質基準の規制とか、どんどん指令を出してきています。当然、加盟国はこれを国内基準にしていくわけで、そのために、巨額の資金が必要となります。EU指令に沿った形で国内の体制を整えるために、たとえば、水道施設の改善とか、下水道施設の改善とか、そういうことをやっていかなければならないわけです。それに多額の資金が求められてきているという構造になっています。 併せて、欧米諸国においても、行財政の構造改革を進めています。行政のスリム化という形で、規制緩和や民営化やなどにより、行財政の構造を見直していくということを日本と似たような形で進めてきています。つまり一方で、EU指令で、環境規制が強まってきて、それに応じて、国内投資が求められてきています。しかし一方で、規制緩和や民営化により政府の役割を小さくしていくという取り組みが、同時に進んでいます結局、その狭間のなかでどうなるのかというと、民間に持っていくという選択肢が結果として広がってくるという動きになっています。合わせてグローバリゼーションという形で、EUという統一市場で企業活動の統合化というものが、正面から求められてきているという事情があります。

3)多様な先進国モデルの存在と実情

 水道事業なり水管理は、各国それぞれの事情があり、特異性があります。それぞれの国ごとにモデルがあるといっても言いすぎではありません。

@フランスモデル(流域管理、個別委託契約、規制機関の不在、企業集中)
 フランスは、百数十年前から民間委託の歴史をもっています。フランスでは、コミューンといって日本の市町村に相当する自治体の数が3万6千以上あります。本当に小さい。数百とか百前後とかいう集落のようなものが沢山あります。フランスでは、そういうところが基礎的な自治体になっていて、そこが、上下水道を行う責任主体になっています。そういう所では、自前と言っても、財源がないわけで、人も技術も不足するわけです。百数十年前に、そういうところで、水道のシステムを作るには民間に頼らざるを得ないというところから出発したわけです。責任主体は市町村で、民間に水道施設を作ってもらって、30年とか、40年、水道サービスをやってもらう。今日本でも、進みつつあるものの原型ですが、丸投げ的なものを昔からやっています。契約期間が終了したときに、施設を自治体に移管します。自治体は、元手なしで、全くの技術なしで、民間にやってもらって、契約期間が終わった時に、自分のところに、施設が戻ってくるという風にしてずっとやってきました。フランスでは、そういう長い歴史があります。 世界の水市場の中で、圧倒的なシェアを誇っているのは、フランスの水企業です。ビベンディという会社、スエズという会社、ソールという会社、いずれもフランスの企業です。これに水部門に進出したドイツの電力会社がありますが、世界市場の中で、この4社が圧倒的なシェアを占めています。水道や下水道を含めた水事業では、フランスが、世界に先駆けて、ビジネスを展開してきた国です。この前の先進国サミットは、エビアンで行なわれましたが、エビアンはミネラルウォーターの世界的な出荷地です。水ビジネスはフランスの国家ビジネスであるということで、シラク大統領も含めて、サミットを機会にフランスの国家ビジネスを世界に売り込んでいくという戦略を持っているんではないかということが、言われたくらいフランスと言うのは、水ビジネスに関しては、世界に冠たる国、世界に先んじている国です。 ところが、フランスの国内市場を見ても、ビベンディとかスエズとかそれからソール、この3社でフランスの水市場の7、8割を独占しています。国際的にも巨大な多国籍企業が、世界市場を分割してくるわけですが、フランスでもまったく同じ形態になっているわけです。たくさんの水企業が、切磋琢磨し、競争してサービスをより良い方向に発展させていくというイメージではありません。独占企業が、国内市場をお互いに分け合っているという構図です。 フランスは、国内を六つの領域に分けて、流域管理というものをやっています。日本ですと、水道は、厚生労働省、工業用水は、経済産業省、農業用水は、農林水産省、下水道は、国土交通省、という風に、水にかかわる省庁が、分割しています。それに対して、フランスの場合は、水の管理を統合的にしているという点では、学ぶべきところがあります。対象とする水も、それぞれの省庁の縦割りで、水道があったり、下水があったり、工業用水があったり、水そのものは、同じ資源であっても、縄張りで、色がつけられるわけです。ところがフランスの場合は、地下水も、表流水、地上水も、雨水も、海水もそうですし河川水も、湖沼水も、あらゆる水というものを統合的に管理するという仕組みができています。しかも六つの流域ごとに、流域委員会というものがあって、その下に、地方単位の流域管理委員会というものがあります。そうしたものが、全体として、水の統合的な管理を行なうという仕組みができています。指摘すればいろいろ問題はありますが、形の上では、水を切り離して、縦割り的に管理するという日本の現状からみると一歩進んだシステムになっています。 フランスでは、包括的な民間委託というのが特色です。ただ、そういう民間委託形式が、国あるいは地域において、一つのはっきりとした基準とか、モデルがあって、それに従って、契約を交わし、そして契約内容が正しく行われているかどうかをチェックするという仕組みは残念ながらありません。契約を交わす自治体と企業の個別契約にすべてが委ねられています。ここが非常に不透明なのです。フランスの会計検査院が、非常に不透明だという指摘をしているくらい非常に見えにくい。直営よりも、こうした民間委託の方が料金が高いという実情もあります。いずれにしても、水管理の仕組み自体は非常に立派なものを持っているわけですが、最終的な水道事業の実施段階において民間企業と交わす契約内容というものが、個々に行われている。それを統合的に、共通の透明な場でチェックしたり、必要な基準に基づいて、契約が交わされるというところが弱い。こういう問題があります。

Aイギリスモデル(完全民営化、プライスキャップ、規制コスト、託送)
イギリス(イングランドとウエールズ)は、1989年に世界で初めて、水道事業の完全民営化を行いました。現在においてもイギリスしかありません。これも事情は、以前は公社という形態で、公的管理のもとでやっていましたが、当時のECからの指令で、やらなければならない投資、環境規制に伴う改善投資とかを当時の政府はお金がないものだから、先延ばしにしてきました。そして、最後に、もはや先延ばしにできなくなり、ニッチもサッチもいかなくなってやったのが民営化なのです。自分たちで、公的資金で改善投資ができないという局面に追い込まれて、最終的に打った手が民営化でした。同時に、サッチャーは民営化しなければ政府が負担しなければならなかったであろう改善投資の支出を抑えると同時に、民営化することによって、株式を売却し、国庫に株式売却収入というボーナスをいただいてしまおうという荒技をやったわけです。ところが、国は懐が痛まず金が入ってきていいことばかりで、EU指令はやらなくていいのかというと、やらなければいけないわけです。そういう投資をしなければいけないわけです。そこで民営化された民間会社が何をやったかというと、水道料金の値上げです。最近の状況を見ますと、そういう結果、料金が高まったということと、当初バブルの影響もあったわけですけれども、民営化された水道会社の株が上がりました。それを裏付けるように役員の報酬が高額になりました。一方で、水道料金が値上げになったわけです。株が上がって、株主は儲かるわ役員は高額の報酬を得るわで国民からは総スカンを食うわけです。実は民営化した会社を外側から規制する規制機関がつくられたわけですが、そこが、プライスキャップといって、料金改正をする時の料金の上限を決める規制機関です。規制機関の指示によって認められた範囲でしか料金の値上げができないという仕組みになっています。民営化した直後は、これを緩くして意図的に値上げを認めたんです。それに対して批判が強まったために規制を強めたわけですが、最近の査定ではマイナスになって値下げをしろということになりました。これをめぐっては、裁判沙汰にもなったんですけれども、そのために民間の水道会社の経営が悪化しました。株価も下がるし、格付けも下がる、結果として大量のリストラを行うことになりました。それで、もうやってはいられないという水道会社がでてきました。またNPO化(非営利組織)に転換するところさえ出てきました。 

Bドイツモデル(市有会社、第三セクター、東ドイツの復興)
 ドイツの場合は、市有会社といいまして、都市が全額出資して所有する会社形態の市営事業というものがあります。それが水道事業だけではなくて、電力とか、発熱事業、地域冷暖房事業とか交通事業とか、日本で言えば地方公営企業といわれるようなもので、いろいろな事業を一つの事業体がまとめてやっているという形態が多く見られます。最近は、そういうなかで民間化の動きが起きてきています。そういうところに民間企業が入ってくるという形で、いわゆる第三セクターですね、官民共同でそういう事業体を作っていくという動きが出てきています。ベルリンがその代表例です。丸ごとフランスモデルを導入する、丸ごと民間にお願いしてしまうという動きも出てきています。これは主に旧東独での動きです。旧東独はご承知のように荒廃した状態で統合されました、私も行ってきたことがありますが、西ベルリンと東ベルリンではまるっきり状況が違います。東ベルリンは水道の設備なんかもまるっきり古い状態のままです。そのままの状態では使えない、作り変えなければいけないという問題を抱えていました。そういうときに、やはりお金がない無いんです。結果として民間に委ねざるを得ないという状況が起ってきました。 

Cアメリカモデル(市営水道、カリフォルニア渇水銀行、ダムの撤去)
 アメリカは、基本的には80%以上が公営です。その中で面白いものを二つだけあげておきますが、一つは、カリフォルニア渇水銀行です。水銀行、ウォーターバンクという水の銀行があります。これは、91年にカリフォルニアが大渇水に見舞われ、その時に水の再配分をしました。その際に、農業用水の割合が多いものですからそれを休耕田にしたりして水を確保したわけです。そうしたものは単によこせというわけにもいかないものですから、水利権を金でリースしたり売買するというマーケットを作りました。こういうものが現在もあります。アメリカの中では水利権がリースされたり売買されているわけです。 もう一つは、今日お配りした資料にもありますようにアメリカではダムの撤去というものが進んでいます。最近4年間で、全米で151のダムが撤去されているというふうにいわれていますが、その大部分は役割を終えたいわば無用のダムが中心でした。その中にあって、紹介記事は、現在稼働しているダムを地元の住民と自治体や政府と電力会社の合意によって撤去した、いってみれば話し合いによって今稼働しているダムを止めてしまった初めてのケースだという事例です。アメリカでは、ダムの撤去ということに地元が同意すれば政府が資金を提供する、あるいは必要な援助をするという形でダムの撤去が進んでいるということです。

 5 民間化で問われていること

 最後に、民間化で何が問われているかということをお話ししたいと思います。

(1)              質的な問題

@水資源は公共財(環境財)か経済財(商品)か:ダムの開発と利権、水の商品化、コモンズの悲劇、環境規制と民間化
本質的な問題として皆さんにもお考えいただきたいと思うのは、水資源というものは公共財あるいは環境財なのか、あるいは経済財つまり商品なのか、いったいどっちなんだということです。92年のダブリン原則は、明らかに水は商品なんだということを訴えたわけです。しかし、それで本当にいいのかということです。このことについて、日本の実情に照らして考えると、栃木県の思川開発の問題も含めて、ダムの開発というものは利権がらみで環境や生活必需性というものと大きくかけ離れて、一度決めたことをそのまま突き進んでくるという事態が存在しているということです。これは必ずしも水資源が公共財として、環境財として十分に理解されていない、あるいは取り扱われていない、みんなのものになっていないということです。それが、結果として無駄な開発に繋がり、追加料金の増大にという形で住民生活を直撃する、さらには無用なダム開発によって環境を痛めつけるというとんでもない結果を生んでいるということです。しかしながら、一方では水の商品化というというものが進んできています。特に、最近は余剰水の国際間の取引が行われています。非常に大きなバック、タンカーにくくりつけるような大きなバッグですけれども、そこに水を入れて他国に水を輸出するという動きが実際に起きています。今、WTOでは国際的な商取引の中に水資源を含めるかどうか議論をしている最中です。そうなると、国境越えて水の取引が始まるという事態になります。果たしてそういうところまで水の商品化を進めていいのかということです。一方で、コモンズの悲劇というのがあります。よくいわれるのは、日本の里山というのはみんなが共同で使う共有財産です。誰のものでもない、以前はそこで薪を集めたり、キノコを栽培したりとかみんなで管理し共有し利用を図ってきたという共有財産でした。このようなものをコモンズというんですが、日本の里山の場合は誰もが自由に入って薪を集めることができる、ところがある不心得者がいて薪が最近少ないから薪をいっぱい集めて他人に売ってしまおうとして、次々と入会地を荒しまわると、最終的にコモンズが意味をなくしてしまう。あるいは必要な涵養を図りながら里山を維持してきたのに、あっという間にハゲ山なってしまうというのをコモンズの悲劇といっています。こうしたことは実際にあるわけですが、このコモンズの悲劇を回避するためによく言われる手段が、商品化です。値段を付けろと、薪一束いくらというふうにしてそこに所有制、私有制を持ち込むことによって、コモンズの悲劇を回避するという一つの解決策があります。これは、例えば水が無尽蔵にあり誰でも使える我先に使う、それでいいのか、だから水に値段を付けて無駄な利用を抑制するという、コモンズの悲劇からそういうシナリオを導き出すという考え方もあります。果たして我々は、そういうコモンズの悲劇ということの中で、水の商品化を認めていくということを受け入れるのかどうかということです。コモンズの悲劇ということから、一方では水の商品化、他方では国家管理ということにしていいのかということです。 それから、環境規制と民営化ということでは、EUで現れている事態、環境規制という形で次々と環境に対するハードルが高くなってくることは良いことですが、だけどそのためにはお金がいる。どうなるかというと、環境規制をかければかけるほど民間化が進んでいくわけです。本来、水は環境財であり公共財でありみんなのものです。水というものが環境財であるということからいえば、みんなが管理するあるいは公的に管理するというはずのものです。環境をよくしていくために規制が次々とかけられる、結果として水の商品化が次々と進んでくる、なんかおかしいわけです。環境規制をかければかけるほど、一方では公的部門が管理から手を引き、それが住民の側に戻ってくるかというと、そうではなくて、金もうけの対象に次々となっていくという事態を我々はどう考えるかということです。

A水循環保全の統合的な仕組みがない:マクロの枠組みを欠いたミクロの「効率性」
それからあともう一つは、日本の場合特にいえますが、水道事業の民営化・民間化とか経営の効率化といったことは、どちらかというとミクロの細かい話です。ところが、日本の水資源管理というのは、いまだに中央官庁の縦割りの中にあって、水資源というのは別に色が付いているわけではなくて流域を単位に循環しているわけです。循環しているものを適正に維持していく、持続可能な形で水循環というものを維持していくということが求められているわけです。その中の一つの要素が水道事業であり、下水道事業であるはずです。それが水循環という全体の枠組みから外れて、それぞれがみんな自己主張して、俺が俺がでみんなやっているわけです。その結果、次々と水循環が乱され水資源がやせ細っていくという事態を迎えているわけです。これを元の姿に戻さなければいけない。だから、統合的な水資源管理というものをマクロの仕組みとして持たなければいけないわけです。思川開発の問題も、単にダム開発の問題だけではなくて、流域管理、流域における水循環をどうするのかという問題です。その水循環に対してダム開発がどういうマイナスの影響を及ぼすのかということだと思います。ところが、そういう大枠がないんです。だから水の利用だけ、あるいは治水だけというところから非常に狭い一点の範囲のところから水循環というものがバラバラにされているということです。マクロの枠組みを変えないでミクロの効率性ばかりが主張されているわけですが、これは合成の誤謬といいまして、今の小泉内閣の構造改革と似たところがあります。今、景気が悪い、地元の足銀の破たんがあったりして非常に厳しいわけです。景気が悪いときにどうやって景気良くするか。一つには、ものやサービスが売れない買ってくれないということがあります。個人消費というものはGDPの約六割を占めています。ものが売れなきゃものを作れないわけです。今、景気が上向いてきたといいますけれどもそれは主に東京を中心にした輸出産業です。輸出産業というのは外国にものを売っています。国内にものを売っているところは総じてお寒い状態です。そこが動き出さない、そこが動き出すということは我々が消費するということです。ところが、国はものを買わないような政策を次々と打ち出しています。企業は企業で、合理化でもってリストラをやる。リストラをやればやるほど株価が上がるというばかばかしい事態も起きています。リストラをやれば失業者が増える、賃金が下がる、消費が落ちる、物が売れない、景気が良くならないわけです。企業がやっていることは、企業一つ一つを見れば合理的なことですが、経費を削減する、人件費を抑制する、リストラする、みんな企業にとっては合理的なことですが、そういう企業の行動が全国的にあふれたら非合理的なことになるんです。今やろうとしているこの水道事業の問題にしても、個々のレベルで経営を安定化させようとか、個々のレベルで経営破たんを回避していこうとかという取り組みばかりが先行しています。それらが全部つまみ食い的に民間に委ねられたら、委ねて行くとか統合していくとかというものがバラバラに思い思いの判断で動いたら、日本全体の水道事業、日本全体の水循環、水管理がどうなるのかというと、何もありません。大きな設計図や大きなあるべきビジョンがありません。細かい部分の効率化ばかりが先行しているわけです。

2)当面する問題

@水供給の最終保障責任をどう担保するか
最後に当面する問題ですが、一つは、水供給の最終コスト責任を民間に委ねようと何しようと、水道事業が地方自治体、特に市町村の固有の事務ということには変わりないわけです。そこからは逃げられないわけです。民間企業に委ねようとどうしようと最終的な住民に対する水供給は誰が保障をするんですか、どういう形で保障してくるんですか、これが見えてこないのです。

A丸投げ委託の可能性一包括委託の前提−
 それから、民間委託が進む場合にどこから進むかというと、自分たちではお手上げで状態になってきている中小企業体から進みます。そういうところが、どちらかというと丸投げに近い形で民間に放り出していく可能性が強いわけです。だけれども、これは大変危険です。民間企業も倒産するわけですし、民間に委ねれば自分たちよりもちゃんとやってくれるといっていると、いったい誰がそれを監視するのか、あるいはちゃんと民間にやってもらえるような形で自治体が委託できるのか、はっきり言えば何を民間に委ねていいか、どういう基準でどういうことを条件にして委ねていいのか、そういうことが自分自身で見極めができないという状態になってはしないか。そういうときに、とにかく身軽になりたい、ということで民間に丸投げするの非常に危険なことです。そういうところにちゃんとメスを入れ、透明性を高めて、住民に対する説明責任を全うさせていく、無責任に民間に責任放棄するということではなくて民間に委ねるとしても最終保障責任は自治体にあるということを明確にして、自分たちの責任のあり方をはっきりと示すべきだし、説明すべきだと思います。


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