第2期とちぎ自治講座第1回講義

 公共事業改革と地域経済の再生

開催日:2003年10月25日(土)
開催場所:宇都宮大学農学部南棟4階 3401教室
講師:奈良女子大学 中山 徹 助教授


 ご紹介いただきました中山です。専門は都市計画です。出身は工学部の建築学科ですが、建築学科というのは建物の設計もしますが、まちの設計、都市の設計もします。奈良女子大学は工学部とは言わないで、生活環境学部といっていますが、そちらの都市計画にいます。 今日のテーマは「公共事業改革と地域経済の再生」ですが、専門の都市計画からみて公共事業改革がどういう段階に置かれているのか、また、地域経済との関係ではどの辺をポイントに考えていったらいいのか、ということについてお話をしようと思います。 

1)日本の公共事業、その特徴

公共事業改革を進めるにあたって、どういうところに公共事業の大きな特徴があるのか考えていきたいと思います。今の政府の政策で構造改革が最大の柱となっています。構造改革そのものは多方面に及んでいきますが、政府の政策の柱のなかに、例えば、道路公団だとか、郵政だとかの民営化の問題がありますが、構造改革の主要な柱の一つに公共事業改革が位置づけられていることは間違いありません。日本のマスコミや市民の意識、その他をみても、今の公共事業をこのままで将来も進めていっても良いという判断はほとんどないと思います。問題は、じゃあ公共事業をどういう方向に改革していくのかということが大きな争点になるわけです。  もちろん、構造的な改革は必要だが、当面、身近なところでは困るという総論賛成、各論反対なんですが、いずれにしても何らかの形で日本の公共事業を改革していかなければならないという点では大きな世論になっているわけです。ただ、改革する以上は、今の公共事業の問題点をどこに見いだすかということが重要だと思います。日本の公共事業の特徴はどこにあって、改革すべき点はどこにあるのか、ここの一致がないと、公共事業改革を進めるけれども、実際は改革が進まないという問題が生じてきます。

・事業費が大きい

日本の公共事業にどれだけ大きな特徴があるかというふうにみているかというと、公共事業の事業費総額が極めて大きいというのが第一の特徴です。 日本の公共事業費は1995年若しくは1993年あたりが一つのピークでした。1995年にピークを迎えて、その後橋本内閣のもとで公共事業費の削減が若干行われるのですが、橋本内閣以降、1998年、99年とまた公共事業費が増えました。いずれにしても1990年代、日本の公共事業費は若干の上下変動はありましたが大きかったわけです。公共事業費は工事費と用地費がありますが、国際的な統計では用地費がなくて、工事費でしか比較が難しいので、工事費だけで比較すると、日本の公共事業費はGDPに対して、毎年6%位です。比較的高いヨーロッパのフランスで3%台、アメリカとかイギリスで2%台です。日本の場合、GDPとの関係で先進国のなかで極めて大きい。金額的にみてもピーク時を単純に為替レートで比較しても、90年代の日本の平均した公共事業費というのは、アメリカと比べても大体2.5倍です。日本で公共事業を最もたくさんしているのは東京都若しくは北海道ですが、東京都や北海道で1年間にやっていた公共事業はイギリスの1年間の公共事業と大体一緒です。私が住んでいる大阪はオーストラリアとだいたい一緒です。どう考えても、イギリスで1年間にやっている公共事業と同じだけの公共事業を東京都内でやるというのは無理があると思うんですね。工事費を単純に為替レートで比較するとその位の公共事業をやっているんです。当時、90年代でみると、サミットに参加している先進国が1年間にやっている公共事業を全部足し合わせたよりも、日本が1国でやっている公共事業の方が大きいという状態がずっと続いてきました。いずれにしても、日本の公共事業費というのは諸外国と比べると桁外れに大きいわけです。これが日本の公共事業の端的な特徴です。 ・不況時に増える それから、もう一つ日本の公共事業で興味深い特徴は、不況の時に増えるということです。経済学でいうと典型的なケインズ経済学ですが、不況になると政府が公共事業等を通じて有効需要を創って、失業者などを救済していくという方法を取るわけです。今の先進国の中で、不況のときに公共事業を増やして景気対策を図る、失業者を救済する国というのは、日本だけしかありません。90年代の前半は先進国ではだいたい景気はよくなかったんです。日本は91年にバブル経済がはじけまして、不況に入るんですが、アメリカは90年代半ばに当時のクリントン政権で景気が若干上向きました。諸外国は90年代前半は大幅に公共事業費を減らしているんですけれども。日本の公共事業は大幅に膨らんでいるんです。日本では不況の時に公共事業を増やすというのは極めて当たり前のように言われていますが、国際的にみると不況対策で公共事業を増やしている国というのは先進国では日本だけという状況になっています。 ・社会資本整備は遅れている日本の公共事業費が諸外国と比べて桁外れに大きいという傾向は90年代に限った傾向ではありません。今から30年ほど前、1970年あたりをみますとイギリスは公共事業費の対GDP比は日本とほとんど変わらないんです。ところがアメリカやヨーロッパの国々は70年代以降ずっと公共事業費を減らしているんです。公共事業というのは社会資本整備が中心になりますから、だいたい経済が途上国になればなるほど通常公共事業費は増えてきます。20世紀の後半になると先進国では経済がかなり成長した結果、社会資本整備というのは全体としては比率を下げていっているんですが、日本は経済的にはかなり大規模な経済大国になった以降も他の先進国に比べると非常に大きな公共事業費をずっと維持してきているんです。30年ほど前と比べるとイギリスと対GDP比では変わらないんですが、70年代以降日本は公共事業費をずっと大きく維持してきています。だから、かれこれ30年くらい他の先進国に比べて公共事業費が桁外れに大きいんですね。それだけ公共事業をずっと整備してきますと、さぞかしヨーロッパやアメリカと比べて社会資本の整備状況は高いだろうなと金額的には判断できるんですが、実際の社会資本の整備状況をみますと、これだけ莫大なお金を掛けてきても、とりわけ生活に関連する社会資本、公園とか下水道、生活道路とか公営住宅の整備は極めて遅れています。非常に奇妙といえば奇妙、歴史的な背景が違うといえばそうなんですが、例えば公園をみると、東京都区部、大阪市内、日本の百万以上の都市で一人当たり公園面積はだいたい3uです。日本の大都市、百万以上の都市で一人当たり公園面積が一番大きいのは神戸ですけれども、神戸で一人当たり公園面積が10uです。ただ、神戸でもいわゆる下町といわれているところは一人当たり1uです。山を切り開いたニュータウンでは公園面積はかなりあるんですが、昔からの旧市街地というのは一人当たり1uくらいです。地震で大きな被害を受けた長田区あたりでは一人当たり公園面積が0.何uです。ところが、ヨーロッパで一人当たり公園面積が一番小さいのは、大都市ではパリですが、パリで一人当たり公園面積が10uちょっとです。だから、数字だけみますと日本で一番大きい神戸とヨーロッパで一番小さいパリが大体一緒ということになります。それ以外の日本の大都市はヨーロッパの他の都市と比べると格段に公園の整備状況が遅れていることになります。下水道なんかでもそうです。下水をどういう形で整備していくかというのはいろんな手法がありますので一概にはいえませんし、また、歴史的な背景も違いますけれども、今、日本の下水道整備率が全国で50%を超えたくらいです。イギリスが97、98%、ドイツがだいたい90%、整備率が90%を超えるというのは市街地では100%、ごく一部の農村部で若干整備されていないという状況ですから、反対に日本が50%ということは市街地でも未整備がたくさんあるということです。もちろん、ヨーロッパのロンドンと日本では下水道の歴史が全然違いますけれども、この30年間の日本の公共事業費の巨額な金額と実際の社会資本の整備状況をみますと余りにもギャップが大きいわけです。莫大な公共事業をやっているけれども、実際、生活に関連する公共事業は整備状況が非常に遅れているんです。

2)日本の公共事業が引き起こしている問題

・財政危機

日本の公共事業の改革を考える場合に、その特徴をどう捉えるかが大きなポイントになります。また、そういう特徴がいろんな問題を引き起こしています。どういう問題をひきおこしているかというと、最大の問題は財政問題です。公共事業の場合は国のキッチリとした統計がなかなか出ていなくて難しいんですが、日本の公共事業費の7〜8割は借金で生まれているます。地方レベルや公営企業でははっきりわかるんですが、国の予算のどの位が国債に依存しているかというのはなかなか難しくて細かい点は分かりにくい。

90年代の不況の時に膨大な公共事業を行いました。もちろん、不況ですから国も自治体も税収は減ります。税収が減る中で膨大な公共事業をやるわけですから借金が雪だるま式に膨れあがります。90年代の初め、バブルがはじけた頃の日本の財政状況は先進国のなかでは最も良かったです。当時は、むしろ日米貿易摩擦等で日本は財政状況が良いから内需拡大でもっと頑張れと散々いわれました。当時、アメリカは財政状況が非常に悪かったんです。90年代に日本は公共事業をかなり拡大しましたが、一方、アメリカは90年代半ばに景気が回復しましたし、ヨーロッパはEU統合に向けて財政状況の改善に取り組みました。その結果、今の時点でみますと先進国のなかで財政状況はイタリアと日本が同じか、または日本の方が悪いという状況になっています。この間、公共事業を増やし続けてきましたが、その最大の問題は財政危機を招いているというところにあります。その結果、自治体レベルでは市町村合併という方向に進んでいますが、公共事業費のこの間の拡大がもたらした最大の問題が財政危機ということになります。

・小さい社会保障費関係予算

それから、もう一つは、日本の公共事業費の7〜8割は借金です。この借金も道路公団のような独立採算でやっているようなところは利用料で返していくという枠組みになっていますが、実際、大半の公共事業はいずれ税金で返還していかなければなりません。借金といってもいずれは税金で返していくわけですから、当面税金で支払っている部分と将来税金で返していくものを考えますと、公共事業の大半はいずれにしても税金で返していくということになるわけです。税金の総枠というのはそう動きません。今、自治体レベルの予算でみますと大きな部分は3つあります。一つは公共事業に関連している部分です。もう一つは民生費、社会保障費関係です。もう一つは、教育費です。それ以外にも衛生とか警察とか消防とかいろんな予算がありますが、自治体予算の3本柱というと、公共事業費関係、民生費関係、教育費関係ということになります。日本は諸外国に比べて公共事業費予算が極めて大きいですから、当然、それ以外の予算は小さくなるということになります。もちろん、公共事業費予算が増えたことによって税収が増えれば問題ないんですが、実際、そんなに税収は増えませんから、公共事業予算が大きいということは、相対的にそれ以外の予算が小さいということに繋がります。だから、ヨーロッパの国と比べると日本は公共事業費の予算が大きい反面、社会保障費や教育費の予算が小さいという問題が起こってきます。同じ先進資本主義国でも、予算の使い方によってその国の特徴が出ています。ヨーロッパにいきますと、日本と比べて社会保障費関係の予算が非常に大きいですね。日本は公共事業関係の予算が非常に大きい。アメリカは軍事費関係が非常に大きい。その国よって特徴が端的に現れるんですが、日本の場合は東京都内で行われる公共事業費がイギリスと同じくらいということですから、イギリスと比べると当然社会保障費関係の予算が小さいわけです。

・環境問題

それから、もう一つの問題は環境問題です。これだけ小さい日本の国でこれだけ公共事業をやり続けると環境上深刻な問題が起こるというのは当然です。昔は、公害問題というのは工場等に起因するものがほとんどでした。ところが、今、環境問題というと大半が公共事業絡み、道路関連です。全国的に問題となっている環境問題は諫早湾、以前でしたら宍道湖、長良川などみんな公共事業絡みです。公害で今最も深刻なのは、自動車からの公害、幹線道路沿いの公害です。ですから、現時点で環境問題というとかなりの部分が公共事業絡みです。 公共事業はいろんな問題を引き起こしていますが、今日の日本の公共事業の問題は、一つは財政問題、もう一つは社会保障費、教育費が小さいという問題、もう一つは環境問題、そういうところが社会的に注目されていると思います。

・無駄な公共事業

 問題は、それだけ莫大な公共事業をやってきて、それが社会的に有効に活用されていれば救われるんですが、最近指摘されているのは非常に無駄が多いということです。例えば、工業団地を造っても工場が来ない。空港を作っても飛行機が飛ばない。高速道路を作っても車が走らない。ということが全国各地で起こっています。

・経済効果が落ちている

それから、もう一つ大きな問題は不況対策としてこれだけ公共事業をやってきても景気が一向に回復しないことです。その理由の一つは、公共事業の経済効果が著しく落ちてきていることです。従来でしたら、公共事業をやることで失業者が救済される、公共事業をやることで余っている鉄やセメントなどを行政が買い上げ、余っている資材を回転させることが機能しました。しかし、1990年代の10年間というのは莫大な公共事業をやっても経済効果が著しく落ちているんです。何故、そういうことが起こっているのかというと、一つは公共事業の規模が大きくなっています。昔と比べると大型の公共事業が増えています。公共事業は規模が大きくなればなるほど雇用率といいますか、例えば、1億円あたりの雇用者数は事業規模が大きくなればなるほど雇用できる人は減っていきます。この間、事業規模はかなり大きくなってきていますので、かつてほど公共事業の雇用効果が認められなくなりました。 それから、もう一つは、この間製造業を中心に海外移転が進んでいます。昔でしたら、不況の時に道路を造る橋を作るということをすれば大量の鉄を使いました。1960年代から70年代は日本の国内に製鉄所がどんどんできた時代です。そういう時代に余った鉄を公共事業で有効に買い上げると、鉄が回転します。ところが、今は日本の製鉄会社はどんどん変化していて、日本の国内で鉄が売れなく不況になっているかというと、そういう理由ではないんです。ですから、かつてと同じようにように公共事業をどんどん拡大して鉄やセメントをどんどん使っても昔のように製鉄所が国内に設備投資をするかというと、そんなことは起こりえません。大手の企業が中心になって工場を海外にどんどん移転させていますが、その結果公共事業の経済効果が落ちるという、ある意味では皮肉なことが起こっています。 この間、公共事業は非常に拡大してきましたが、その公共事業のかなりの部分が無駄をしている。また、公共事業を拡大したが、残念ながら経済効果が著しく落ちている。これが公共事業の現状ではないかと思います。莫大な財政危機を招き、環境破壊を招きながら進めてきた日本の公共事業が、残念ながら当初の目的を充分に達していないというのが、この間の日本の公共事業の大きな特徴ではなかったかと思います。

3)構造改革と公共事業改革

一方では財政的にどうにもならない、また、国民の世論としても今のような公共事業をこのまま続けてくれというような人はほとんどいない。そういう中で、公共事業の改革ということが不可避になってきました。ですから、今、政府も含めて公共事業の改革が進んでいます。ただし、政府がどういう方向で公共事業の改革を進めるのか、構造改革の一環で公共事業の改革を進めようとしていますが、そういう公共事業改革が国民からみた問題点の解決につながっていくかどうか、そこが大きなポイントになると思います。

・事業費が減少

今、公共事業の変化がどういう側面でおこっているかということです。まず、事業費ですが、1990年代の日本の公共事業費は桁外れに大きかったんでが、これは今でも変わっていません。変わっていなんですが、地方に行けば行くほど財政危機が深刻ですから、昔と同じだけの公共事業が2000年を過ぎてからできているかというと、できていません。91年にバブルがはじけて景気対策として公共事業費を増やし、一つ目のピークが93年、95年でした。よく日本の公共事業費は50兆円といわれますが、だいたいそのとおりです。橋本内閣の時に若干下がりましたが、小渕内閣、森内閣で公共事業費の拡大が進んで、その当時の50兆円近くが今の公共事業費に膨れ上がっているわけです。ところが、小泉内閣になってから構造改革との関係で公共事業費の減少が非常に早いスピードで進んでいます。毎年、大きい年で10%位の削減をしていて、国土交通省の予測では今年度は用地費を除いた工事費代だけでみると、1995年のピーク時のだいたい3分の2位になる見込みです。3分の2位の水準というのは、バブル経済の真ん中、1987年位の水準と殆んど同じです。ただ、当時からの物価上昇分を差し引いた純粋な工事費だけでみるとバブル経済が始まったころの水準まで落ちているのではないかと思われます。政府の正式な統計はだいたい2年遅れでないと出ませんので、今年度の工事費の正式な値は2年後でなければわかりませんが、政府の予測では今年度の公共事業費は金額的には87年度並でしょうということです。物価上昇分を差し引くとバブル経済が始まったころの水準まで落ち込むということです。このまま事態が推移すれば、日本の公共事業費は1980年代前半の水準におそらく2、3年後には戻っていくのではないかと思います。ただし、80年代前半の水準といっても先進国なかでは日本の公共事業費は相変わらずトップです。80年代前半の水準になってもアメリカやイギリス、フランスなどで行っている公共事業費より日本の公共事業費のほうがはるかに大きい。ただ、90年代のような桁外れの状況からは変わるのではないかなと思います。

・地方向け公共事業の大幅削減

これは、一つは、財政的にみてかつてなく公共事業ができなくなっていること。もう一つは、構造改革との関係です。公共事業費は全体として削減する方向で進んでいるんですが、満べん無く削減が進んでいるかというと、そうではなくて、非常に特徴的に公共事業費の削減が進んでいます。どういう特徴があるかというと、地方向けの公共事業費の削減が顕著に現われています。かつては、日本の地方経済はかなり公共事業に支えられていました。それが、良かったかどうかは別ですが、日本は地方に行けば行くほど公共事業に支えられているという側面が強かったわけです。今、日本の公共事業費の削減は地方で一番劇的に進んでいます。

これは、地方に行けば行くほど財政が厳しいということがありますが、それと同時に、国の方針として、言葉は悪いですが、地方のばらまき型の公共事業をこの際削減していくということが明瞭です。そういうことで、この間、地方向けの公共事業費が大幅に減っています。

・公共事業削減の理由

何故、政府がそういうことをやりだしているかということですが、政府が構造改革のなかで公共事業費の削減に手をつけていることの意味が非常に重要です。公共事業というのは今の政府を支えてきた非常に大きな柱です。今の政府与党は都市部ではたくさんの議員を確保できなくて、地方で多くの議員を確保しています。政府与党が地方で議員を確保する一つの手段が公共事業だったんです。そいうことで地方は日本の保守政党の大きな政治的基盤だったんですね。もう一つは、日本経済は公共事業にかなり依存する形をとっています。建設業は当然ですが、製造業も鉄や鉄鋼業をみてみると、例えばアメリカの製鉄業では公共事業に依存している率はそんなに高くない。アメリカの製鉄業の株式は自動車業界に依存したりするんです。ところが、日本の製鉄業界はかなりの部分を公共事業で売りさばいているわけです。そいう意味で日本は製造業も含めて公共事業にかなり依存しています。地方経済をみてみると、日本の就業人口の約1割は建設業ですけれども、都道府県レベルでみて多い県では6分の1から7分の1が建設業に従事しているわけですね。町村レベルでみると3分の1位が建設業に従事しているという調査もあります。そういう意味で、日本経済というのは公共事業に依存する構造になっているわけです。だから、政権政党を支えてきているひとつ政治基盤の大きな柱が公共事業だったし、地方も含めて日本の経済を支えてきた大きな柱の一つが公共事業だったんです。この公共事業費が大幅な削減に向かい始めている。何故、政権政党がそういう方向に舵をとりだしたのか。その最大の理由は、この10年間に日本に起こっている産業構造の変化です。1985年のプラザ合意以降円高が進み、円が2倍に上がっていくんですが、そのなかで製造業を中心とした企業の海外進出が一気に進んでいきます。いわゆる多国籍企業化に日本の企業が本格的に動き出したのがこの10年間でした。バブルがはじけてから日本の経済は非常に悪いですが、多国籍企業化というのはもの凄い勢いで進んでいます。かつての日本の産業構造は輸出主導型で公共事業依存型というものだったんですが、その一つの柱である輸出主導型の産業構造が多国籍企業型の産業構造にこの間急速に変貌をとげているわけです。多国籍企業型の日本の経済構造に応じた様々な構造を作り出していくというのが構造改革の柱です。公共事業改革も当然そのなかに位置づけられています。要するに多国籍企業化を始めている日本の経済界の中枢部分にとっては、国内で公共事業を通じて有効需要の拡大を図っていくという政策は、多国籍企業にとっては時代にそぐわないというふうに変わってきたんです。特に、多国籍企業からみると日本の農山村にある意味では大量にバラ撒かれていた公共事業は経済的にはほとんど意味をなさないものに変わってしまったんです。かつては、そんなことはありませんでした。かつては輸出主導型の経済だったわけですが、何故、輸出主導型が可能だったかというと、一つは安い原材料、石油や鉄鉱石などを大量に輸入できた、それと今と比べて円が安かったからです。それを、国内の安い労働力で加工します。それで、日本の国際競争力が確保されていたんです。何故、日本で安い労働力が確保できたかというと、ヨーロッパは移民政策に頼ったんですが、日本は地方から安い労働力を大量に確保することが可能だったんです。いわゆる古典的な都市と農村の対立というものが、当時の日本には残っていて、要するに安い労働力を大量に地方から都市部に連れていく、安い工業用地を確保する。都市と農村の対立というイメージでいうと都市が農村を収奪するというふうにいわれますけれども、そういう関係が成り立っていたんです。当時の大手企業からいうと農村部から安い労働力を引張ってくるという意味では、日本の農村が高度経済成長に果たした役割が非常に大きかったといえます。ところが、今、安い労働力を求めて日本の農村から労働力を連れてくる企業はありません。昔みたいな集団就職は今はありません。安い工場用地を求めて地方に工場を作ることもほとんどありません。日本の大手企業は安い労働力を求めて東南アジア、中国に行っています。安い工業用地や工場用地を求めて東南アジアや中国に出掛けて行っています。要するに、高度経済成長時代の日本の農村が果たしてきた役割を、今、東南アジアや中国が果たしているわけです。だから、多国籍企業からみると日本の農山村に公共事業を撒いていく、そこに企業から集めてきた税金を使うという経済的意味が失われてしまったんです。もう一方、政治的な地盤ですが、今でも日本の保守政党は政治的な地盤をかなり地方に置いています。ところが、小泉総裁が、最初の総裁選挙の時に掲げた公約は「自民党をぶっ潰す」というものでした。これはどういうことかというと、従来自民党が立脚してきた農村部の支持層、建設業界の支持層、そういった支持基盤に依拠するのではなくて都市部に支持基盤を移せるように、そういった新しい自民党を作りたいというのが彼の総裁選挙での公約だったんです。日本の場合、90年代の初めに小選挙区制を導入して二大政党制を実現しようとしたんですが、それがなかなかうまくいかなかった。当時、目論まれたのが、自民党を中心とする従来の保守層に立脚する保守政党、もう一方は、どちらかというと都市部に立脚する新しい保守的な政党という新しい二大政党制をイメージしたんですが、もう一方の保守政党ができなくて、結局、自民党自信が新しい保守政党に脱却するということになったんです。だから、もし今の自民党が掲げている政策がうまく成功していけば、政治基盤が保守的な農山村に依拠しなくても都市部の多国籍企業化している、いわゆるホワイトカラー層、若しくはそれに関連するような様々な層、そういうところを保守政党が集めることができれば、かつてのように農山村で大量に票を集める必要がなくなります。これはまだ実現していませんが、そういう方向に動いていくならば、今の政権政党や保守政党からみて日本の農山村に公共事業を通じて利益誘導を図っていく、そういうことを通じて農山村を維持していく政治的経済的意味が失われてきているわけです。だから、構造改革の中で多国籍企業化の時代に不要なお金の使い方を見直して、公共事業改革、とりわけ地方向けの公共事業費の大幅な削減を行うという政策をこの間進めてきました。

・都市再生型公共事業への重点化

公共事業費全体として減らしています。とりわけ地方向けの公共事業費は大幅な削減に向かっていっていますが、その中で例外的に重点化を図っている公共事業があります。これが都市再生型公共事業といわれているものです。これからの国際競争の時代に日本経済を活性化していくために何が必要かというと、日本の都市の国際競争力を引き上げることを柱にしているわけです。日本がこれだけ国際競争に勝ちにくくなっている要因の一つは、日本の大都市部の国際競争力が低下しているためためだと。例えば、日本の国際空港は非常に使いにくい、諸外国と比べると日本の大都市部の渋滞はひどすぎると。これまで社会資本整備を農村部で重点的にやってきたけれども、これからはもっと都市部で社会資本整備を進めて国際競争力を引き上げていくべきだと。国際競争の時代は日本の大都市部の国際競争力を高めることとイコールだと。そういうのに役立つ公共事業は、これからはたとえ総額は削減したとしても重点的に充てていきたいということです。今、政府が進めようとしている構造改革のなかで公共事業改革は、端的にいうと総額が減るのは止むを得ないけれども、地方向け公共事業費を大幅に減らして、そこで浮いてきた財源は国際競争に役立つような都市部での公共事業に回していきたい。これが政府の考えている公共事業改革になるわけです。

3)地方向け公共事業の減少と地域経済

・公共事業依存型経済の構造

それでは、こういう公共事業改革を進めていくとどういうことが起こってしまうのかが問題になってきます。まず一つ目は、地方向けの公共事業の削減ということを進めているわけですが、これが地方経済との関係でどういう問題をもたらしてくるのか、ここが大きなポイントになります。日本の場合は、地方に行けば行くほど公共事業に依存する構造が顕著です。これは、ヨーロッパと比べても明らかです。ヨーロッパでは別に農村部に行ったからといって建設業の従事者が地域の3割を占めるなどということは起こっていません。ヨーロッパの地方にいっても第一次産業で十分生活が成りたっていますから、日本のように公共事業に依存しなくても地域経済が成りたっているわけです。ところが、日本の今の地方経済をみますと農産物の自給率は4割という水準です。製造業といっても海外移転が進んでいますから、地方の製造業もかつてのようにやっていけるかというと難しい。また、反対に安い工業製品が中国や東南アジアから大量に入ってきていますから、昔からあった家内工業的な製造業はほとんど立ち行かなくなっています。また、商店街もそうですが、今、地方に行けば行くほど大規模なショッピングセンターができていますから、商店街は壊滅的な状況にあります。伝統産業が頑張っているところもありますが、残念ながら伝統産業の雇用率は全体からして決っして高くないですね。10年、15年前はリゾート、リゾートと大騒ぎしていましたが、今、リゾートなんていっている地域はほとんどないですし、観光でやっている地域もありますが、極めて限られている地域です。日本のこの間の高度成長のなかで第一次産業をずっと衰退させてきて産業空洞化を引き起こしてきたわけですが、そういうなかで、今、地方に行ってかろうじて雇用が確保できるのが公共事業と役場と農協だけという状況に追い込まれていっています。ところが、農協は今かなり厳しくなっていますし、役場に関してもこれから市町村合併でリストラが進んでいきますし、その上、公共事業を大幅に削減するという方向に動いていますから、日本の地方経済はこのままほっておくと破綻するという大変なことになってしまいます。今の構造改革は地方切捨てなんていわれていますが、正にそのとおりで、今のような構造改革路線で公共事業費の削減を一方的に行っていきますと、地方経済が破綻するのは時間の問題です。その中で、今市町村合併が進んでいる町村も多い。確かに市町村合併をしますと、特例債等を発行して、当面10年間くらいは公共事業費を確保できますが、それが終わってしまうと公共事業費を確保する財政的方策が見当たらないですね。当面の公共事業費を確保するために市町村合併に進んでいく、もちろん市町村合併はそれだけでなくて交付税の問題等々ありますが、いずれにせよ公共事業費の削減が地方経済にもたらす影響は非常に大きいわけです。そういうなかで先の展望が持てないで取りあえず合併に走っている市町村も少なくありません。今の構造改革で規制緩和をいっているわけですから、これから海外からの逆輸入が増えます。第一次産業も今の構造改革を進めれば進めるほど厳しくなる。そういう中で公共事業費の削減を進めていくと、今地方に住んでいる、とりわけ中山間地域に住んでいる中高年の方がいずれ数が減っていくと、大半の中山間地域が消滅せざるをえないという事態を迎えることは間違いありません。大半の中山間地域が消滅の危機に瀕するということはその中心部にある地方都市の存立基盤が非常に微妙になるということを意味します。ですから、今人口増減をみても県庁所在地若しくはその次の市くらいを除くと地方都市もかなり厳しい状況に追い込まれています。ですから、今のような構造改革路線のなかで公共事業費の削減だけを進めていくと日本の地方経済の破綻ということが顕著に起こってくると思います。・公共事業の削減と地方経済の自立的再生そうすると公共事業の改革と地方経済の関係をどういう方向で考えていくのが望ましいか、そこが問題です。日本の公共事業費が非常に大きいことがいろいろな問題を引き起こしているわけです。まず、第一に、日本の公共事業費を総額で削減していく必要があることは間違いありません。せめて他の先進国と同じ水準まで公共事業費を減らしても問題ないと思います。もちろん、日本の場合はヨーロッパと比べると生活関連型の社会資本の整備が遅れているという側面があるので、イギリスやドイツ並みに公共事業費を一気に減らしてしまうと問題が起こるかもしれませんが、日本のGDPそのものはかなり大きいですからヨーロッパの水準までできるだけ早く減らしていくべきだと思います。また、かつて地方にばら撒いていたような公共事業もきちっと精査して不必要なものは削減していくことも避けられません。地方向けの公共事業費の削減も含めて公共事業費の削減は当然進めるべきだと思います。ただ、問題は構造改革を全体として進めながら地方向けの公共事業費を大幅に削減していくと地方経済の破綻は必至です。だから、公共事業費の削減を進めながら、その一方で地方経済の自立的な再生をどう進めていくのか、これを両輪にして進めないと地方経済は破綻することは明らかです。今の構造改革は地方切捨てといわれていますように、全体として地方経済の破綻は必至です。これは国際競争の時代のなかで地方経済を支えるために税金を投入するのは意味のないという多国籍企業の発想に基づいているからです。でも、日本の国土面積の大半を占める地方、中山間地域を国際競争の役に立たないからという理由で切り捨てていっていいのかというと、そんなことにはならないわけです。だいたい、日本より国際化の進んでいるアメリカやヨーロッパで、そんな切捨てが進んでいるかというと全く進んでいません。以前、フランスに行って話しをしてみたらフランスでそんな地方切捨てなんていったら絶対政権を転がり落ちるよといわれました。何か、日本の国際競争の足かせのようにいわれていますが、そうではなくてこの狭い日本のなかで国土全体をいかに有効に活用していくのか、日本の地方というのは国際競争のお荷物だけじゃなくて、きちっと第一次産業もできるわけだし、また、環境的な面からも重要な位置を担っているわけですから、地方経済の自立的な再生をどう図っていくのか、ここが公共事業費の削減と同時に進めていくもう一つの柱です。それでは、地方経済の自立的な再生を進めていく上で何がポイントかというと、二点あると思います。一点は、公共事業予算を削減していくのは重要ですが、その予算のかなりの部分を、諸外国と比べると非常に少ない社会保障や教育関係に回していくという改革が必要です。結局、地方は雇用のかなりの部分を公共事業に依存しているんですが、むしろそういう構造を改めて社会保障や教育面でかなりの雇用が確保できるような地方経済に変えていく必要があります。それは、何故かというと、一つは公共事業に比べて日本の社会保障は非常に遅れているわけです。その一方で高齢化がもの凄い勢いで進んでいます。日本の高齢化の進むスピードは世界で一番です。高齢者もこれからまだまだ増えます。高齢者が増えることは結構なことなですが、問題は、高齢化社会に対応した日本の政治経済構造ができているかということです。日本は世界で最も早く高齢化社会を迎えているわけですから、ここに重点的にお金を使っていくということは当然です。その一方で少子化社会です。今日本の合計特殊出生率は1.32人で、先進国のなかでも最も低い出生率です。ヨーロッパ、フランス、スェーデンあたりで、スェーデンは少し下がりましたが、出生率が1.8、1.9位を確保しているわけです。万全の対策をして出生率が2を超えるかどうかという議論の余地はありますが、どの国でもキチッとした少子化対策を講じれば人口の回復力に繋がっていくわけです。このまま放っておきますと、日本は高齢化の進むスピードも世界一、人口減少の進むスピードも世界一ということになります。そう考えますと公共事業で造った社会資本がたくさん余っている。それに対して高齢化社会に向けた対策は非常に遅れています。また、少子化対策については諸外国と比べると、まだほとんど手がついていない状態です。むしろ、日本のどこの地域に住んでいてもきちんと安心した老後が遅れる。また、どこの地域に住んでいても安心して子育てができる。今中山間地域で子供を育てようと思うと都市部に出なければなりません。そうではなくて中山間地域に住んでいても子供が充分に育つような環境を作らなければだめだと思うんですが、そういう環境を作るためにも社会保障や学校教育予算を拡充していくことが社会的にも求められていると思うんです。また、中山間地域で人々が住んでいくためには中高年の職場を確保していくということも重要ですが、若い世代が地方に住み続けられるような雇用対策も求められていると思います。公共事業でももちろん若い人も働けますけれども、若いファミリー層が一番働きやすいのは社会保障関係、学校教育関係です。大学に関係されている方がいたらお解りかと思いますが、最近の若い人はそういう社会保障関係で働きたいという学生が多いんです。社会保障関係の職場というのは、若い男性や女性が安定的に働ける職場です。公共事業はどちらかというと中高年の男性が多いですが、それに対して社会保障関係というのはやりようによっては若い男性、女性が働ける職場です。だから、社会保障関係の予算を上げようということは、若い人が働ける職場を地方できちっと確保していくうえで非常に重要です。しかも、先ほども述べましたが公共事業の雇用効果は落ちてるんですが、それに対して社会保障の雇用効果は非常に高い。高齢者福祉と道路整備を比べると、同じ予算をかけても高齢者福祉の方が1.8倍くらいの雇用を確保できます。なぜかというと、高齢者福祉、例えばホームヘルパーを考えていただくと、予算の大半は人件費です。人件費の占める比率の高い事業は雇用効果が高いわけです。福祉会計というのは行政が使う予算を考えると非常に雇用効果が高い。公共事業の雇用効果が落ちてますが、それに比べると社会保障関係は非常に雇用効果が高い。また、公共事業予算というのは使った予算のかなりの部分が都市部に流れていきます。これは、最近では大手企業が公共事業を取りに来ていますから、大手企業が取った予算というのは、かなりの部分が圏域外に流れていくんです。ところが社会保障予算というのはほとんどが圏域外に流れないですね。最近では、大手の企業も社会保障に参入していますが、まだ圧倒的に少ないです。ホームヘルパーさんを雇用すると大都市部から地方に通勤してくるかというと、だいたいそんなことは起こらなくて、通常、ヘルパーさんはその地域に住んでいるんですね。その地域に住んでいるということは、もらった給料はまずその地域で回っていくんです。経済を活性化するかどうというのは、その地域のなかでどれだけお金が回転するかいうことですから、地域経済効果を考えると、地元での雇用効果の高い社会保障や学校教育関係は地域でお金が回っていく可能性が非常に高いですね。いままでは、どちらかというと公共事業で地方経済を支えていましたが、これからの社会のことを考えると社会保障や学校教育予算を拡充して雇用を確保し、ここで地域経済を支えていくように変えていくことが一つの大きなポイントではないかと思います。 もう一つは、第一次産業の振興です。日本の農産物の自給率は40%で、こんな国は先進国のどこを捜してもありません。元々、頑張れば日本で農業は充分やれるわけです。40年程前は自給率が80%を超えていたわけで、気候風土からいうと日本は非常に農業に適した国です。ヨーロッパ、例えばイギリスと比べるとはるかに日本の方が農業に適した気候なんです。日本では農業が適さないから衰退したのではなくて、一つには政策的に農産物の自由化等で衰退させられてきました。それから農業政策の方向性が間違っていたのではないか。公共事業の視点でいいますと農業予算のざっと半分は公共事業関連費です。日本の農林業予算のなかで、農地の整備とか、林道の整備、漁港の整備というものが多いんですが、残念ながら大規模農業の基盤整備は行っていますが、日本の農業は衰退する一方です。漁港の整備を一生懸命進めていますが、日本の沿岸漁業が振興されているかというとそうではないです。決っして日本の農業予算がないというわけではなくて、日本の農業予算のかなりの部分が公共事業関連予算に献上しているということに大きな問題があるわけです。財政状況が厳しいですから農業予算を増やすというのは非常に難しいかもしれませんが、農業予算の中味を公共事業偏重型の予算から直接農林漁業の振興に役立つような予算に変えていくことで、かなりの農業振興が図られるのではないかと思います。例えば、今年は米が不作ではないかといわれていますが、別に天候不順というのは農家の責任ではないわけです。それによって所得が上下していては困るわけです。林業はあまり詳しくありませんが、長野県では間伐材をガードレールに使っているところもあります。農林魚業予算を増やせればそれに越したことはないですが、そうでなくても中味を考えていけば農林魚業の振興というのはかなり可能になるのではないかと思います。地方経済の自立的再生を考えると一方では公共事業予算の削減は避けられませんが、それをしつつ、一つは社会保障や学校教育関係で地方の雇用を大きく確保していく、もう一つは地方経済の中心部分を担ってきた第一次産業の再生をどう図っていくのかということをポイントにして、公共事業費の削減と地方経済の再生を両輪として進めていくことがどうしても必要になります。

4)都市再生型公共事業で都市は再生されるのか 

・再び東京への一極集中が発生

地方向けの公共事業は非常な勢いで削減が図られています。ところがその一方で都市再生型の公共事業へ重点化が図られている。政府が考えている都市再生型公共事業で都市経済の活性化が進んでいくのか、ここを考える必要があります。政府が進めようとしている都市再生は、結局は何かというと、一つの柱は、都市部に国際競争に役立つような大型公共事業を集中させるということです。具体的には、国際空港とか高速道路、国際会議場など国際競争に役立つ大型公共事業を集中的に都市部で実施しています。もう一つの柱が徹底した規制緩和です。これは、日本の民間企業の開発に対するポテンシャルは非常に高く、これを顕在化することができれば都市経済の活性化が図られる。ところが、開発のポテンシャルを顕在化させない最大の理由のひとつに規制がある。だから規制を大きく緩和することで民間企業が考えている開発を一気に顕在化させようというものです。これが日本の都市再生の二つの柱です。今、これでどういう事態が引き起こされているかというと、全国各地で緊急整備地域というものが指定されてきています。既に三次にわたって指定されていまして、一次で東京、大阪の大都市圏で指定されてまた。二次では東京、大阪、福岡の大都市圏、周辺の都市圏で指定されています。東京近辺では千葉とか横浜とか川崎が指定されています。それから地方中心都市で仙台、札幌などが指定されています。三次指定でさらに広げて、首都圏では埼玉、地方中心都市では広島、岡山が指定されています。この緊急整備地域に指定されますと既存の都市計画法や建築基準法の規制、建築基準法の単体規定はそのままですが、集団規定といって高さの規制とかあるんですが、これが白紙になる。企業が建てたいだけの規模の建物を建てられるように変わってしまいます。こういう緊急整備地域の指定をしてともかく規制を取り払うということをしています。ところが、全国的にみると徹底した規制緩和で民間開発が進んでいるのは東京都心部のごく一部だけです。品川、六本木、汐留、丸の内など山手線沿いのしかも南側の一部では今、ものすごい勢いで民間開発が進んでいますが、それ以外のところではほとんど進んでいません。首都圏でも、例えば、バブルの時は千葉の幕張とか横浜のみなと未来とかある程度民間企業の立地が進んで、バブルがはじけてからは全然だめですけれど、今は千葉や横浜では民間企業の開発はうまく進んでいません。東京の都心部のごく一部に集中しているんです。関西でもごく一部では進んでいますけれども、大阪でも進んでいるのはごく一部です。進んだら話題になるくらいです。徹底した規制緩和を行うと、どういうことが起こっているかというと、企業の資本は一番収益の上がるところに集中します。歴代の政府はそれがうまく実施されていたかどうかは別として、国土の均衡ある発展ということを掲げてきました。首都圏とか近畿圏については新たな立地を制限していたんです。ところが、この間、立地制限はかなりの部分で緩和されましたし、民間企業の開発を認める緊急整備地域を各地で指定しました。今では、国土の均衡ある発展という旗を降ろしています。要するに、自立と競争の時代なんです。そうなると資本の投資先は一番利益のあがるところに集中します。それが品川とか、汐留とか丸の内なんです。結局、この間急速に何が起こっているかというと、東京への一極集中です。これが、バブルの時よりもさらにひどい形で進められています。バブルの時は東京だけでなく首都圏全体にかなり集中したんですが、今は本当に東京の都心部に全てのものが集中しています。この間の人口の社会増をみますと、一番人口が増えているのが東京です。バブルの時、東京は人口が減っていたんでが、東京が今一番増えています。今、すべてのものが資本の投下先も働く場も東京のごく一部に集中しています。東京の山の手線内では高層ビルが密集して建ちだしています。狭い日本でそれだけ広い面積をとっているわけです。一方で衰退の危機に瀕していて、もう一方で高層ビルの乱立です。非常に国土の利用がアンバランスになっています。東京一極集中がバブルの時以上のひどさで進み始めています。これだけ徹底的な規制緩和をやれば資本が集中するのは当たり前です。都市再生法に基づいて今のような構造改革路線の都市再生を進めて行くと東京一極集中がいびつな形で進んでいくのは間違いありません。 

・都市再生型公共事業はどうなるのか

ただし、東京一極集中に限らず緊急整備地域もそうですが、地方に行きますと東京の代わりに拠点都市への一極集中が進んでいます。ただ、民間開発を拠点的な所で一極的に進めていくことが地域全体の活性化につながるかというと、そうではないんです。例えば、東京でも丸の内とか六本木で大規模な商業施設を造って、個々には沢山の人が集まっていますが、かつてのように地域全体で活性化が進んでいるかというと、開発したそのポイント・ポイントだけで活性化が進んでいるだけです。むしろ東京なんかでも、今オフィスビルがものすごい勢いで建てられています。一つは地方からオフィスビルが移ってくるということがあるんですが、その周辺からオフィスビルがどんどん移転しています。昔だったら、高度成長経済の時もバブル経済の時もそうですが、大規模なオフィスビルを建てるとオフィスが全体として増えていましたから周辺で空き家が増えるようなことは起こらなかったです。ところが、今は大規模なオフィスビルができてそこにオフィスが入ると周辺はガラガラになります。要するに日本は多国籍企業化が進んでいますから国内全体のオフィスや事業所は減っています。事業所統計なんかみると事業所数は減っているんです。だから、大規模な開発が一点に集中すると周りの空洞化が進んでしまって、昔のように一点的な開発が周辺に一定のインパクトを与えるかというと、むしろ反対で、大規模な開発をボンとやってしまうと商業にしても業務にしてもむしろ周辺が空洞化するということで進んでしまいます。開発する事業からみれば自分の開発がうまくいって、そこで収益があがればいいんだけれども、地域全体でみると拠点的な大規模開発をやっても地域全体はむしろ空洞化してしまうという問題が起こっているわけです。単純に大幅な規制緩和を行って民間開発が仮に進んだとしても、それが地域全体の活性化に繋がっているかというと繋がっていません。むしろ地域全体ではその拠点を除けば空洞化が進むという困った問題が起こるし、全国的にみるとかつて以上の東京一極集中がまた動き出しています。そういう意味では国土の均衡ある発展や都市全体の均衡ある発展ではなくて、拠点、拠点の開発したところだけの一極集中が引き起こされそうです。 都市再生で大規模な公共事業を都市部に集中させるということは、本当にそういう公共事業が国際競争にいるかという問題になります。例えば、空港をみても明らかに滑走路が一杯だからというのは羽田だけです。羽田を拡張するというと成田もどうなるかわかりません。大阪の方では関空や伊丹がガラガラですが、その上、神戸空港を造るといっています。今、政府が重点的に進めようとしている都市再生型公共事業の大半のところは既に余っているんです。日本の都市の国際競争力が仮に劣っているとしても、別に空港や高速道路が不足して競争力が劣っているとは考えられないですね。例えば、大阪はこの間地域経済が厳しいですけれども、国際空港がないから劣っているかというと関空はあるしまだ充分余っているんですね。高速道路や空港がないから日本の都市の活力が劣ってきているかというと決してそうではないんです。また、先端技術産業をさらに誘致するためにということで、都市再生型公共事業でもう一度先端技術産業を誘致するための土地の造成が考えられています。今、首都圏でもベイエリアをみたら山のように土地は余っています。企業が撤退したベイエリア周辺の工業地帯の土地が山のように余っています。無理して新たな用地を造成しなくても新たな産業を誘致するための土地はいくらでもあるんです。

・都市再生緊急整備地域で都市は活性化するのか

そういうことを考えると、政府が都市再生型公共事業で重点化を図っていますが、90年代と同じように無駄な事業を拡大再生産するだけではないかなと思います。恐らく、都市再生型の大規模プロジェクトを都市でやっていってもそれが後々有効に活用されるのはごく一部ではないかと思います。構造改革で公共事業改革をやっても、一方では地方が消滅に瀕するんですね、一方では都市の時代ということで、そういうことをしているんですがそれが都市部の活性化に本当に繋がるかというと、はなはだ疑問だと思います。地方経済の活性化を図っていくのであれば、先ほど述べたような視点で自立的再生を図っていくべきだし、都市部では都市の再生を図ることについては賛成ですが、それは政府が考えているような規制緩和や大型公共事業では決してないと思います。それは、宇都宮でも一緒だと思いますが決して都心部で再開発等を進めていくことが宇都宮の再生になるとは思いません。むしろ、もうちょっと違った都市の再生ということを考えていく必要があるのではないかなと思います。

5)公共事業再編の方向

・開発型公共事業から改善型公共事業へ

それでは都市の再生をどういう方向で考えていったらいいのかということを都市計画の視点からみていきたいと思います。これからのまちづくりを考えると、かつてと前提条件が大きく変わります。20世紀のまちづくりの目標は増え続ける人口や産業をいかに効率的、効果的に都市空間で受け止めていくか、これが開発の基本政策でした。おそらく宇都宮でも人口が急増したのは1960年代、70年代ではなかったかと思います。その時期というのは、増え続ける人口や産業をどう都市空間で効果的に受けとめて行くかということに集約されたんです。どういう方策が採られたかというと、例えば工業団地を造るとか、ニュウータウンを造るとか、都心部では高層化を図るとか、また、郊外と都心部を結ぶ道路網、公共交通網を造っていくということが20世紀のまちづくりの中心でした。これは、確かに人口や産業が拡大している時代にはある一定の合理性を持っています。人口や産業が拡大する時代にニュータウン開発をしなけば乱開発が起こります。そういうことを考えると、人口や産業が拡大していく時代に宅地の造成を行う、工業団地を造る、道路整備を行う若しくは都心部の高層化を図るというのは一定の社会的な合理性がありました。ところが21世紀はどんな時代かというと、社会的前提ががらっと変わってしまいます。日本の人口は早ければあと1、2年、遅くてもあと数年でピークを迎えて減少をはじめます。少子化対策を万全にすべきだと思いますが、万全にしても人口の減少は避けられません。ただ、今の日本の出生率は1.32ですから、このまま放っておきますと、今まで世界のどこの国でも経験したことのないようなスピードで人口減少が発生してしまいます。それは避けるべきですが、万全に少子化対策をやってもおそらく出生率が2を超えることはないのではないかと思います。出生率が2を下回っていますと人口は長期的には減っていきます。例えば、フランスなんかでも少子化対策をかなりやっていまして、この間出生率を回復するために若い男性や女性が働きながら子育てができるように育児休暇の制度をかなり拡充しています。今では、有給で3年間取れますから、3人子供を生んだら10年近く有給で育児休暇が取れるんですね。そこまで万全の少子化対策をやってますが、出生率はだいたい1.8から1.9です。福祉のかなり進んでいるスェーデンでも出生率が高いときでも1.8です。何故、出生率が2を超えないのかということにはいろんな説がありますけれども、ただ、状況だけいいますとかなりの福祉や少子化対策をやってもなかなか出生率が2を超えないのが先進国の特徴です。そういうことをみますと、日本が万全の少子化対策をやって福祉を拡充して子育てしやすいように社会を変えていったとしても、もう一度人口がどっと増えるような時代にはなりません。それどころか、今のまま推移しますと日本の人口は激減します。仮に、少子化対策を万全にとらなくて今のまま人口が推移したらどうなるかといいますと、もうあと1、2年でピークになります。日本の人口は1億2千8百万人くらいですが、それから人口がずーっと減っていきますが、かなり先の22世紀、100年後に人口がどの位になるかというと、最も減り方が少なくて9千万人位です。9千万人というと戦後すぐの数字です。高度経済成長に入る前の水準です。最も人口が減ると4千万人です。これは明治の水準まで下がります。4千万人というのは今の3分の1ですね。それでも国の予測は出生率が回復するという前提で、例えば9千万人、8千万人といっているんで、出生率が今のまま減っていきますと、4千万人を下回るかもしれません。いずれにせよ、こんなに減っては困りますけれども、それでも日本の人口が減っていくのは間違いありません。私は企業の海外進出を無条件で認めようとは思いません。きちんとコントロールすべきだと思いますが、かつてのように大量にアメリカやヨーロッパに売りさばくような輸出型の産業構造をもう一度復活できるかというと、これも無理です。そんな時代じゃありません。かつては、日本で生産した製品の半分以上を海外で売り裁いていた時代がありましたが、そういうことをもう一度再生するのは無理だと思います。長期的にみれば人口は減るし、事業所、産業も減っていくのは明らかです。20世紀は人口や産業が爆発的に増えた時代です。それを、都市部でどう受け止めるかということでまちづくりがされましたが、21世紀は人口や産業がむしろ減っていく、それを前提にまちづくりを考えたほうがいいわけです。私は20世紀の人口や産業をいかに受け止めていくか、そのためのニュータウンの建設、高層化、道路建設などの公共事業を開発型の公共事業と呼んでいます。

・公共事業の重点をどこに置くのか〜改善型の公共事業

人口や産業が増える時代は開発型の公共事業が必要でした。でも、これからは人口や産業が間違いなく減っていきますから、そうである以上、これからも開発型の公共事業をどんどんやっていくべきかというと、そうではありません。まちづくりの重点は開発型のまちづくではなくて、むしろ今人々が住んでいる地域の改善を図っていく、改善型の公共事業、改善型のまちづくりを21世紀のまちづくり、公共事業の重点にすべきだと思います。今、政府が進めようとしている都市再生型の公共事業は開発型の公共事業です。でも、これからは人口も産業も減っていきますから開発型の公共事業はいくらやっても無駄の拡大再生産に繋がるだけです。そうではなくて、開発型ではない改善型の公共事業を重点的に進めていくべきだと思います。具体的に、どんなことかということですが。まず、一点目は、20世紀にどれだけ大きな問題を引き起してきたかというと、自然とか歴史を失ってきたことが大きな問題です。ある意味では止むを得ないといえば止むを得ないんですが、20世紀のように人口や産業がこれだけ急増しますと、ある程度自然を守るといっても限界があるのは事実です。増え続ける人口を地域で受けとめていこうとすると自然を作り変えていかないと無理です。これだけ急速に人口が増えると、昔の歴史的な景観を残すというのは当然なんですが、ただそれが十分できるかというと難しいですね。でも、これからは違います。むしろ人口は減っていく時代ですから、やりようによってはかつて失われた自然や歴史、全く同じものを造るのは無理ですが、まちづくりによって失われた自然を再生する、歴史的な景観を取り返すということは、これからの時代は、我々都市計画をやっているものからみれば空間的には可能です。既にヨーロッパでは自然環境の再生に関しても、例えば、工場の跡地ができるとまずその跡地を活用して自然環境の再生を図ります。そいうことを都市計画として考えます。何故かといいますと、いまからヨーロッパで工場跡地を再活用して高度利用を図れるかといっても無理なんです、売れないんです。それだったら、かつて失われた自然環境の再生を行った方が都市としてのグレードが上がる、都市としてのイメージが上がる、そうすることでむしろ都市全体のレベルアップが図れるのではないかということです。工場跡地やヨーロッパでは日本と違って都市近郊にも炭鉱があったんですが、工場跡地や炭鉱跡地が発生するとそれを地域の環境改善に役立てるんです。そこでかなり事業を行っています。 私の研究室で重点的に調べていることの一つにイギリスでやっている国民フォーレストという事業があります。名前のとおり森を造っていく事業なんですが、ものすごく大規模に、100haや場合によっては1000ha規模の森の再生を都市部の周辺で行っています。ヨーロッパの、例えばイギリスの炭鉱跡地は日本と違って露天掘りでして、結構、窪地があります。その窪地を生かして湖や池を造ります。日本はまだダムを造って湖を造ろうとしていますが、炭鉱の跡地の地形を生かして湖を造っています。そういうことで、水や緑の再生を図っていく事業を地域再生事業の大きな柱に据えています。 そういう点でみると、日本の都市再生というのは相変わらず20世紀の開発型に重点を置いていますが、むしろ都心部で大規模な空間が空いた場合、どう環境改善に役立てるのかという視点がこれからは重要ではないかと思います。ヨーロッパだけではなく、隣の韓国でも同じようなことをやっています。ソウル市の最大のプロジェクトの一つがソウル市内の高速道路を撤去して河川を再生させる事業です。日本でも東京や大阪でかつて河川はたくさんありました、それを埋め立てて道路や地下鉄に変えたんです。日本は都市再生事業でまだ都市部に高速道路を造るといっていますが、ソウルでは今の市長の最大の公約で、ソウルの真ん中を走っている高速道路を撤去して昔ながらの河川を蘇らせるという事業です。これから都市部でも環境の再生を図っていくことが国際都市として頑張っていくうえで重要な要因になるということです。 そういうことを考えると、日本ではこれから人口や産業が減っていくのは避けられないわけですから、むしろそれをうまく使って、工場跡地が発生すればそれを環境改善に役立てるプロジェクトにすることを都市再生、地域再生の柱にしなければいけないかなと思います。日本では都市部の高層化でも、容積率がひどい所は1000%、1500%、50階建、60階建という高層建築物をどんどん造っています。ところが、ああいう高層建築物というのは構造的には50年、100年もちます。でも、100年後の日本の人口がどうなっているかというと最大でも一億人を切るんです。人口がどんどん増えるんだったら都心部で高層建築物を造っていけばいいんですが、ああいう高層建築物ができあがる頃には日本は全体として人口は減っていきます。ああいう建築物が残っている時代に日本の人口は劇的に減っていくんです。そういう時代が来るのがわかっていながら何で都心部にこれからあんな高層建築物を造っていくのか、ヨーロッパではむしろ高層建築物ではなくて、歴史的な建築物の有効活用をどう図っていくのかということをやっています。ヨーロッパに行きますと昔の街並みが残っていますが、壁面環境を残して、内部はそっくり作り替えるハサードという事業をずっとやっています。日本ではこれからはオフィスは増えないでむしろ減っていく時代になろうとしています。別にビルの規模を拡大する必要性というのは社会的にはありません。そういう時代に変わっていくわけですからむしろ昔の景観とかをある意味では守っていく、昔はビルを造ってオフィスをどんどん増やしたんですが、これからはむしろオフィスは減っていく時代にかかっていくわけですね、工場なんかもっと減っていくはずです。そうすると、これからは高層建築物をいかに下げていくのか、今高度経済成長の前半に建ったマンションがそろそろ50年経ちますから建替えにかかってきます。マンションの規模を拡大することで居住者の負担を軽減するような方策が多いですが、これからは人口が減っていきますからマンションの大規模な建て替えでも、昔だったら周りが1階や2階建の所に突然10階や20階のマンションがぼんとできたんです。将来的な街の景観を考えるのだったらそういうマンションの高さを下げていくような建て替えをこれからは考えていかなければなりません。ところが、今は相変わらず、建てるというのは規模の拡大ですね。駅前もそうです、駅前の再開発は規模の拡大です。これからは昔の街並みの景観を取り戻すというふうに考えると、むしろ規模の縮小をどう図っていくのかという時代に入っていくと思います。ところが、今は、中心部でも大きな事業、郊外でも大きな事業をやっている時代ですから、地域経済から考えると明らかに過剰供給になっているわけです。むしろ計画的に規模の縮小を図っていく時代になるんだから、従来のまちづくりとは違った発想でこれからのまちづくりを進めていく必要があると思います。・コミュニティーの再生と市民参加、行政機構の再編成それと同時に、これからは高齢化に対応したきめ細かな福祉施策、きめ細かな子育て支援策をきっちりやっていく必要があると思います。そういう時代になる以上、もう一度地域社会、コミュニティーの再生ということも本気になって取り組んでいく必要があると思います。日本では犯罪発生率が増えていますが、コミュニティーを再生したからといって犯罪の発生率がさがるわけではありませんが、安全な日本の国を作っていくためには失われれたコミュニティーをどう再生していくのかということが非常に重要です。もちろん、昔のような封建的なコミュニティーをもう一度蘇らせる必要はありませんが、新しい時代に相応しいようなコミュニティーを地域でどう作っていくのかとうことを本気で考えていかなければなりません。高度経済成長期というのは人口の流動が激しかったんです。人が非常に早いスピードで移動している時代は、いくらコミュニティーを作れといってもできないですね。どんどん人が引っ越していく時代に地域のことなど考えられません。また、若い世代が働いていると労働時間が長いですから、寝に帰っている人が沢山いる段階で地域社会のことを考えろといってもなかなかできないですね。それに対して高齢者が増えていく、地域で社会保障や教育関係の雇用を増やしていくと地域で暮らし地域で働く人が増えます、そういう時代を展望するとコミュニティーを再生させる条件は整ってくると思います。これからは、人々があっちこっち動いていく時代ではなくなっていくと思いますので、地域でのコミュニティーの再生に都市再生の大きな柱をおいていかなければだめじゃないかと思います。都市の再生というのは、別にものを造る、高速道路を造る、空港を造って、再開発をやってというのが都市の再生ではなくて、そこに住んでいる人の集団回復を考えていかなければだめです。それではコミュニティーの再生をどういうふうに考えていったらいいかというと、日本のコミュニティーは実質的にみてその範囲は小学校区が多い。市民がイメージできる地域社会は小学校区です。小学区を基本に新しいコミュニティーの再生を図っていく必要があります。今は、規制緩和で高齢者福祉なんかも圏域があいまいになっています。スウェーデンなんかでどんな高齢者福祉をやっているかというと、圏域をきちっと決めて介護の認定をやって、ケアプランの作成などをやるんですが、スウェーデンの場合は公的な機関がケアプランの作成をしますが、ある程度範囲を決めてこの人はこの地域を担当するということで高齢者をきちっと把握して、公的機関がケアプランを作成しています。福祉サービスは事業者がやります。日本の場合は規制緩和で圏域があいまいになっていますが、高齢者福祉でも小学校区くらいの範囲で高齢者の状態を押さえてケアプランの作成を行う。デイサービスとかはできるだけ小学校区単位で整備していく。子供の生活圏というのはだいたい小学校区ですが、高齢者も生活圏がだんだん狭まってきますが、ある程度日常的な福祉を小学校区くらいの単位でやる。障害者もそうですね。4人から8人くらいのグループホームに関しては小学校区に1箇所設置するとか、保育所でもそうですね。子育て支援センターのような日常的な子育て支援とか保育所は小学校区くらいに1箇所作っていくとか、そういう子育て、高齢者、障害者それから社会教育などを基本的には小学校区で必要なことを考えていく仕組み作りが必要です。そういう生活のまとまりを作っていくことを軸に市民参加を図り、コミュニティーの再生を図っていく、そういう方向性がきめ細かな福祉をしたり、地域で暮らしている人の生活をきっちり支えていくために重要なんです。そのためには、行政のあり方も変えていく必要があります。行政は、今、これから競争だ競争だということで市町村合併で規模の拡大を図ろうとしています。規模の小さい行政はいらない、確かに政府はそういう方向で誘導しようとしています。市町村合併を頭から否定はしませんが、きめ細かな施策をやっていこうと思うと合併よりも、今の行政機構、行政の権限、決定権限、予算の権限をもっと地域に分散させていく試みが重要ではないかと思います。今は、まちづくりは市役所で考えていますが、高齢者福祉なども全部市役所でやっていると思いますが、将来的には、日常的な高齢者福祉、児童福祉、障害者福祉、まちづくり、社会教育といった分野は小学校区くらいできちっと考える、決定権限を与えられる、そこに市民が参加するという形で地域に分散させていかなければならないと思います。そうしないと、市民参加といっても宇都宮くらいの人口になると身近なことをいちいち市役所に行って議論できるかいうと、難しいですね。小学校区くらいで行政の職員をきっちり配置して、そこで日常的な高齢者福祉を担当して、何か高齢者福祉で意見、要望があれば小学校区にいけば担当者がいる、ある程度そこで決定できる予算、権限を持っているという仕組みを作っていく必要があると思います。そういう意味では、今の市役所の持っている権限、職員を半分くらい減らして、その職員を小学校区に設置しているところに分散させていくというという発想がこれからは重要ではないかと思います。今、行政機構というと合併、規模の拡大を追及していますが、場合によっては合併も重要ですが、もっと規模の縮小、権限の分散にきちっと取り組んでいかないとほんとうのきめ細かな施策はできないのではないかと思います。確かに20世紀は人口が集中し、そのスピードが速かったんですね。だから、早くニュータウンを開発する、工業団地を整備するということをしないと人口の急増に追いつかなかった。そういう時代というのは、中央集権的に一気にバットやる開発が必要だったかもしれません。でも、これからはそういう時代ではないですね。実際、改善型のまちづくりに重点的に取り組んでいこうと思うと、今そこに住んでいる市民の声を吸い上げていかなければならいんですね。だから、かつてのように中央集権的に市役所がバットと決めて一気にやる開発ではなくて、地域に権限を分散させて市民が気軽に参加し、市民が意見を言える、そこでいろんな決定も行われていくという形に行政機構や制度を変えていかないと市民生活の再生や地域の再生も難しいのではないかと思います。 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